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・・・・・。 こんなところにはもう、これ以上居たくない。 注意をなるべく引かないよう。 慎重に、しかし出来る限り急いで。 経路を選び、跳躍し、背を低め、駆け抜ける。 改めて、何か別の形の怒りを自覚した。 嫉妬に由来する、ゆえがありつつ理不尽なものとはまた別の。 あの、瞳。 初めてその目に見た種類の緊張を漂わせていた、いつもは柔らかな、薄 赤を帯びる茶色の瞳。 ・・それがふと、微かに和むように変わった。 わたしを見ているのがわかる。 元と違ってしまった、色彩や見た目などを観察していたのだろう。 それが抑えた中に仄かに閃かせたものは。 わたしがおそらく永遠に失った、“子供”の無垢。 天使なのに、どこか“ひと”のようでもあって。 エルと同じように感情や表情の豊かなかれは、綺麗なものや珍しいもの、 面白いと感じる様々なものが好きだった。 ごく幼なかったわたしの横に座り込み、エルに負けず劣らず興味深げに、 時折には不思議そうに見詰めていた瞳。 何かに似ているようで似ていない、新しい今のわたしにも、純粋に気を 惹かれるのだろう。 ・・・・この状況ですら。 “綺麗だな”と、その眼差しと共に声が聴こえた気がした。 突然に。 その幼い風な純粋を、柔らかな興味を。 引き裂いてやりたくなる。跡形も無く、粉々に踏み躙って。 傷つけてやりたい。 エルが唯一特別に好きなのがかれだから、というだけではなく。 わたしはもう、その在り様が許せない。 その眼差しにすら、わたしがこんなに苛立つのがわからないのか。 優しい声と共に差し出される“夢”の欠片を。 もっと早くに。 最初に、苛立つ感情を覚えてから程無い頃に、その目の前で壊してやっ ていたら。 わたしは早々に“失格”となっていたのだろうか。 エルを嘆かせたとしても、そうすれば良かったんだ。 わたしの言葉に、かれは一瞬停止したかのように見えた。 だけど、間を置かずエルの時同様に力を込めて・・・ 斬りつけたその刃を、何時の間にか構えていた純白の“本来の”それで 受け止めて、弾(はじ)き、距離を開けようと斬る動作で返した。 天使が不慣れそうな手で握っていたのを奪い取った“それ”が、私の “思い”を受けて歪んだのは、黒い鎧と揃いだからだろうか。 エルの時と違って純粋な“力”で出来ている白い光剣ではなく、天使た ちを打ち伏せた時と同様に歪んだそれを使ったのは。かれらの時の戦い を有利に運ぶための本能的な必須でもあった理由とは違い、かれにも “歪み”を、与えられるものなら与えてみたかったからだ。 ・・・だけれど。 唯一エルと並び立てる、天使の長子に。 “ひと”ごときが、わたし程度がそう簡単にどうこう出来るものでも無 かった。 潔く諦めて、その場を離れる。 少し暫く移動しながらも警戒していたが、わたしと違って“殺気”を 抱(いだ)いていなかったかれは、追っては来なかった。 あれは使命感であり、強い“警戒”に近い。 ・・・。 それに安堵すると同時に、酷く落胆する。 あなたたちは、両方ともわたしを止めてはくれないのか。 長い通廊で、わざと天使たちを順に引きつけて次々と地に打ち倒した のに。 その先で、実際の年齢はわからないけれど、まだ幼いような容姿の天 使ですら、強い悪意を込めて壁に打ち付けたのに。 エルの座するこの天界で暮らす美しい“神の鳥”たち。 ここまですれば、わたしを“諦めて”“殺して”くれると思って。 ・・・でも。 エルは、それでもわたしの刃を受けただけだった。 わかっているのだろうに。 もう、十分過ぎる程わかっていただろうに。 もう一度。深く深く。 これ以上無いのではないかと思う程、絶望する。 優しくて綺麗な、愚かで自分勝手なかれらに。 じわりと滲んだ歪んだ黒に、もっと渦巻く濃さが加わり、私の身の内で 失われた“核”の代わりのように、種子のように結晶し始める。 許さない。 わたしは、かれらを許さない。 “箱庭”の外の天界という“箱庭”。 そのまた別の、“地上”という今は未(ま)だあるべきかたちを整えてい ない幻の“箱庭”。 わたしは、そこに在るための生き人形のひとつでしか、なかったのだ。 あそこに真に在るのは、きっと、<神>ただ独り。 寂しい子供が、音のある世界を求めて創り出す 色とりどりの様々な“夢”。 唯一である孤高の子供を護る、自身も幼い黒い鳥は 優しい声と腕と、その翼で、その細身の肩を包む。 穏やかに風景に響く子守唄。 懐かしい憧れ。 全ては、<神>のためだけに。 *** 目的の場所に辿り着いて、もうこれで三度同じように滑り込み。 内側から“力”で、この狭間の空間に至る歪む裂け目を出来るだけぴっ たりと“閉じた”。 ・・・以前感じた、この先の暗闇を抜けて行こう。 どんな場所かしらないけれど、気配の全く違うそこは。 きっと“此処”ではない“何処か”だ。 その先にどうなろうと、それは“わたし”が選んだ道だから。 ふと、先程閉じた入口の方向に。 新たな別の裂け目が小さく現れたのに気付く。 布を引くように、閉じた分を引っ張って裂いてしまったのだろうか? 手を伸ばして気配を探ると、その向こうには入口だった箇所同様の“天 界”の気配が在る。 だけれどそれは・・・先程少しだけ目にした“そと”のものとも、わた しの知る“箱庭”とも何かが違っていた。 少しだけ、興味を引かれる。 もしかしたら、此処に在る“画面”のように、別の時間を覗けるのでは ないかと。 “過去”か“未来”か、はたまた。 ・・・・今は、振り返ってみても。 どの“画面”も薄くぼんやりとしたざざ、とした黒と白の混ざり合う灰 色のざらつきしか映していないようだったが。 よく見るとそれらにはほとんど、風景が映っているようだった。 わたしに用意される筈だったものとはまた少し違うがよく似た“地上” らしきもの。 ぼんやりとした“画像”のうちに、ひとつだけ。 見知らぬいきものが、もうひとつの影と共に。 額を拭い、何かを掘り返していたのを止めて、苦しそうに息をついて座 り込んだ。 わたしのように耳は尖っていないが、今在る天界のいきものではない。 白っぽい長めの髪にわたしよりも細い風な手足で、肩の丸みと凹凸の 目立つ輪郭のそれは、具合が悪そうな様子をしていると酷く弱々しく見 えた。 もうひとつの影がそれに気が付き、慌てたように駆け寄ってくる。 そちらは先のものとは違う丸みと厚みがあって、天界で見慣れたものに 似たような輪郭に、背丈ももうひとりよりも頭ひとつ分と少々あり、何 となく丈夫そうな印象があった。 どうやら同じようないきものであるらしい影は、何ごとか囁きかけた様 子で腕に支えたそのもうひとりを促して背に負って。 掘っていた道具をそのままに、その場所から遠ざかってゆく。 その足取りは軽快とはいえず。 遠ざかる間に交わしている口元の動きや微かな身振りらしきものも、疲 れたような仕草をしていた。 「・・・・」 いまのは・・まさか。 あたらしい“ひと”なのだろうか? エルは一体、今度は何を思いついたというのだ。 “地上”には“楽園”を夢見ているのだとばかり、思っていたのに。 わたしに希望(のぞ)まれていたのとは随分違う、その光景に。 わたしは今一度、元の場所に関わることに興味を抱いた。 jump Link <Second>-third :Lilith 9頁← →7頁 |
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