気色(きしょく)の引いた顔をしたルシが、普段のような精彩を欠く足
取りで私の居た白亜の段上にやってきた後。
「・・・・・。
“巻き戻して”みるか?」
と尋ねられるのは、半ば予想していた。
『2番目の<アダム>を創ろうと私が言い出す前』に戻す。
<管理人>である私と操作者であるルシには確実に“記憶”が残るから、
全く“同じ”ことを繰り返す心配は無い。
 しかし。
 ルシは、かれが“箱庭”を見に行って以降目にした事を必要箇所だけ
凝縮した映像情報にしてかれの指先から私の手に伝えてくれた時に、一
度だけ開いて見せてくれた、リリスが立ち去った後に拾ったのだという
鎧の小さな一部を片掌にきつく握り締めたまま。
私がこちらであったことを簡略に話し終えても・・・顔色が少しもよく
ならない。
状況が状況だから不思議でもないんだが、何だかずっと不安定な気配が
奥で揺れているのを意志の力で抑えつけているような。
俯き気味の眸の赤が、常よりも薄く、暗い。
こんな表情は、初めて見るかもしれない。
リリスの言ったことを、気にしているのか?
白い頬に手を伸ばそうとすると、僅かにたじろがれた。
「・・・ルシ?
大丈夫か?」
“巻き戻し”には、その起点が遠いほどそれなりのエネルギーを使う。
この場合は“神(わたし)の選択”のやり直しだから私が手を貸す必要が
あるし、力は私が大半負担することは可能だ。
でも、そういう意味ではなく、こんな様子のかれに無理はさせたくない
んだが・・。
それでも、かれは頭(かぶり)を振った。
「・・・いや、問題無いよ。
早くしたほうが、良いだろう?」
半ば伏せるようにした瞳で、笑う。
・・・・・・・。
後で、聞き出すことにしよう。
しかし。“あれ”が気になる。
「・・・エル?」
思案する素振りを見せた私に、少し首を傾げたかれに、
「・・もう一度、“鎧”の一部を見せてくれないかな。
手を貸すのに、私もイメージしやすいほうがいいだろう?」
それが“終点”だしな、と呟くと。
「・・・・・。
まあ、そうだな」
ルシは納得したようだ。
握っていた掌を広げると、黒い硝子の塊のようなそれを見せてくれた。
やはり、目を当てていると不安が呼び覚まされるような気がする。
様子がおかしいのはこれのせいなのか?
 疑問は残ったがまずはこちらが先か、と。
ルシを促して、かれに向かって集中する。
“願う”。
黒鎧を纏うあの姿から遡って、小さな<アダム>が保護容器の中で最初
に目を開けて私とルシを見た。その“最初”を更に越えて。
『もう一度<アダム>を創ってみる。
この名を受け取るべき存在に出会いたい』
・・・そう願ったあの時間の少しだけ“前”に、“アダムの関わる流れ
を元に戻したい”と。
「・・・・・」
僅かに、間。
「・・・・。
ルシ?」
  時間は、動かなかった。
目を閉じて、胸の前で片方の拳に鱗を握っていたルシが。
瞠った瞳で、微かに震え出した拳を上向け。
一本一本、親指側から懸命に引き剥がしてゆくように開いてゆく。
その白い手の上には、変わらずに小さな黒い滑らかな塊。
「な・・・」
何故、と口にしようとしたのだろう。
普段柔らかめの線を描いているその表情がきつくなる。
ふっ、と突然に一度その姿が消えて、また同じ場所に現れる。
次に、どこからともなく普通の“硝子”の小さな薄い水色の器のような
ものを取り出すと、床に向かって力を込めて投げつけた。
かしゃん!、とそれは粉々に砕ける。
指を弾(はじ)く音と共に、“巻き戻し”の時に感じる独特の逆流の気配が
ごく小さく周囲の時を動かし、ルシの手元には元通りの状態の器が水色
に光っていた。
「・・・・・。
エル?」
わけがわからない、というように。
緊張で張り詰めていた表情を、途方に暮れたものに変えたルシがこちら
を見た。
“能力”が働かないわけではない。
でも、目的の“巻き戻し”が出来ない。
・・・私(かみ)の“願い”が共にあってさえ。
どういう、ことだ?
「ラジエル!」
ルシにも聴こえる様に、声に出して呼び掛ける。
『なんだ?』
簡潔な応えが、音にして中空から響く。
「手の空きはあるか?」
『あちらは、どうにか落ち着いた。
痕跡を辿れば良いんだな?』
「ああ。頼んだ。
私の分はこちらでやる」
『・・了解した』
僅かに、動作に入る間を置いて答えるとラジエルの気配はそこから消え
た。遠くで、“全体精査”のやや重い動きが私の感覚の底に伝わる。
目を閉じて、普段は定期点検の時以外には使ったことも無いそれを、私
が主に管理する領域や区域に走らせる。
変質が激しいため元々の<アダム>の“情報”は役に立たないが、先程
直接会ったことで私が得た<リリス>のものは既にラジエルに送ってあ
る。かれは私がどう“選択”するのかを待っていたのだろう。





 天界、だけではなく<世界>中を探査したが。
<リリス>はもう“此処”に居なかった。
“箱庭”に隠れるように開いていた小さな亀裂・・・・次元の狭間。
その向こうの空間を越えて、<異世界>へ渡ってしまったのだ。
・・・別の<世界>までは、私やルシの影響力は直接及ばない。
その最終結果により、<アダム>であり<リリス>である存在が引き起
こした影響と過程が、“変更不能”となった。

 <アダム>を起点としていた“地上”の先の時間が。
起点(アダム=リリス)がこの<世界>から消失したことで、徐々に薄れ、
この“流れ”から遠ざかって行くのだと、ルシが呟いた。
もう直ぐそれは、私たちには手の届かない“幻夢(ゆめ)”となる。
遠く遠く、けして掴めぬ水面(みなも)の風景(かげ)のように。
確かにかつて近くあった筈のそれは、平行線の彼方に去ってゆく。




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