ルシは、程なく普段のような調子と笑顔を取り戻した様子だったけれ
ど。
深刻な“後遺症”が残った。
黒い服、しか身につけようとしなくなったのだ。

 “2番目のアダム”が現れて以降。
先の時を訪れる度に、新しい衣類を着てみたり持ち帰ってきたりしてい
たかれだったが、別に特に着道楽というわけでもない。
あれは元々、その夢の未来にある美しいものの一端をわかりやすくさし
て気兼ねなく、アダムと私に見せるために選んでくれていたのだ。
 ルシは衣類というものには興味を持っているが、それほどはっきりと
したこだわりはなかった。
気が向けば着替え、気に入ればそれを身につけてみる。似合えば悪くな
い。
華美ではないが優雅な色とりどりの色彩は、目にしたものの注意を引き、
私を始め殆どが“差異のある白”の衣類である天界の中では、あきらか
に目立っていた。
しかしそれは、服以外の彩色がとりどりである天使の中ではさほど“違
和感”を招くものでもなかった。
ルシが見慣れない形の仕立てや優雅でささやかな装飾と、新しい色彩を
纏って横切ると。あの色はあの天使の髪色、羽根色に似ていますね、と
かいうのが天界の雑談の話のタネに加わるのが定番になりつつあった。
天使は綺麗なものが好きなのだ。


 ・・・でもそれは。
あの時から、変わった。
ほんの最初は、天界ではありふれている“白”の中から・・つまり既存
服から選んで身につけていた。
だけど、暫く経った後。
かれはそれを“黒”に変えたものを身に纏っていた。
その日からルシは、黒いものしか、着ない。

 私が、何となく気がついた風に、
「・・あれ。
最近、黒い服しか着ないんだな、ルシ」
と遠まわしに尋ねた時。かれはこう、口にした。
「・・・。
黒くならないために、黒を着ることにしたんだ」
・・・・その時の淡く柔らかな、美しいほどの微笑みに。
私は。
ルシがあの時、確かに白いアーチで防いだ筈の黒炎の刃が深くかれの身
を引き裂き、その胸からは深紅(くれない)の気が煌いて滴と落ち。
私が跡形も無く砕いた筈の硝子の黒鱗の破片が、かれの周りに纏わり付
いて綺羅綺羅と美しく・・そして細かに静かに傷付けているような。
そんな有様を幻視して。
返す言葉すら思いつかずに、ただ、かれの傍(そば)に寄って。
動きやすい仕立ての、殆どの輪郭を覆う装束を選んだ黒尽くめの姿を。
きつく、きつく、かれの身を痛めない手加減の限界まで抱き締めた。
「・・・・痛いよ、エル」
呟かれた言葉は、私をたしなめているようなのに。
その腕は、何時ものように私を押し返したりする仕草を見せなくて。
「・・・・ルシ・・・ルシ
ルシフェル・・」
ただ、名を呼んで。
どうしたらいいのかわからない私に。
かれは、自分でも何だかわからないかのように。
困ったように優しく、笑った。



 ・・・・・かれにとって本当に痛手だったことは。
私とアダムを助けようと選んでいたことが、双方にとって害をなす結果
になってしまったこと。
幼い頃のように笑ってほしいと、切実でささやかな“我儘”と、今後の
のためにもと、好意と無害を見せようと努力していたことが全て裏目で
しか無かったこと。
自分が、好意をもっていた相手をそれほど追い遣ることをし続けていた
ということに。
リリスの言葉と、残された黒鱗に留まっていた“思念”によって悟り。
ルシは、自身の心に深い後悔という針のように尖った細い刃を突き立て
た。
誤って抜けないように。
・・・けして、けして、あったことを忘れたりしないように。
泣くことすらせずに、かれは、笑う。


 そんな様子はその時だけで、その後は山積した天界の新規案だの何だ
ののために忙しくするかれがあれほどの様子を再び覗かせることも無か
ったのだけど。
 今でもかれの黒い服の背に時折、私には救えない“哀しみ”を感じて。
何事も無く再生された筈の私の傷の分までもが、代わりにルシに与えら
れたような。そんな気もして。
段々と“成人(おとな)”の面立ちに近付いてゆくかれの横顔を、変わらず
隣に見ながらも。何となく以前のように中々気軽に髪をかき混ぜられな
くて。
それでも、と。
手を伸ばし髪に触れて撫で、ルシ、と呼んで。
髪に、額に、頬に、親愛を込めて口接ける。
それに返される眼差しも声も、大分大人びてきているようなのに、ふと
した時にその向こうに変わらない“子供”の色がひっそりと隠れている
のを。
その手を引いて“遊び”に連れ出せたらいいのにと。
・・・でもそれは、無理にしてはいけないのだとわかっていて。

 私は今日もまた、かれを前にして。
 祈りのように願っている。




 END.




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