<Second>-first



 「僕の休む間に、任せられる代わりがほしい!」
暫く黙って考え込んでいた挙句に突然叫んだ僕に、近くで未分類の断片情
報の入った小箱を手に取って中身を確かめていたルシが、驚いてそのひと
つを手から零しそうになった。
「・・・・・え?
・・・・・・・・って、は?!」
白い小箱を纏めて元々載せてあった小机の上に放置すると、慌てた様子で
執務机に両手で頬杖をついていた僕の傍に寄って来る。
僕がかれの卵を創ってからはもうかなりの時間が過ぎてはいるが、どちら
もこの<世界>では突出しているだろう長い長い寿命を持っているためか、
成長は遅いほうだ。完成状態になるにはもう暫く掛かるだろう。
[概念]に従って表現すれば、どちらもまだ“少年”の風情の十分に残る
“青年”と言い切るにはまだ間があるくらいの外見だ。僕のよりもやや小
さい手が、驚いた勢いのまま僕の腕を掴んだ。
「何を言っているんだ、エル。
この<世界>に同時に、“君”の代理が出来る存在なんて居るわけがない
だろう?」
うんまあ、そうだね。
現状、ではだけど。
「今は居ないね。
でもさ・・・<次代候補者>なんていうのが存在出来るものなら。
引き継ぐまでは能力行使出来ないとしてもだ。
潜在素質的にはある意味で“同時存在”が可能ってことだろう?
まあ、今僕が言っているのはそれとは一寸違うんだけど。
・・・そもそも“創れない”のか? 一時的な程度の代行って」

 僕は少々前に、やっと基本的な大規模作業をほぼ終えて漸く落ち着いて
来た所で、気分的に疲れていた。
<神>・・もとい<神の代理人>だって勿論全く休めないわけじゃないけ
れど、本当に代替が利く存在ではないし、まだまだ仕事は既存のものの確
認からこれから先のものまで山とあって、そして何かあれば対応しなけれ
ばならないことも多いのだ。
ああ、とっとと手順要項と配置機構を整備しなきゃ。
・・・わかっている、わかってるんだけど。
その前にちょっとでもいいから、気を抜いて休みたい・・・。
疲れた。
別にエネルギーが枯渇したとか自身に何か機構的な不具合が出たとかそん
な重大なことは無いのだけれど、これは多分“気力”ってやつなんだ。
一区切りつきそうな終盤で、そろそろ終わりそうだったものの目処をつけ
ようとして7日通しで本気で遣り込んでしまったのも原因だろう。あれは
集中し過ぎた。
頬杖をついていた腕を外して、ぐったりと机に伏せた僕を見てルシは何と
なく見当が付いたようだ。小さく呆れたように溜息をついて、僕の腕を掴
んでいた手を肩に移動して乗せる。
「だから・・無理するなって、言ったじゃないか」
一段落したかったのはわかるけどな、とやれやれと言いたげな口調で、で
も肩に触れたままの手から僕に元気になってほしいという願いの気配がす
る。優しくて暖かいそれをもっと享受したくて、伏せていた半身を起こし
てルシの首に腕を回して引き寄せる。
「っと!・・・
エル?」
その肩に頭を乗せて溜息をついた僕に、いつもの時々、只ルシを構いたく
てひたすらじゃれようとするのとは違う様子を理解したのだろう。
何気なく癖のようになりつつある少し構えようとしていた腕が、背に回っ
て先程と同じように励ますような気配が伝わってくる。
「・・・いつか次代が現れるとしても、<世界の管理人>自体が同時に並
び立つことはないんだ。
それまで、君しか居ないんだから。無茶したらいけない」
かれの手が、無意識にか僕の服の背を少しだけ握り締めた。
・・・口にされなかった言葉は、きっと。
『私を独りにしないでくれ』、と。
・・・・僕も、管理人が失敗して失われた滅び行く<世界>に、ルシを独り
で取り残すなんてことはしたくはない。
“唯一神”であり<世界>を育む存在である自分は博愛の要素を強くもっ
ているが、一番最初に創った“個”である“他者”のルシは色々な意味で
特別な存在だ。・・かれにとっても、僕が<神>という以外に“個”として特
別であっていてくれるのと同じ様に。
少し腕を緩めて、すり、ともう幼い時ほどの独特の柔らかさではないけれ
ど肌理細かくてしなやかな頬に自分の頬をくっつける。
またか、という表情で少しだけ眉をしかめたかれは、それでも仕方なさそ
うに溜息をついてそのままにした。
僕も、ごく子供の時分によく好んでしたようにひたすら頬ずりし続けたり
はせず、また肩の上を借りて頭を乗せると暫く目を閉じていた。
「・・・エル?」
しんと静かな様子が心配になったのかそれとも椅子に座った僕に引っ張ら
れたままの姿勢が落ち着かないのか、呼ぶ声が窺うように響く。
「・・・ん。
有難う。ルシ」
頬に感謝の印の口接けを贈って腕を外すと、落ち着いたのがわかったのか
安堵したように表情が変わる。
最近ではもう、ルシが頬とか髪とかへのそれを返してくれなくなったのは、
残念だ。・・・小さい時とか、ちょっと背伸びしてから不服そうに屈めと
いう仕草をすることもあったりして、可愛かったのになぁ。
役に立てたならよかった、と小さく笑うとかれは姿勢を起こして机に背を
凭れて改めて僕に尋ねた。
「・・ところで。
先刻言っていた“一時的な程度の代行”とは、どういうもののつもりだっ
たんだ?」
助力者である天使たちで絶対に賄えないものというと・・・“創造”と
“決定権”だろう?と腕組みをして片手で指を折って呟く。そんなものの
代替は不可能だろうと。
「ああ。
まあつまり、だから。
一種の僕の“複写”で、僕の休眠中にだけ交替出来る存在とか創れないも
のかと」
ルシが額を押えた。
「・・・・スレスレ過ぎるだろう。
そもそもそんなもの、この<世界>の条項には引っ掛からないのか?」
僕の任されているこの<世界>以外にも無数の<世界>が在り、それぞれ
は様相を異にし、当然ながら各<世界>にはそれごとの条項が存在する。
神の様子や数や条件も多岐に渡るだろうし、この<世界>や僕は基本的に
加算してゆく存在だが、逆に最初一杯一杯に満ち満ちている状態から減算
が基本の<世界>だってあるだろう。
まあ要するに、はっきりと“不可能”と[記憶]で認識されない条項に関し
てはよくわからないのだ。
無理だろう、と表情で示しているルシに向かって笑う。
「ダメ、かどうかはやってみないとわからないと思うんだが。
・・・・ルシ?」
僕は時折かれに尋ねる。
主に、重要な<分岐>に当たるのではないかと思われる物事や、今回の様
に天界や“僕”に深く関わりそうな場合なのだが。
かれは大概において、それが重い<分岐>であればあるほど、それのもつ
気配を“何となく”感じ取ることが出来るから、ある程度参考にすること
が可能だ。
「・・・」
ルシはひとつ溜息をついて、目を閉じる。
慎重に確認していたのか十呼吸するほどの間を置いて、瞼が上がって瞬き
をした。
「・・・・どちらとも、いえないな」
加でも減でも、正でも負でもない、ということだろう。
まあ、<分岐>はそれひとつだけではなく後々の影響や波及なども含めて
“流れ”となるので、こういうことは珍しくも無い。
ただ、これを“つくる”ことに関する“否”は自身の[記憶]からもルシの
感覚からも得られなかったということだ。
「なら。
やってみても、いいかな」
挑戦心・・とでも言おうか。
元々僕は“つくる”ことが好きなように造られている。それが未知であれ
ば尚更だ。
じんわりと湧き上がってくるわくわくとするような気分に、握り締めた自
分の拳を眺めていると、背後から今度は抑える様子も無い盛大な溜息が聞
こえた。
「・・・・わかった。
だけど、重々気をつけてくれよ?」
不信感・・ではなく。心配そうに微かに憂う面差しがふとした時に僕より
も年嵩に見えないこともないのは最早、かれが卵から孵った直後から何と
なくわかってはいたが。
ああ何だか。
追い越される気がするな。
椅子から立って、まだ僕よりも少しだけ低いその頭の位置に手を伸ばす。
くしゃり、と髪を撫でて頬に掌を添えて、その額に口接ける。
「うん。
・・・有難う、ルシ」
瞳を覗き込むと、そこにはまだ相変わらず“子供”の面影があって。
薄い赤を刷いた柔らかな茶の色合いが、たゆたうように澄んでいた。
素直に、僅かだけその気配の通りにあどけないようなはにかみを乗せた表
情が、伏せた目元と笑んだ口元に仕方ないな、というようなものを加えて
溶ける。
 幾ら大きくなっても、こっちが面倒見られているような状態でも。
僕がルシを可愛いと思うのは、そうそう変わらないのだろうなあと。
今度はじゃれる気分で両手で頭を抱えて髪をぐしゃぐしゃにして髪や顔に
軽い口接けを幾つも降らせてみると、こらエル!といつものように引き剥
がしに掛かられた。
・・・今日はもうちょっと甘えたい。から、まだ離さない。


 僕と君が、ほぼ対等に在り続けるためには“距離”が必要だ。
 君は、きっと生まれた時からある程度本能でわかっていたのだろうけど。
 程近く在らねばならない。
 けれど近過ぎてはいけない。
 何故なら、君は僕の希望(のぞ)みを受けて生まれてきたもので。
 そして、僕は君の標(しるべ)でなくてはならないのだから。
 とても近しく、切り離せないものゆえに。
 僕と君が、互いにこの長い道行に手を携えられる“個”であるために。
 ほんの少し寂しくても、時にはそれが少し辛くても。
  それでも、僕は折に触れて懐かしい記憶と今も抱(いだ)く愛しさで手を
 伸ばして。
 君は、叱るように大きくなったゆえの照れのようにそれを押し返す。
 大概そうする、何時ものように。
 きっと、それで良いんだろう。
 均衡が保たれている限り。


 「じゃあ一寸、やってみる」
押し退けようとする手を避けながら気が済むまで抱えた頭を撫で回し、指
を入れてくっしゃくしゃにかき回した短い髪と持ち上げた頬とにもう一度、
音を立てて小さく口接けを落としてから、手を振ってその場から逃げ出す。
・・・時々こうやってわざと、ルシの本能が反応しかける“制限”と、僕
が単に構いすぎて“君に”怒られる、というような状況をごっちゃにする。
君が僕に対して済まないと思うのが最小限で済めばいい。
この遣り取りが“あたりまえ”で“それでいい”のだと、何時の間にかな
ってくれたら。
君が“隣”に居てくれるのなら、少しだけ寂しいのは我慢するよ。
 ああもう全く!と声が追いかけてきたが。
その怒ったような言葉が、明るい気配を底に響かせているのを確信して。
君が僕を好きでいてくれるなら、きっと大丈夫だと。
そう信じて、“選択”をする。



***



 「ルシ!
・・一寸、見に来てくれないか?」
片腕を引いて連れて行こうとする僕の様子に不思議そうにしながらも従っ
たかれは、辿り着いた先で僕が軽く掴んでいた腕を放すと、驚いたように
目を瞠ってその部屋の奥にある大きな細長い丸状の容器のようなものに近
付いた。
「これは・・・・
“これ”が<アダム>なのか?」
透き通ったごくごく淡い碧(みどり)を透かして、こぽり、と緩く螺旋に泳ぎ上
がる気泡を漂わせる色の無い液体と光に満たされたその内には、ひと
つの姿が在った。
僕によく似た容姿とほぼ同じ大きさで、しかし色合いは少し違う。
ほんの僅か長めだが跳ねの少ない髪の色は金茶で、今は閉じている目が
開けばその眸は透明に沈む落ち着いた茶色だ。肌はかなり白い僕と違って
黄味を帯びている。
共通点を持たせつつ色違いにしたのは、一目で見分けるためのものだ。
<神の代理人>の代行・・というのも少々妙な言い回しだが、それのつも
りで創ったのだから。
・・・けれど。
「やっぱり、無理だったよ」
ルシの言うとおりだったな、と苦笑して。え?と、こちらとあちらを交互
に見遣るかれをそのままにして、容器に近寄る。
指先でその表面に触れて短く“開封”を歌うと、容器はやや斜めの横向き
に位置を変えてゆく。
その中身の液体が徐々に下部にある不透明の台座の方向に引いていって跡
形もなくなってから、ぱくり、とその透き通る面が縦二つに割れて開いた。
眠っているような<アダム>の頬に指先をそっと触れる。
身じろぎもしないし、その瞼が開くこともない。
「・・・」
向かい側から覗き込んだルシも、そっとその額に指先を伸ばす。
ひんやりと冷たいだろうそれに、かれが微かに溜息をつくのを聴いて。
状態の見当がついたのだろうことを知る。
「これは・・“いきもの”ではない、のか?」
身体は僕やルシ同様の、エネルギーで形作られている。
だから一見は、見た目からしてもさしたる遜色があるようには見えないの
だが。
「ああ。
これ、には“アストラル”が宿っていない」
天使たちとはまた別の存在だから、全く異なる創法過程を選んだためか。
身体構造と併せて確かに組んだはずの“精神”の構造が、出来上がった
<アダム>の内からは見事に消失していた。
これは言うなれば殻だけの、空いた“器”に過ぎない。
そして僕は気がついた。
自分やルシのことだけを考えてもわかることだったが、自分が“魂”で
ある“アストラル”までを“決めて”創り出しているわけでは無い、と
いうことに。
 僕が創り出すものはまずその殻であり器という“場”であって、魂そ
のものはその内に萌芽のように宿り、そしてそこで育ってゆく。
天使達が生まれつき僕と似たように一定の[知識]と相応の能力を持つよ
うに、もっと簡単な仕組みか“似ている”だけであれば、“それらしい”
風に創れないことは無かったのかもしれないが。“個”のいきもののひ
とつとして、“既に成長している僕”の複写に近いものを創り出すのは、
そもそも相当に困難な事だったのだ。
やれやれ、と肩を竦める。
「・・・“否”でなかったのは、これを理解させるためだったのかな。
僕は、“完成した魂”を創れるわけじゃない」
僕と<アダム>をもう一度見比べたルシが容器の脇の床に膝をついて、
惜しむような手つきでその眠り続ける頬をそっと撫でた。
今まで、僕が創った天使たちの卵の内に孵らなかったものはない。
一番年上の天使であるかれは、新しい“きょうだい”のような存在が目
覚めないことを哀しんでいるんだろう。
・・ごめんな、ルシ。
“僕”の“弟”は創ることが出来なかったよ。
かれに倣って床に膝をつき、手を引いたかれのあとからその頬と額に触
れる。
ふと。[認識]する。
「これは・・・。
そういう、ことか」
急に表情を変えた僕に訝しげな視線が向く。
「エル?」
「・・・ルシ。
これは、僕の“構想”的には失敗だが。
それだけじゃなかった」
額に触れた手をそのままに、目を閉じて集中する。
ふわ、と“意識”が移動する感覚の後に、少しの違和感を感じた。


 ・・・暗い。
閉じたままの瞼。横たわった身体。
なんとなくまだぼんやりとした“知覚”。
“意識”を認識しなおして、“それ”を動かそうとする。
重い瞼を押し上げて瞬きをし、周囲の光と。
驚愕したようなルシの表情を視界に収める。
ゆっくりと指を動かし、力を込めた腕で身体を起こす。
ぱちり、と瞬きをしなおして。
それから、容器の縁を両手で掴んで呆然としているかれに左手を伸ばし
て、指先でその頬に触れる。
「・・ルシ。
僕だよ、大丈夫」
ほんの少しだけ“怯える”ように反射で身を引きかけたかれを安心させ
ようと微笑み掛けると、声は僅かに違うけど口調と、見覚えのある表情
であることに気がついたのだろう。
ほっと安堵したように息が零れて。
それから、向かい側で膝をついたまま目を閉じて俯いて伸ばしていたの
が滑り落ちた手ごと身動きを止めたきりの“僕”、を見遣る。
それからもう一度こちらに目線を移して。
「これは・・・。
つまり、“別の器”なのか?」
<神>が唯一であるこの<世界>では、同時に同等の位置にそれが存在
することは出来ない。
だけど、別の“位置”に<神>の“意識”を一時的に移すことは可能で
あるらしい。
「うん。
まあつまり・・・“端末”かな。
っていうのも味気ないか。んー・・“移身(うつしみ)”?」
本来の僕よりも少しだけ長い、金茶色の髪を摘(つま)んでみていると、はあ、
と息をついたルシは縁から手を離して床に座り込んだ。
「びっくりさせないでくれ。
・・君によく似たものの“中”に知らない何かが入り込んだのか・・
それとも予想外の“事態”でも起こったのかと。思ったじゃないか」
相当、驚かせてしまったようだ。顔色が少し薄い。
ごめんよ、ともう一度伸ばした手で黒髪を撫でると、やれやれ、と今度
はかれが肩を竦めた。
殆ど無防備の状態で驚いたのと心配を同時にしたので気力を消費してし
まって何となく不服なのか、ほんの少しだけ不機嫌なようだ。
拗ねたような色味がこちらを見遣る瞳に加わる。
宥めようと、手を離しながら笑い掛けてみた。
「でもさ。これ、なんだが。
“外”に出られるぞ、多分」
「・・・・え?」
 <世界の管理人>である僕は、<世界>の始めに創り出したこの現在
は“天界”と呼んでいるひとつの空間に座していてその内であればどこに
でも行けるし、収集される数々の情報で“現在”の<世界>の様子であれ
ば何処のものであろうとその気になりさえすれば知ることが可能だ。
ただ、実際に“僕自身”が此処から動くことは出来ない。
機構そのものが大きすぎるのだ。
“現在”のうちであれば、ルシが過去の“時”の中で目にしたような
“影”をもう少しきちんと確りさせたような形状で“意識”を飛ばすこ
とは可能だが。情報保存用の小箱に収められた映像があれほど詳細で
ありながらも、それが“現実”ではないということは感覚が慣れれば理解
できるように、どうしても“今そこに居る”という本物の臨場感というような
ものには何かが欠けてしまう。
 だけれど、この“移身”を使えば。
機構はそのままに“僕”という“個”の意識だけを、切り離すのではな
く一時的に大半を接続し変えるような状態で動かすことが出来る。
つまりだ。
「ルシ!
ちょっと一緒にどっか行こう!」
楽しそうに言い出した僕に、かれは少々思案するように間を置いて。
「・・・。
うん、わかった」
床に座り込んだまま苦笑気味に、それでも嬉しそうに笑ってくれた。
 さてと。
とりあえずまずは・・適当な服だな。





 「おー」
まだいまいち心もとない動きの“僕”を心配したルシが胴に回してくれ
ている片腕から、色々なものに目を輝かす度に時々可笑しそうに笑って
いる震えが微かに伝わる。
とある星の中空に浮かんで、移り変わる大気の空の色を眺めていた僕は。
ふわふわと緩やかに落ちることを選択したかれと一緒に、遠くなる高み
と少しづつ近くなる地上を同時に目にしている。
「・・綺麗だなあ」
情報としては、そしてルシが時折気に入ったものを持ち帰ってくれる
“記憶”としては色々と目にしたことがあるけれど。
“天界”ではない場所の空をこういう形で全身で“知る”ことが出来る
のはやっぱり何かが全く違う。
伸ばした手の指を空に翳して満足そうにしている僕に、ルシも時折(多
分、毎度の時々よりも数倍子供っぽいと思っている)可笑しそうに笑い
を堪えているようだったけど嬉しそうだ。
お気に入りの場所に幾つか一緒に“跳んで”見せてくれてから、そうい
えば丁度良い時間だからと夕刻前のこの星にやってきた。
光に満ちて薄い緑をしている空と、明るい赤茶色の大地は調和するよう
な引き立てあうような色合いの対比だ。
薄緑の柔らかな布に描かれた絵のように、この星の“衛星”である・・
つまり“月”が白く二つ並んでいた。
星の動きにつれて時間は過ぎ行き、翳る緑は柔らかに濃い色に変化し、
それと同時に暮れてゆく地上も黒掛かった色合いになってゆく。
空の色合いを映して染まる細長い雲と、地上のあちこちに点在する此処
から見ると水溜りのような巨大な湖のようなものが、刻々と変わる陰影
を記す。
光源を投げかけていた恒星がこちら側から望めなくなると、この星の
この側に“夜”が来る。
大分地上に近付いていたけど、程なく遮るものの殆ど無い満天の星空が
広がって先程とは別の感嘆を覚える。
なんだか、懐かしいような。それとはまた違うような。
「・・・“星の海”は、<世界>の始めに飽きるほど見たような気もするけ
どな。此処から見るとまた一寸、違うか」
ふわふわと降下し続けていた身体が、軽い感触と共に何かの上に着地す
る。視線を足元に向けてみると、其処は切り立った岩山の更に頂上の、
僕とルシが腰を下ろしても足ははみでるかなというような程度しか無い
小さな天辺だった。
「・・・君と一緒だと、狭過ぎたか」
来た時にはひとりで座ったのだろうルシが、少し困ったように足元を見
下ろす。
それに、大丈夫、と笑って回されていた腕を軽く叩いてから。よいしょ、
と片方の端に腰を下ろす。足は全部端の外側に出ているけどそうそう落
ちたりはしないし、飛べるルシが一緒だし、そのうちに僕だけでも飛べ
なくもないだろう。
・・まあ、今回は此処らでもうそろそろ帰らないとならないが。
見上げた空に、名残惜しく溜息をつくと。
ぱちん!という高い音が静かな辺りに響いた。
音源だろう方向を振り仰ぐと、胸元に上げた手先に目を落としたルシが
ふ、と小さく溜息をついた。
「・・・・。
この位は、“我儘”をしたって構わない、だろう?」
すとん、と狭い足場をものともせずに背中合わせに身軽く腰を下ろすと、
その背が僕の背に触れる。
「・・・動かない時間じゃ、君がいつも視る“絵”と変わりないかもし
れないが」
だけど、もう少しだけ、と。
かれの背に普段は収められている透明な黒の翼の気配が薄らと辺りを包
んでいる。それは休息を促す、優しい夜の帳(とばり)のようにも見えた。

 時を操るルシの力は、“止める”だけではなく“巻き戻す”ことすら
可能で、その選択をすることは確かに僕らが居るこの“流れ”に干渉し
調節する事が出来る。
“巻き戻す”場合はその希望時点と現在が遠ければ遠いほど、必要な力
は大きくなるし変更による影響も大きくなるので、近ければ近い程、対
処が早ければ早いほど、かれの負荷は少なくなる。
ただ、その力は<世界の管理人>である僕自身には通常及ぶことはない。
かれが過去で見た金影に干渉出来なかったように、そして未来の僕に会
うことは出来ないように。
かれの能力の範囲はあくまでこの“流れ”を基準としていて、<分岐>の
先がそれから遠くなればそちらは見ることも、当然訪れることも難しくなる。
 この<世界>での<神>という存在は、いうなれば<世界>の要(かな
め)だ。
僕は自分にとっての“現在”にしか存在しえない。
けど、その“選択”の余波は<世界>を揺るがし、消えない音のように遠く
まで広がっていって、“可能性”の波が“未来”だけではなく時には
“過去”も含めた時間を千々に震わせる。
それは重なり合う無数の絵札を生み、近く遠くこの<世界>の並行の流
れをつくりだす。
だからこそ、<神>の選択は重い。
 そのため、ルシは直接僕の選択に関する“巻き戻し”を自身でする事
は出来ない。
必要な場合、かれは僕に力を委ねるように任せてくれ、“巻き戻す”と
いう操作自体は僕がする。ルシ曰く、『背後に君が居て、私の左手に手
を添えて“指を鳴らす”・・ような感じかな』と。
僕自身は実は余りよくわからない。ルシに向かって“願って”いるよう
な感じだ。
今やった“時止め”も僕自身の時間に干渉することは出来ない。
だけど、周囲の時間を止める事は可能だ。
・・・但し、時の流れから要である<神>を遠ざけるのはかなり大きな
力を使う。小さい頃に、自分の能力を知ろうと色々試していたルシは、
知らずにやってあっという間に消耗してしまった事がある。
成長して、僕の気配の無い未来へもそれなりに長時間渡ってゆける今な
ら加減出来るだろうけど。それでも消耗せずに維持できる時間にはそれ
ほど余裕は無いだろう。
「・・ルシ、無理するとまた翼が消えるぞ」
小さい頃やった時には、六対ある翼のうち半分が消えかけてしまって、
僕が力を貸して戻したのだ。翼もエネルギーの塊のようなものなので自
力で回復は出来るのだが時間が掛かる。
「・・・今回は、一対くらいにしておくよ」
・・無茶する気満々じゃないか。
かれは僕に無理をするなと言うが、時折自分は自分で何でもないような
顔をして無茶をする事もある。まあ大概それは仕事上のことかそれ以外
では・・・まあつまり凡そ僕のためな訳だが。
やれやれ、と溜息をついて。
ルシに向かって“願い”を送ることでかれの力に僕の手と力を添える。
これで、大分消耗せずに済む筈だ。
「エル」
何か言おうとしたらしいのを、その背にとんと凭れて。
「・・有難う。
じゃあ、もうちょっとだけ。いいかな」
ルシは言い掛けた言葉をそのままに、空を仰いだようだった。
僕よりまだ少し小さな背に寄り掛かるようにして、夜空を見上げる。
揺らぐ大気を通した星の瞬きを止めたそれは、時を留めたまま。
何時までもそのままであるようにそうしている。
本当は、ずっとこのままではいられないし、あの星々すら永遠ではない
のだけれど。
それでも、今だけは。
 背に感じる君の静かな呼吸と、この星空と大地の上の岩山と。
僕らを包む時の翼の気配。
それだけわかっていればいい、と。


 僕とルシは暫くそのまま沈黙して。
 星の風景を記憶に留めようと空を眺めていた。




 
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