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彼は、それから三日と保(も)たなかった。 再び、急速に具合を損ね。伝言で連絡を受けて急いで“跳んで”来てく れたサリエル様も、静かにほんの少しだけ首を横に振った。 ただ、今度は彼はあの数日分を取り返すように、眠らなかった。 うとうととはするけれど、それ以外はあたしを見て話に頷き、小さな声 で時々返事を返してくれる。 君がずっと好きだった、と彼は言う。 あたしはあなたが好き、とあたしは言う。 優しい苦笑が、仕方なさそうに幸せそうに。 僕は君が好きだよ、と言い直された。 彼はもう天使ではないから、伝承にあるように、彼から天使のこと として聞いたように、息を引き取っても“消える”ことはなかった。 その身体は、眠るように横たわっている。 最後まで、かれはさして差のある衰え方も見せず。ずっと綺麗だった。 それは今この時も、まだ変わらない。 サリエル様が、特別な炎を渡してくれた。 これで燃やせば、跡形も無く消えて、地上に影響を与えることは無いの だと言う。 彼は、神様が好きだった。 そのほうが、いいんだろうな。 お墓を造る気はないし、裏庭に樹でも植えよう。 花が咲いて、木の実の成る木を。 そうして、彼を想い出そう。 炎の使い方は“そのまま”で大丈夫だというので。 彼と顔見知りだったひとたちのお別れが途切れた後の夜。 あたしの寝台に横たわった彼の胸の上に、透明な球体の中に入った炎を 器ごと置いた。硝子のようなそれが溶けるように消えて、普通の火では ない炎が彼の身体を包み込む。 試しに掌を近づけてみたけれど、熱くは無く、その不思議な光の色だけ があたしの手を染めていた。 ・・・さよなら。 またいつか、世界の中で巡り合えたら。 今度はあなたが女の子で、あたしが男の子でも。 どちらもおなじでも。 あたしが天使で、あなたが人でも。 そういうものじゃなくても。 なんでもいいから。 また、いつかね。 彼の身体を燃やし尽くした炎が寝台や敷布には何の影響も与えずに、 ふわと一際大きくなって消えた後。 そこにはもう、彼の姿はなかった。 ただ、丸い模様のついた不思議な彩色の羽根が一枚だけ。 彼の髪色と似ている黒い地の、光を緩やかに弾(はじ)く羽根。 ・・・燃えなかったのだから、これは持っていてもいいものなのよね? そっと、指先で丁寧に摘(つま)んで取り上げて。 彼への最後の別れの口接けを、それに贈った。 *** 数日後。 下腹部に軽い違和感を覚えたあたしは、“不思議な子供”を生んだ。 伝承やおばあちゃんの話にあった、“人間にしか見えない子供”では無 くて。 “塔”が出来て以降、生まれるようになったのだと云ういきもの・・・ “新しいひと”とも呼ばれている、“ネフィリム”だ。 親指ほどの大きさで生まれ、食べ物を与え続けるとどんどん大きくなっ ていってしまうと聞いている。 サリエル様は自分の“子供”だけではなく、世話が難しい者からも引き 取って例の博愛とまめさで面倒を見ているのだとかで。 元天使と人の間にそれが生まれるようになった原因はよくわからないけ れど、“塔”と、“塔”の天頂から地上を広く覆うように伸びている “天幕”と堕天使を信奉する人達の間で呼ばれているもののせいではな いかという噂もある。 サリエル様に、あの人の子供が生まれたことを報告ついでに、ネフィリ ムの子育て情報を尋ねるとかなり細かいことを教えてくれた。 もひとつついでに“天幕”について尋ねると、あれは“帳(とばり)”と いい、遮断幕の一種なのだと教えてくれた。“塔”やその周辺を“神の 目”から遮るためにあるものらしい。 そういうことを聞くと、一応、神に離反する七名の堕天使の一人である ということを思い出すけど。サリエル様の領域のうちのネフィリムたち を集めた広い場所で、ご飯を上げたり構ったりしている様子はさっぱり そういう風には見えない。 ・・・やっぱり何だかどこかズレている人だ。 別れ際に。 彼はもう居ないから、俺のところへ来ないか? そのネフィリムも一緒に育てればいい、と言われた。 ・・・口説いているといえば口説いているのだろうが。 なんというかサリエル様のそれには“裏”と言うものがないので、彼と あたしへの両方の好意で心配もしてくれているのだろうと言うことで、 丁重にお断りをした。 (わかりやすい特別は無い様子のサリエル様だけど。 もしかすると、何となく一番お気に入りなのかもしれない、あの彼を運 び込んだ時の女の子が好みだとすると、もしかすると“彼”もお気に入 りだったのかもと。今頃気がついた。) あたしはあたしで大事に育ててみます、と言うと、サリエル様は。 そうか、となんだか嬉しそうに笑った。 小さな小さな片掌に載る子供に小さな匙で、摩り下ろした林檎を与え た。色々なものを与えて反応を観察してみたサリエル様によると、これ がネフィリムが一番好きな味のものらしい。 ぱたぱたと、小さな手が振られる。喜んでいるのだろうか。 薄黄色の、人の手の指のような形をした柔らかな伸縮性のある細長い胴 体に、似たような形状の細長い手と、それより少し確りした足。 円(つぶ)らな水色の瞳に、丸長い口。 ネフィリムを育てるのを放棄する者が少なくないのは、かれらが“人” から生まれながら人と同じ姿ではないことよりも、かれらが成長につれ てとても食べるようになるということよりも。 かれらの記憶や感情が、とても淡く弱い薄いものだということにあるよ うだ、とサリエル様の溜息をついた顔が浮かぶ。 丁寧に面倒を見ているので、かれらはサリエル様に懐いたような様子も 見せるが、ふとしたことで直ぐにそれは失われてしまうのだという。 別に、懐いていたのが威嚇されたりするわけじゃないからいいや、と言 い根気強く食べ物を与え、話掛け、撫でてやったり手を取って歌ったり する。それを自分の子供も含まれるとはいえけして少なくはない数に出 来るのは、まあ流石である。博愛は格好付けではない。 あたしは、“一人”で精一杯なので、その代わり頑張ろうと思う。 ネフィリムが大きくなりすぎたら、あたしでは世話が出来なくなって しまう。 そこで、細心の注意を払いながら、ネフィリムがどういうことにどうい う反応を示すのか食事を与えながら探ってみた。 結果。 サリエル様のやっていることは方向的に“正しい”のだが、対象が広く て“濃さ”が足りないのだと気がついた。 一匙与える。与える前にもその間にも後にも、人間の子供にするように 話し掛ける。子供につけた名前を呼ぶ。合間に手を握って揺らしてやっ たり撫でたりする。笑い掛ける。 ・・・すると。ほんの少しづつだけれども、働きかけの度に“食べ物” を口にしたときと同じように反応する。 お腹がすいた、というような催促を示す頻度を遅らせられる。 ネフィリムは、そういうものも“食べて”くれるのだ。 一人で食べられるようになってからも、小さなものを手渡しで少しづつ あげたり、口に入れてあげたりした。その時も一緒に食べて、話し掛け たり構ったりする。 あたしの報告を聞き。 未だに片腕に軽く抱えられるほどの大きさだが綺麗な皮膚に、その頭と 目を興味ありげのように動かし、ぱたりと挨拶のように手を振った様子 に、サリエル様は素直に「凄い!」と感嘆した。 そうかぁ、“薄い”のか・・と残念そうに首を傾げる。 反応が忘れられてしまうネフィリムの世話をしたがるものは取り巻きの 中にも中々居ないそうなので、彼の世話するほうで改善するのは難しい だろう。 あたし、頑張りますね!と宣言すると。 君なら出来る!と応援が返ってきた。 仲間が居る、というのは心強く、良いことだ。 庭に植えた樹の苗は、根付いてひょろりと伸びて来ている。 何年掛かるかわからないけど。 あたしは、此処でこの子と暮らしていこう。 ・・あなたの想い出の詰まった、この家と一緒に。 7頁← →5頁 |
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