「・・・・・・
泣かないでくれ」
ぼやけた目を瞬いて涙を払い落とすと、白い顔の中の黒い眸が、ぼんや
りとした窓からの光源の中で、ちゃんと開いているのが見えた。
「・・・君が居るのはわかっていたけど、とても遠くて。
やっと、戻ってこられた」
身を起こした彼が、優しい苦笑のような顔で、あたしをみている。
額に柔らかな感触が触れて、離れて額の髪を指先がかきあげてくれて。
彼が、数日前のそれを“返してくれた”ことがわかった。
「・・・有難う」
心配してくれて嬉しい、ごめん、と。
言った彼に、痛めないように注意はしたけど飛びつくように抱き締めた。
もう一度、名前を呼んだ。
彼も、呼び返してくれる。
「・・・あのね」
「うん」
「あたし、あなたが家に居てくれてから慣れて色々やってくれて。
美人のお嫁さん貰ったみたいで、これ悪くないなあって思ってたの」
抱き締め返してくれた彼が、あれ、と可笑しそうに笑う。
「女の子になったほうが、良かったかな。
本物の、可愛いお嫁さん、になれたのに」
彼が彼女だったろうところを想像する。
・・・きっと、あたしよりも頭半分ほど背が低い。
綺麗な髪と目の、可愛くて優しい女の子。
その子が笑って、おかえりと言ってくれる。
それはそれで、また悪くないけど。
可憐な美女?では、あたしが寄ってくる男を追い返す羽目になるのだろ
うか。
彼は繊弱そう過ぎたのか、のっけからあたしの家に来て離れようとしな
かったせいか、意外とそういう意味では“モテなかった”が。
現状でも、表面に出して示されないだけで老若男女問わずこっそりモテ
ていないとは限らない。
「きっと悪くないけど・・・
あたし、あなたの声が気に入っているから、今のほうがいいな」
そうなんだ、と彼の声が嬉しそうになる。
・・・言ったこと、無かったかもなぁ。
もっと早く、言えばよかったかな。
「それでね。
あの・・・・・。
代わりにあなたを、お婿さんにしたいんだ。
どうかな」
眼差しと声に精一杯を込めたあたしの言葉に、彼は“意味”を理解した
のだろう。
ほんの少し伏せた目を、哀しそうにした。
「・・・・・・。
僕は・・居なくなってしまうよ」
「構わない」
「僕は・・・君をもう“幸せ”にしてあげられない」
「そんなことない」
「・・・僕は、“人間”じゃない。
本当に、わかっている?」
それでも。
「あなたはあたしにとっては。
あの夜、落ちてきたあなたに布を差し出したときから。
ずうっと、“人”なの」
おばあちゃんの物語と、あたしの夢を話す。
あなたのお陰で全部叶ったのだと。
「でもそれは・・警告でもあるんだ。
神を嘆かせ降りてきた、人と元天使への」
でも、と彼をかき口説く。
「・・・もうこの家。
どっちを向いてもあなたの記憶だらけなの。
どちらにしろ、あたしはずっと、それを見て暮らす。
だから、もう直ぐお別れというのなら。
あなたからの一番“特別”な記憶を、あたしに下さい」
彼は暫し沈黙して考えているようだった。
そして。
「・・・・。
負けた、よ」
彼の手があたしの頬に伸び、瞳が瞳を覗き込んだ。
本当にこれでいいのか?と自分に問うような眼差しに。
これでいいの、という意志を込めて、見詰めた彼の顔に吐息を寄せた。




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