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半年が経つにはまだ間があっただろう頃。 珍しく朝起きてこなかった彼を小屋まで起こしにいってみると、彼は小 さな部屋の半分ほどを占める寝台の上でぐったりとしていた。 どうしたのかと慌てるが、何時も白い顔色にうっすらと赤味が差してい るような、という以外には、少し失礼して寝間着代わりの一重の衣服を 肌蹴て改めさせてもらった上半身や、服から出ている手足にも異常とい う異常はない。 でも、あたしが首に手首に額と頬、肩辺りや腕だの、あれこれ触って温 度や様子を探っても、彼は目を醒まさなかった。 ・・・これは、普通に具合が悪いのとは違うような気がする。 幾ら人間に近いとはいえ、人間の治療師に見せたところで役に立つのか どうか・・。 ふと、サリエル様のことを思い出した。 サリエル様は元々、地上のうちでも特に“堕天するもの”を“見る”役 目の天使様だったんだそうだ。色々な例を目にしてきたなら、もしかし て何かわかることはないだろうか。尋ねに行ってみようか。 人間の治療師でも何か出来ることがもしあるなら、それからでもいい。 寝間着代わりのものから暖かめの普段着に着替えさせ、彼のお気に入り の織布を頭被りつきの半外套に仕立てたものを着せてから、眠ったまま の彼を背負って。家のことを近所のひとに頼むと、“塔”を目指した。 “塔”の外で彼の名と用件を告げて呼びかけると。 彼とサリエル様がそれなりの顔見知りらしいこともあってか、あたしは 彼を担いだままあっさりと、開いた塔の“裏口”のような場所からサリ エル様の領分なのだというどこかの階層の部屋に案内された。 サリエル様は『人間の愛(恋愛)を理解したい』と言う通り熱心で、しか も元天使ゆえなのか博愛だ。 普通なら騒動の元になりそうなものだが、“特別”が居ないということ がはっきりしているせいか、均等に平等にしようと務める態度のせいか、 取り巻きの女の人たちも、少し混じっている男の人たちも、いつ見かけ ても彼ら同士で特に目立って張り合おうとする様子は無かった。限りが わかっているから、取り合ってサリエル様が平等にしようとして煩わせ るかもしれない時間も惜しいのかもしれない。 なので見慣れないあたしが現れても、部屋で出迎えてくれた長い黒髪に 色白の肌をした小柄で独特の雰囲気のある女の子は彼のことは特に知ら ない様子だったけど。別に訝しげに視線を投げかけられるようなことも なく事情を聞くと普通に、それは心配だろうと同情してくれ、彼を横に ならせるために柔らかな敷物と掛布、水や暖かい飲物なども用意してく れた。 だけど。 「・・・。 これまで、よく保(も)ったほうだよ」 程なく連絡を受けて慌しく来てくれたサリエル様は彼の様子を確認する と、少々暗い顔をした。 「君達ならもっと長く保(も)つかと思ったのに。 彼のほうの“力”の限界か」 ・・・・。 彼は意志の力でこれまで支えていたが、本来の状態ではない異変後の身 体を支えるためにその残された“力”は天使であった時のように自然に 回復はされず、急激に磨り減って行くのだという。 「・・・・堕天使には珍しいくらい、“綺麗”だしなぁ。 本当に、君との暮らしが幸せで、変えたくなかったんだ」 出歩くことが多いとはいえ、防護服や“塔”があってすら最近徐々に不 健康な様子が増して行くサリエル様の貌と違って、彼は出会ったときと それほど段違いに“衰えた”ような感じはしない。元々繊弱そうだった せいだと思っていたんだけど・・。 見た目を維持するのに力を使っていたの? 「・・・・なんで。 あたし・・一緒に暮らしてるあたしが、心配するから?」 あたしは、最初から終りが来ることはわかっていたのに。 彼がもしももっと弱った様子でも、家のことなんかしてくれなくても。 どうにかして世話をするのに。 それよりも、長く居てくれればよかったのに・・。 “人間として地上で暮らしたい”と夢見た彼。 きっと、それを助けたあたしの日常を壊さないために。 元気な振りの無理をさせた、と俯いた頭の上から、違うよ、と声がする。 顔を上げると、サリエル様が微笑んでいた。 「・・・だって。 好きなひとの前では綺麗でいたい、もんなんだろ? “人間”って」 ・・・・・・・・。 初めて“塔”を見た時よりもぽかんとしただろうあたしに、サリエル様 は、“最初の堕天使”だったというひとの話をしてくれた。 それは、彼ではなくて彼女だったそうなんだけど。 亡くなる時までも、とてもとても綺麗な“人”だったのだそうだ。 ・・・最初から、サリエル様にはわかっていたのだろうか。 鎧の中の顔を見せて話しかけてくれた時から。 ちょっとズレているようなこの“人”に、“塔”や“鎧”を嫌ってい た様子の彼が好感を捨てることがなかったのがなんとなく、理解できた。 帰りは、彼ごとサリエル様が家まで送り届けてくれた。 あたしは、気がつくと“塔”の中から一気に、柔らかで暖かな上等の毛 布で包(くる)んだ彼を両腕に丁重に抱えたサリエル様と一緒に、自分の 家の炉部屋の床に立っていた。 心配でとても、外から回り込まないと入れない彼の小屋の寝台には戻せ る気分ではなかったので、私室の扉を開いてあたしの寝台に寝かせて貰 う。 「・・・お大事に」 とだけ、人間のように口にして、“兜”を被らないままの顔で少し哀し そうに笑ってふっと消えたサリエル様の気配に深々と礼の思いを送って。 あたしは、一先ず落ち着こうと、彼の様子を確かめてからなるべく静か に家の中の雑用を片付け始めた。 4頁← →2頁 |
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