ルシが、とても気に入った服を先の時で見つけて来たのは。 あの“エデン”の出来事よりも“ひと”の時でいうなら随分と経った頃 だった。 ・・無論、相変わらず黒尽くめだったが。 確かに、それはよく似合っていて悪くなさそうだった。 脚を輪郭に沿って覆う動きやすそうなすっきりとした下衣に、揃いの生 地の長袖の上着。どちらも丈夫そうなやや厚みのある独特の布地ではあ るが、ある程度の伸縮性もあって軽く着心地も悪くないらしい。 上衣の内側には首元までを覆う、柔らかに細かな目で編まれた布地で作 られたものを着ていた。それも長袖らしく、上着の袖からちらとその端 が腕を動かすと覗く。 足元は、黒い革製らしい短靴だ。 余程気に入ったのか、私が最初から率直に気に入った様子で褒めたのが 嬉しかったのか・・・いや多分両方だろうそれで。珍しくはっきりと子 供っぽくはしゃいだように瞳を閃かせたかれは、私の執務机の端に相変 わらず身軽い様子で腰を下ろすと、軽く足先をぶらつかせた。 「エルも着てみないか? きっと似合うぞ。 ・・・金と白が映えそうだから、青とかどうかな?」 と言って、少し間を置くと。 指先を私の手に軽く触れると、かれが見覚えてきたのだろう色違いのよ うな少し型の違うものが、“私が着用している”状態になった立体の “絵”として伝えられる。先の言葉でいうなら・・“シミュレート画像” とでも言えばいいのだろうか。 明るめの青い生地の上下と、内側には襟ぐりの開いた多分“Tシャツ” という部類に入るんだろう、くすんだやや沈む蒼に筆跡(ふであと)のよう な白で何かはっきりとはわからない絵のようなものが描かれているのを 着ている。足元は足首までを覆う立てた部分のある、紐で留めるように なっている白い布靴だ。 えーとこれは・・・なんだっけ。ああそうだ。“コーディネイト”だ。 適当に組み合わせた状態で見せてくれていた。 うんまあ、確かに、動きやすそうだし“快活”そうな印象がはっきり出 ていて悪くない。私に“似合う”服だ。 ・・・着てみたいな、とも本当に思うんだけれど。 でもなあ、“私”の場合はルシが着るのと違って問題があるんだ。 「かなり良いなと思うんだが・・・ ルシがそこまでお気に入りのと揃いってことはつまり、実用的で着心地 が良いわけだから。実際に着て気に入って、ずっとこれで居たくなると 困るからな〜・・ 私が“コレ”だと。 確実に天使も、皆とまではいかないだろうが、真似てみようとする可能 性があるだろ?」 以前、持ち帰ってくれたものを一時的にほんの短時間“前のアダム”や 持ち帰ってくれたルシに見せようと着てみたのとは違うのだと、暗に示 してみると、かれは直ぐに察してくれたようだった。 「・・・ああ、そうか」 と気が付いて残念そうにする。 でも、その後にほんのちょっと可笑しそうにして、ふへっとごく小さく 吹き出した。・・・・多分、自分と似たようなものだけれど色とりどり の、または従来どおり白の落差ばかりの、“新しい服”を身につけた天 使たちが天界を闊歩したり、そのままの様子で“現在”の“地上”に降 りて見慣れるまでは驚かれるのを想像したんだろう。 ・・いや、でも天使が皆それを着てたらきっと“ひと”のうちに誰かそ れの見た目を真似て作ろうとするものが現れかねなくて、何故かそん な昔からその型の服があるということになったら、先の時の型も変わっ ちゃうかもしれないぞ。 折角ルシが気に入ったのに、勿体ない。 とりあえず、ゴメンなー、でもありがと、と笑って謝意を示しつつ。 そこでふと何となく。 ルシがそれを渡して実際に着せてみる相手は、別に居る気がする、と。 考えるともなく、思った。 *** ルシに、殴られた。 いや、言葉で怒られたり叱られたり呆れられたりすることは普通にあ るし。 これまでも軽く小突かれたとかちょっとだけ強くぱしりと腕とかをはた かれて叱られたとかまあ、その程度は時折あったんだが。 さっきのは、明らかに“怒って”“殴った”。 ・・・・んー、まあいわゆる“鉄拳制裁”っていうやつなのかな。 でも、別にそれはかれが私を“嫌った”からではなくて。 ひとつには私が、“要望”という形をとってはいても重要な意向は必ず、 かれに事前に伝えていたそれを“怠った”という“例外”を。 まあつまり、私が常と違うことをしたということを、“心配”したのだ。 単に自分を蔑(ないがし)ろにしただのという思考経過は、おそらくかれ には無い。 そしてもうひとつは・・・。 かれは、“私の気紛れ”なのか“<神>の必然”なのかわからないもの が。また天界に関わることになる、しかも“地上から喚(よ)ばれた”という “ひと”の身に降り掛かって既にその方向で動いていたという事実に。 “理不尽”を覚えたのだろう。 ・・・・力不足を、嘆いたかれだからこそ。 私が、ルシにこうしたいと言わずに決め、よくわからないというのにこ れでいいんだよという風に笑って見せたのがきっと。 もしまた何かが起こったらと、“ひと”の代わりと私のために怒ってく れたのだ。 ・・・“噛み付いた”甲斐が今頃あったのかなぁ、と。 まだなんとなく衝撃が引かないような気もする後頭部に手をやってみて 考える。 痛い、と抗議のように訴えてはみたものの。 まあ、“甘え”のうちであることはルシには多分声音やらで通じている とは思う。 ひらひらと振られた片手と歩いたまま去った後姿は、“黙っていた件に ついてはここまでだ”と話題の切り上げと許容を伝えていた。 見覚えのある黒い服は、本当に気に入ったのか暫く前のあれから、その ままだ。組み合わせごと変わらない。 黒尽くめになってからは、そう頻繁に着替えているわけでも無いのだが。 何となく、あれ以降の着慣れっ振りからすると。 ・・・・“着たきりスズメ”ってやつになるつもりなのか?ルシ。 と思うが。 まあ代わり映えしないことについては、こちらも余り言えたものじゃ無 いので“スルー”することにする。 ・・・・。 ああ、あの服とか色々とか、本当は着てみたいのにな。 なんで私用の“刷り込み”や“制限”はあんなに色々と面倒なんだ。 <上神>のばか。“おたんこなす”。 唯一神なんて、時々放り投げたくなるよ。 ルシが居なかったら、きっととうにこの<世界>は終わっていると自嘲 する。 ・・・・まあ、そのルシには、私が此処の<神の代理人>でなかったら。 このように会うことも、こんなに長く一緒の<世界>に在ることも、無 かったかもしれないんだが。 ふと、卵から孵って間もない頃のルシのことを思い出した。 かれは、自分が私を“嫌いになる可能性がある”ということが暫くの間 どうしても納得出来なかったようで、不安そうにしている時もあった。 背を抱えて膝の上に乗せて話し掛ける。 「なあ、ルシ。 ・・それは、“君が”決めることなんだ。 “嫌い”っていっても、“好き”と“嫌い”はどちらかだけじゃない。 “好き”だけど、“ここはあんまり好きじゃない”とかさ。 “嫌い”だけど、“ここはそれほどじゃない”とか。 程度とか、あるし。 僕たちのように、成長したらきっと色々な要素を帯びるだろうものなら、 そう単純に割り切れるわけでもないよ。 だからさ。 僕を本当に“嫌”になるまえに、遠慮なく指摘してくれないかな」 心配が晴れないように俯いていた小さな頭が動いて、仰のくと僕を見上 げた。 「指摘?」 一言だけのそれに、頷く。 「うん。 それは嫌だから、止めてほしいとか。 他の遣り方はないのかとか・・。 何でもいいや。ルシがそれで思ったことを言ってくれれば。 そうすれば、僕はルシが、僕がこうするのを好まないっていうか。 色々あると、傾向ってものがわかるだろ? ・・・僕は、ルシに嫌われたくないから。 君がどう思うかは、重要なんだ。 ・・・・まあ、それでもよくわかんないことをしたりとか。 あれこれやらかすんじゃないかなーとは、思うんだけどさ。何となく。 それでも、言ってほしいんだ。 君が言えば、きっと僕は反応を返す。 それは、何も言わない時とは、きっと違う。 ・・・だから、僕を、諦めないでほしいんだ」 「・・・・・」 ルシは、それからまた俯いた姿勢に戻ると。 暫く黙って考えていた。 それから、頷いた。 「・・わかった。 私は、エルが好きでいたいから。 全部好きでいたいから。 だから、途中で諦めたりしない」 まだごく幼い声が、至極真面目にそう口にするのはやっぱりちょっと不 思議な感じを時折のように引き起こしたが。 真摯で、純粋な、ひどく真っ直ぐに。 小さな“決意”がそこに在った。 「・・有難う、ルシ」 かーわいいなぁと膝に乗せたまま姿勢を後ろとか左右に傾けて揺らすと、 腕に掴まって、またいきなり、と苦情が来た。 もっと遊んでもいい?と尋ねたら、それよりも肩に乗りたい、と言う。 かれは翼があるし、その気になれば中空に浮くことも出来るが何故だか、 [知識]によると“肩車”というらしいそれが好きだ。 僕もかれと比べてもそう大して大きくはないから、凄く落差があるという わけではないんだけれども。 “確かに床に繋がっている”のに視線が高くなる。 そのことが何と無く面白いらしい。 わかった、と一旦かれを片腕に抱き上げて立ち上がり、そのまま支えて位 置を移させる。 僕の首の後ろに座って、前側に両脚を垂らして両手で頭に掴まる。 小さな手が何だか楽しそうに、掴まったついでに僕の髪を片手で撫でてく れる。 「エルの髪は、金色で綺麗だな」 光を宿す金の明るい色の髪を、ルシは気に入ってくれている。 心配事が薄れたので機嫌が良いのか、抱えるようにして顎を乗せて、くふ りと満足そうに笑っている気配がする。 「ルシの黒い髪も、赤が見える茶色い目も、綺麗だよ」 笑って、もう少し高くしてみようかと少しぴょんと跳ねると、またいきな り、とたしなめるように。でもそうじゃない声が笑って返った。 ・・・・懐かしいな。 今これほど気楽に程近くは無いのが、少し寂しい。 でも。 ルシはずっと傍(そば)に居てくれる。 遠い先の時に居ても、私を忘れることはない。 あの眼差しが私から“本当に”逸らされることは無かった。 「ああ、そうだな きっと・・・」 呟いて、あとは心中に止(とど)めた。 あれが過ぎて、ずっと此処まで辿って来たから。 私が居て、君が居て、今が在る。 だから、これで良いんだと。 ・・・それに何だか、“イレギュラー”も増えたことだし? <イーノック>は、何かを変える。 そんな、気がする。 そうして、時々自分でも自分がよくわからない私は再び。 全ての期限もわからず、完全な休みも無い。 <世界の管理人>の仕事の続きに、戻っていった。 9頁← →7頁 |
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