一方、地上に降りた動物たちと“ひと”との間柄の顛末なのだが。 私は彼らを種族ごとにかなり広範囲に点在させた。 全ての地域にはそれに応じた多彩で豊富な植物があり、彼らはそれらを 食することが出来たので暫くはそれで済んで、動物たち同士の争いとい うものも特に無かった。 だが、均衡を破ったのは、アダムとイヴの子供たちのうちのひとりだ った。 親から独り立ちしようとまだ見ぬ住む場所を求めて旅に出た彼が、大型 の獣のうちのひとつに出会い、“ひと”を見たことのなかったその“地 上で生まれた子”が物珍しく近寄ろうとしたところ、脅威だと勘違いし て怯えて攻撃し、“見事に”打ち殺してしまったのだ。 その獣の天から降りた“両親”は、それを知って激怒し、復讐を企てた。 しかし、彼らはアダムとイヴ以外を知らなかったので、標的となったの は何もしていず何も知らない、同じように独立を試みた者。 先のまだ処を定めていない彼とは違い、地道に家を建て、辺りを開墾し 好みの植物を近くに寄せ植えて育ててみようと、のんびりと暮らしてい た犯人とは別の“ひとの子”だった。 アダムとイヴも事態に嘆いたが、彼らは温厚だったし、他の動物たちの うちに詳しい事情を知らせてくれるものもあったので、そもそもの“ひと” に落ち度があったのだと“抗議”するようなことも“刃を返す”ようなこと もけしてしなかった。 報復に報復で返してもきりはなく、けして癒えない傷を拡げるだけなの だと、彼らは悟っていたのかもしれない。 既に、生命(いのち)ひとつは、別の生命(いのち)ひとつで贖(あがな) われている。 本来の“犯人”は早々にほかの動物たちによって彼らの元に連れて来ら れた挙句、アダムとイヴには連綿と自分たちが至らなかったのだと深く 悲しみ嘆かれ、動物たちの総意によって“地上で最初の殺害犯”は特別 な“印(しるし)”となる絶対に消えない特別な“匂い”を施されて“追 放”され、その生涯が終わるまでを処定めること許されずに流離(さす ら)うこととなった。 ・・・“仕返し”が均等であれば、ある意味これで済むはずだった。 ところが、この事件の後。 あの“実”の時の不信感が再び彼らのうちで頭をもたげて来たのだ。 動物たちのうちには、アダムとイヴを信じるもの、しかし天で動物たち と同じ場で平等に育っていない子は信じられないというもの、そもそも “ひと”そのものが不審だというものなど。 動物たち同士でも意見が分かれた。 そして、小さな争いが絶えなくなり、それはより大きなものへと波及し、 “ひと”とそれに不信を抱いたものたちだけではなく、彼ら同士も疎遠 となっていった。 最初の事件がものの弾みだったように、強いものが弱いものを“殺し” てそれを何の気なしに口にしてみたことから、変異が広まり。 次第に、“草食”だけだった彼らは“雑食”と“肉食”にも分かれて行 った。 そして、互いに“会話”することも無くなった種族の間のうちから次第 に“天の言葉”は忘れ去られてゆき、全ての彼らの基(もとい)は一緒に 暮らしていて互いに話が出来たという遠い記憶の断片を伝えることは、 複雑な言葉を好み語ることに熱心な“ひと”以外では殆ど無くなってし まった。 それでも時折、本能の奥深くに眠る記憶の断片が語ろうとする。 ・・・皆、かつて同じ場所に居たのだと。 *** そして、もうひとつ。 “地上”に関わる重大なことがあった。 それは“堕天”の発生だ。 ルシが先の時で耳目にする伝承のうちに、かれ自身すらも含めて“堕 天”のモチーフは珍しくも無いが、何らかの時渡りに関する“制限”の うちなのか、それが“一番最初に”どのようにして発生するのかはルシ が“先に”目にすることは叶わなかった。 伝承はあくまで伝承であって、いわゆる“歴史”と呼ばれるものですら 実際とは違うことが多い。 特に“宗教”の形をとっているものは数々の方便や権力、その時々の状 況にも左右されるため差異・変異・編集はごく当たり前であり著(いち じる)しい。特に広く人口に膾炙(かいしゃ)し、長く伝えられるもので あればあるほど多様であり氾濫であり混沌である、と言い切っても恐ら く誤りではない。 しかし、それらの多くは真実の一端をもまた、裏表の虚実、形を変えた 影、筋書き、含まれる極一部の欠片など・・何らかの形で伝えている。 最初の堕天は、“地上”の様子を見ている天使の内からだった。 アダムとイヴは、最初から“伴侶”とするために創られ、“血は繋がっ ていない”。しかし、アダムとイヴの子は当然だが“ごく近い血縁”で ある。 そして、“ひと”が彼らしか居ないということは、アダムとイヴの間に 生まれた“娘”と“息子”同士のうちから新しい“番(つがい)”が組み 合わされることで、“ひと”は増えていかなくてはならない。 ・・・本来は、それでも支障は無い筈だった。 私は、アダムとイヴ同様に、彼らの子供たちが組み合わさっても問題が 無く“同じだが違う”ように彼ら同様に多彩を生み出すという仕様に “願って”、アダムとイヴを創り出した筈だったからだ。 ところが。 リリスのもたらした“ズレ”はそれを崩していた。 彼らは“近く”、“近過ぎる”もの同士の血の組み合わせは時に異常・ ・・・不健康や失調、劣化や様々な問題を引き起こす。逆に飛び抜けて 優れたものが生まれる可能性もあるようなのだが、それは“不安定”と も表裏一体であり、“安定性”と“安全性”を考慮すれば不利な条件と いえる。 いきものの具体的な繁殖には興味の無かったルシに頼んで、先の時でそ の血の組み合わせに関わる“遺伝子”についての資料を幾つか集めて貰 って、大雑把に把握出来た。 “ひと”というものはある一定の方向性として、“遺伝子”の詳細な “型”の組み合わせが違えば違うほど相手を“適性”であると認識する 本能というものがあるらしい。 他のいきものと違い、構造そのものはさして変えることはなく多彩な環 境で暮らすための、汎用性と適応性のためなのだろう。 “子供たち”のうちに“より近く合わない”組み合わせがあり、そし て、上手くゆかずに諦めて別れてしまっていた彼らのその嘆きを目にし ていたひとりの天使はふと“気が付いた”のだ。 “自分もひとに似た姿をしている”と。 ・・・そして、“願った”。 “あの子を助けたい。 もしかして、私だったら違う結果にならないか”と。 “かれ”は元々、幼い頃から時折親しく話すことがあった“息子”のほ うに好感を抱いていたようで。 身を焼き尽くすように苛む途轍もない変異の痛みにも耐えて“ひと”の “女性”に極めて近い姿に変貌した。 伴侶であった“娘”が、彼らの間で幾人かを失った後に生まれた、とて も賢いが虚弱な“子”を連れて去った後、独りで失意の内に暮らしてい た“息子”は。 幼い頃から知っていた筈の“中性”風だったかれの変容に驚いたもの の、美しくて優しい慕っていたかれが自分のために変わって、手を差し 伸べてくれたということに非常に喜んだ。 そして、彼らは“ひと”同士のように結ばれ、暫くを“伴侶”として愛 と親しみをもって過ごし、ひとりの可愛らしい“娘”を授かった。 だが・・・。 全て恙(つつが)無く・・・というわけにはいかなかった。 最初の例で既にわかっているように、“堕天”による変異は天使にとっ て“無茶”であり“過負荷”だ。 かれ・・いや、彼女はその“願い”が“心を寄せていたものの伴侶とな ること”だったためか、外見では明らさまな“不健康”な様子は見せず 繊細に儚げに美しかったが、それでも次第に床(とこ)に伏せがちになり。 数年と経たずに、やっと言葉を話し始めたばかりの娘と愛する夫に見守 られて、その最後の息を引き取った。 私は、残された青年の慟哭と、いまいちまだ“母”を失ったことがよ くわかっていないような幼い娘の様子を“画面”で眺めて溜息をついた。 こんな“悲劇”が待っていることがわかっているのなら、“堕天”は厳 重に“監視”して阻止すべきなのだろうか? ・・・・しかし、と私の思考は半分は哀しみながらも、半分はどこか冷 静に。これは“必要要素”ではないかと考える。 勿論、全ての“堕天”がかれのように“伴侶となる”ことを目的にす ることは有り得ないだろうけど。 組み合わせの“選択肢”が増えることは、まだとても数が少ない“ひと” にとって悪いことでは無いのではないかと。 そして、もうひとつの思いもあって。 ・・・・・私は、“黙認”を選択した。 ・・・・そして。 時折ぽつりぽつりと。 “地上”や“ひと”や関連する別の“何か”に惹かれて“墜ちて”ゆく かれらを、胸の奥に疼くような痛みを覚えながらも、何も言わずに“見 過ごす”。 “堕天”は本当に“存在”・・つまり“生命”を賭けることだ。 無事に生き残れる確率は低く、そして生き残ってもその残る時間は極短 い。 しかし、それでもかれらがその道を選ぶのなら。 “天使”であることを“捨てる”ほど“願う”のであればと。 私はそれを肯定することは出来ない代わりに、“見て見ぬ振りをする”。 “彼”や“彼女”と変じるかれらに、ほんの短い間でも、その切望した ものがあるようにと・・祈るように願いながら。 ・・・・ああ、またひとつ。 地上では“流星”が空を横切っているだろう。 凄絶なほど美しい、生命(いのち)を燃やす、“賭け”の光芒が。 8頁← →6頁 |
<Color>/<Second>目次/<Birds>/落書目次/筐庭の蓋へ |