旧“箱庭”に在った“亀裂”・・・いや内部の様相を取って“狭間” と呼んでいるのだが、は。 現在は、亀裂の生じていた“樹”だけ残して“箱庭”の空間をぎりぎり まで凝縮して詰め、樹の表面の裂け目、そして樹そのもの、更にその上 を空間自体を蓋(おお)うように包んで三重に封じてある。 そして“地上”から繋がっている、、“冥界”という名で呼ばれている天界 のような“小世界”のうちの一角の奥のひとつの空間に、更に結界を張っ た内に移動して安置した。 出来れば、消滅させる、という選択肢を取りたかったのだが。 <異世界>との境というのは<世界>同士の均衡に影響していることが あるので、迂闊に消してしまおうとすると、“こちらの何か”が反動を 受ける可能性もあった。 冥界の奥に置くことになったのは、取り合えず天界からは遠ざけるが、 万が一の異常が起きた際に対応が遅れそうな場所には置けない、という ことと。強く自責を感じているらしいルシの気が少しでも別の形で軽減 されれば・・、ということもあった。 そして。 天界には常時の“警備”と、必要な際のために“戦える”ものも必要な のだということを痛感させられた私は、新たに“戦い”を象徴する大天 使の卵を創り出した。 争うための戦いではなく、護るために、怠らない警戒と守護を。 有事の際の奇禍を撥ね退ける強さと判断力を。 そして、誰かを助けようとする堅固な意志と手を伸べる優しさを。 <ミカエル>と名付けたかれには、ルシに備わっている“戦闘仕様”を 元にしたものを“警備仕様”と半分重なった切り替え式で組み込んだ。 その能力だけで言えばある意味“双子”だ。 ルシにとっては“弟”か、とつい言いそうになって飲み込んだが。バレ ていたようで微かに苦笑されて、気にしなくて良いと笑みが返った。 卵から孵ったミカエルは、ルシとはまた別のタイプの仕事熱心で。 頑固な程の正直さと使命感に加え、少々融通が利きにくいところと生真 面目さには困ることもあったが。まあ護衛官というのはこういうものか もしれない。 また、まだ幼い時分のかれに、半ば遊びのように手慣らしがてらの身ご なしの基礎を教えたルシを、成長しても“兄”のように慕う様子は意外 と可愛いようなところもあった。 私の留守の間の天界を頼むぞ、と冗談めかしてルシが微笑むと、かれは 期待に応えようと真剣に何時も通りのごく丁寧な口調で。 落ち着いた色調の青い長い髪が肩から背に流れる頭を恭じるように傾け て、「はい、ルシフェル」と答えるのだ。 ルシとラジエルが組み上げた訓練手順により、特に非戦闘に特化して いる以外の中級天使の模擬訓練も徐々に定着していて、あの時の消え行 く翼の落ちているさまを目の当たりにしたルシも、少しだけ安心したよ うだった。 ミカエルと一緒に創った三つの大天使の卵も無事に孵り。 それぞれ、<ラファエル><ガブリエル><ウリエル>と名付けられた。 ラファエルは“癒し”を司り、物理的な怪我や損傷だけではなく、精 神的なものや、様々な澱みのようなものの解決や穢れの祓いなども扱う ので、対応範囲は多岐に渡り<世界>のどこかに出かけない日は無いほ どだ。 緑の色彩を帯び、穏やかな姿と声の青年の容姿をしていて、見るものや その話を聞くもの、聞いてもらうものを落ち着かせることが出来た。楽 を奏でることや、植物の成分を使いこなした薬剤以外に芳香などでも様 々な効果を扱える。 あえて難を言うならば、急ぎの用でない時は少々おっとりとしすぎてい るのが珠に瑕だ。 ガブリエルは“情報伝達”を司り、同じく<世界>中に駐在する天使 たちの様子を実地に見たり相互の情報流通を補佐したりする。伝令官で ありある意味では監査官のような存在でもある。 かれは通常別種族の“変化(へんげ)”しか持たない天使のうちでは例外 で、何種かの“ひと”のような姿をもっている。これは後に“地上”への伝 達者としての要素で必要になるのだろう。 基本の容姿は中性風なものだが、親しくイヴの世話を焼くためにか一種 の“見本”のつもりなのか最近は女性風の姿をしばしばとっている。 容姿のように性格もある程度多面性があり、闊達であり、快活であり、 典雅に優美でもあり、時には武人風のミカエルより剛毅でもある。使い 分けが出来る器用さがあった。色彩は花のような薄紅を基調としている。 ウリエルは“真実の探求”を司る、少々変わった天使だ。 学問や研究、創作によって辿り着ける“何か”を得る手助けをしたり、 その熱意の炎を絶やさぬように見守る。また、神の裁定の理由や預言の 内容なども管轄しているので、ガブリエルとはまた別の方向での伝達者 でもある。書物や文書の形のものを抱えて読み耽っていたりする時には、 そのうちに眠る真実や、その先にある更なるものを探しているのだ。か れがふとその手を開いて見るとき、その上には象徴である“真実の炎” が絶えることなく揺らいで燃えている。 ラジエルとは知識探求という点で共通しているようで何かが違い、どち らかといえば“芸術家”に近いような性格で、炎を映したような赤い色 彩と情熱の持ち主でもある(ガブリエル曰く時折暑苦しい)。 すくすくと順調に成長していった若々しく活動的なかれらは、そのの ちに“四大天使”と呼ばれるようになり、私の影のようでもあるラジエ ルや、出ていることの多いルシとはまた別の意味で、天界の活動する顔 触れの筆頭格のようになっていった。 *** そして、もう一羽。 四天使と同じ頃に成長を始め、もっと時間を掛けて到達した者が居た。 ・・・リリスが、あの時“手加減”したため生き残ったまだ幼い風情を 残していた少年の姿の天使だ。 本来、かれはもう成長を終えていたのでそれ以上変わることは無かった。 だが、リリスに叩き込まれた天使と言う存在への“悪意”はかれの完成 していた筈の構成に多大な衝撃を与え大半を壊してしまった。 だけれど、“子供”のようだったのが幸いしたのかもしれない。 かれは、折れた若木が再び継いで育つように、損壊と変化を吸収して新 たに成長を始めたのだ。 そして、色彩も大きく変わった。 磨いたばかりの銅のようだった髪は、透き通るような濃い青に。 黒茶の縁取りと白斑入りの新銅色だった翼も、髪と同じ色に。 赤みの強い茶だった眸は濃紺になり。 同様に赤味の強かった肌も、かなり色白に。 優しいおとなしい面差しや細身の体躯は成長しても変わらなかったが、 暖色から寒色へと印象がかなり変わった。 そして、かれには更に特殊なことが起きた。 “天使”であるという“最前提”は在り続けているのだが、もう一軸、 “ルシ”を主軸とする“前提”が構築されている。 これはかれが助けられた時に“ルシ”を認識して、再生の根底に生命の 救い主として焼き付けてしまったのだろう。 まあ、ルシが私のために在ってくれているのでこの二軸は矛盾すること なく成立していて今のところ問題は無いのだが。 問題は、もうひとつのほうだった。 影響原因がリリスの激情による“悪意”だったためか、天使にしては強 い感情を持ち易いのだ。 全てを強烈な一色(ひといろ)に染めやすいこれを、ラジエルは今まで天 使には無かった【魔】属性だと言った。 リリスの向かった<異世界>からはその気配が多く感じ取れるようなの で、そこに向かったこともまた変異した本能の導きなのかもしれない。 歪みの影響を受けて変異してしまった動物たちにも一部共通するものだ。 ただこれまた幸いなことに、かれはリリスの感情の根底にあった“強い 意志”の影響も受けていた。 安定が確認できるまでルシには迂闊に会わせられなかったので。 ラジエルは多方面で多忙な私の代わりに扱いの難しいかれを引き受け、 滅多に私(と平時であればたまにルシ)以外の他者の訪れない静穏な情報 編纂室で簡単な仕事の手伝いからをさせながら根気良く、かれに自分の 状況と、自分の意志を築き上げることと、良きにつけ悪しきにつけひと つの感情のみに囚われないように散らすことや落ち着かせるための方策 などを教えた。 結果、かれは落ち着いた丁寧な態度を取りながらも明るく、ラジエルの 元で見習った情報管理の諸方法を身につけた青年の姿の文官として成長 した。 かれが、漸くかれの“もうひとりの主(あるじ)”であるルシに対面した のはそれからもう暫く後のことだ。 出来得る限り問題ない状態にまでした元“箱庭”の動物たちを、いき ものの居なかった、あのいつかルシと一緒に見に行った薄緑の空と赤茶 色の大地の星に移すことが決まり、大気や植物たちの配置と整備も終わ ったので、いつかのように“移身(うつしみ)”の私とルシと、それに一 緒に伴われて来たかれ・・・プートは緊張気味に、あれ以来初めて直接 目にすることになるだろうルシを伏せがちの瞳で眺め遣っていた。 ルシはルシで少々ぼんやりと、赤茶色と点在する湖面ばかりだった大地 がとりどりの緑に覆われているのをそれから顔を出す岩山の上から見て、 空も地も緑になったとか呟いていたりしたのだが。 ふと、思い出したかのように何気なくルシはプートのほうに向き直った。 じっと見詰める黙って何事か考えているようなそれに、青年は更に緊張 して固まっていたが。 ふ、と溜息のような息をついたルシは、ふわりと間を詰めると。 片手を伸ばしてかれの“硝子”のように鮮やかな色彩の透き通るように 美しい濃青の長い髪を一房掬い上げた。 「・・・おまえの翼は、この色か?」 唐突な質問にかれは疑問符を浮かべたが、慌ててはいと答えてすぐさま 背に髪と同色の大きな一対の翼を現した。 不安そうな色を抑えて仄かに浮かべているその濃紺の眸に、ルシはその 姿をよく眺めるようにしてから、柔らかに瞼を伏せて口にする。 「・・・。 大丈夫だ。“青い鳥”は導きの象徴だからな。 おまえはきっと、私を助けてくれる」 台詞と言うよりも、どこかひとが歌うように。 かれはその後半の言葉を口にした。 髪を放して数歩離れた直ぐに、ふへっ、と吹き出すようにして可笑しそ うに笑み崩れたが。 「・・・格好付け過ぎたか?」 笑っている瞳が自分に向けられていることに気付いて、ぱちくりと瞬き をしたプートは、漸くかれが“気にするな”という意味のことを言った のだと理解が追いついたようだ。 安堵したように、繊細な面立ちが深い溜息をつき。 それから、別の意味でもう一度溜息をつくと、“言い返した”。 「・・・・ルシフェル様。 その例えは、わたくしがラジエル様から“元ネタ”を聞いていなければ 通じないと思うのですが・・」 ルシはおや、というように表情を変えるとくるりと瞳を動かして、言い 返しに更に返した。 「ラジエルにそれを持ち帰って教えたのは私だ。 “子供”用の有名な“お話”だからと言っておいたから、きっとおまえ に退屈凌ぎに話すだろうと思っていたんだが。・・・違うか?」 くすりと、細められた目の笑顔に。 「・・・了解しました」 プートは思い当たったというような表情を小さく覗かせていたが。 浅慮でした、と示すように、でも安堵したような苦笑気味に。謝意を込 めて笑んで、両手を少し挙げて掌を見せる“負けました”という風な仕 草をした。すうっと背の翼が収められて消える。 ルシはそれに理解している眼差しと、ごく軽い頷きを見せて返した。 ・・どうやら、かれらは相性が悪くなさそうなので、これで私もラジエ ルも一安心出来そうだ。 ・・・ところで。 「・・・・。 ルシ、私は聞いてない」 むくれて見せると、ルシがあれ?と首を傾げた。 「・・・・・。 プート用だったから、ラジエルに話して気が済んだのか?」 ぶー、と再度不満を示すとプートのほうが慌てた。 「あ、あの神、申し訳ありません。 わたくしでよければ、覚えているのでお話しましょうか?」 かれには悪いけど、首を振った。 「・・ラジエル経由だと、なんか省略されてそうな気がするんだよなぁ。 ・・ルシ! 用事も済んだことだし、もうそろそろ帰ろう。 で。私にもその話を聞かせてくれ」 仕方ないな、という表情でルシは肩を竦めた。 「・・・もう、うろおぼえだからな。 適当な本を、どこかで手に入れてこようか。 一先ず、先に帰っててくれ」 絵が綺麗なやつがいいな、と独り言のように以前見た記憶を辿っている のだろう思索の素振りを見せてから。じゃあ後で、と軽く手を振った姿 はその場からかき消えた。 見送って少々応対に困っているようなプートを促して天界へ一足先に戻 ることにする。 「プートも聞いてくだろう?」 折角だし、と私が言うと。 「・・・・そう、ですね。 お言葉に甘えて」 と、かれはもう一度緑の大地と空を眺め。 少しだけ自分と似ていたような動物たちに別れを告げるように一瞥を投 げた。 そうして、その更に後に。 秘書官としてラジエルに推薦されたプートが能力と適性を認められて 程なく、冥界の主(あるじ)となっているルシの副官にあたる“副冥主 (サタナキア)”という称号を設けられて授かることになり。 冥主(サタン)の主席秘書官兼雑務代行として務める傍ら、以前よりも 大分率直さが薄れてしまったルシの、気紛れのようにも見えるやや掴 み難い行動の応対に慣れていった結果。 私とルシとは少々違う方向の主従関係が出来上がっていったのは・・ ・・・また、別の話である。 *** そうして長らく、それなりに平穏に時は過ぎ行き。 天界に刻まれた傷跡のようなものは、大分薄く、次第にわかりにくくな っていくように感じられた。 “箱庭”ではあの“樹”が薄紅の丸みのある蕾をつけ、白い花を咲か せ、その後に明るい黄緑の実を結び。そしてもっと時間が経って、極々 薄(うっす)らと赤く色付いて来ていた。 アダムとイヴも青年の姿に近付いて来ていて、長くなった手足で以前よ りも楽々と時折また樹に登り、ほんのりと匂いがしてくるのを楽しみに、 少しだけ終りが近いのを寂しいようにそこから見える風景を眺め。 飛べたり樹に登れる動物たちは共に樹上で、他のものは下から見上げ て。その約束の時が訪れるのを、待ちわびていた。 6頁← →4頁 |
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