新たな<アダム>は現在、前とは別の場所に設けた新たな“箱庭”に 住んでいる。姿は青年と言うにはまだ当分は早い“少年”だ。 面立ちはどことなく私と似通っている点があり元気そうで、ごく白い肌 にくるくると巻き気味の濃茶色の細く柔らかな髪を少し伸ばして首の後 ろで括っていて、覗き込むと底に青緑が見える澄んだ黒目がちの茶色の 眸をしている。 体つきはまだ細いが、地上に降りて後の活動のためのしなやかな筋肉が 薄(うっす)らと全身を形作っていて、そのうちにもっと逞しくなるだろ う。 温厚だがやや大雑把な性格と外見は何となく“犬”のような印象だが、 たまに見せる気紛れにも見えるこだわりや細心さとじっと何かを見詰め る瞳が時折“猫”のようにも見える。少し不思議な雰囲気の持ち主だ。 もうひとり、彼の伴侶となるべきイヴも同じ年頃の“少女”だ。 赤銅色の肌に、ごく淡い白に近い金である癖の全く無い髪を肩につく辺 りで前側を切り揃え、背には少し長く伸ばしてアダムと揃いのように首 後ろで束ねている。 見た目は細身で華奢なほどだが、骨格は確りしているので成長につれて もう少し体形が変化すれば印象も変化するだろう。 年齢自体は変わらないのだが成長期のためかアダムよりもやや年長に見 え、甘い色合いの黄緑の草葉の眸が濃い肌色と白っぽい髪の中で目を惹 きつけ、控えめで優しい笑みを浮かべていたり、何かを熱心に考え込ん でいたり、くるりと悪戯っぽく輝くのを目にするのは何だか楽しくなる。 性格は落ち着いていて普段もの柔らかだが、思慮深く、少々大雑把なア ダムを時にはっきりとたしなめたりさり気無く手助けするのは相性がよ さそうで、私を安心させた。 2番目のアダムの変異前の身体は基本的な構成を含めて私や天使たち 同様の“無性体”に近いかたちをしていたが、実質的には一体のみで “子”を生み出せる“完全体”とでもいうべきものだ。 今回は、構成と構造自体の選択も大きく変え、更に1対の“性別”のあ る“型”を選んだ。アダムが“男性”であり、イヴが“女性”だ。 アダムは私やこれまで在った天使たちに大方似ているかたちだが、イヴ は成長すると輪郭に別の特徴が顕れる筈だ。 ・・少しだけ、リリスを思い起こす。 胸部の柔らかな隆起(今のイヴにはまだ殆どあらわれていない)は無かっ たが、上半身がやや細い分か腰部が多少丸く張っている輪郭になってい た。おそらく、願って叶わなかった“卵”のためのかたちではないかと 思う。 だから、[記憶]にある“原型”のうちで探り当てたこれを選んだのかも しれない。・・・これがただの感傷か、それとも必然なのかはわからな かったが。イヴにとって、一対であるアダムにとってもこれが“悪くな い”選択であるようにと、ただ今はそれだけを願っている。 天上で生活する間は、“地上”の準備やその他が完了するまで期限を 定めていないので、前のアダムと同じくらいの見た目から始まった彼ら の成長は大分緩やかに進むように設定してある。 本来は“摂取”と“循環”と“排出”の仕組みのある身体構造なのだが、 “箱庭”に居る間は大半の機能は成長に伴った大きさの形成などはする もののまだ活動を開始させていず、活動源は主に、私や天使が固形物や 液体を口にする時とほぼ同様のエネルギー変換によって賄われている。 実際にその身体構造が全部稼動した際に違和感や混乱を伴わないように、 それらの機能の封印の解除とそれらに関する“知識”、新たな“ひと” に定めた寿命を刻む“時計”は、全ての準備が終わって彼らが降りる前 にある手段で“解ける”することにした。 そのほかの動物たちも同様だ。 “箱庭”の一角にある、特別な大樹の“実”が十分に熟したら、旅立ち の“餞別”としてそれを口にした“箱庭”のいきものたち全てにその “鍵”の付与が行われる。 単に私から情報として書き込むとか制限解除するとか、薬のようなもの を介してだとしたら、つまらないなと思ったのだ。 良い香りの美味しい味を皆で口にしたのを“箱庭”で目立った最後の思 い出にしてくれたらどうかなとルシに言ったら、「・・君らしいかな」 と小さく笑っていた。 完全に熟すまでは美味しく感じないし食べても“無効”なので、動物た ちはとても広いのだという“地上”に少々不安がありながらも、いつに なるのかと結構楽しみにしてくれているようだ。 アダムとイヴはどんな花が咲くのかとか、良い香りというのはどんな感 じだろうと、樹に登って想像を話し合っていた。 “鳥”たちや“猿”や“栗鼠”がその傍で首を傾げて聞いている。 新たな“箱庭”の風景は、少々雑多な印象で賑やかだが、平和だ。 *** アダムが、“名前”というものに特別な興味を抱いているのは彼が育 つにつれわかっていたのだが。 ある日ふと“箱庭”を訪れた私が姿を見せずに、話す声の様子を窺って いると、アダムとイヴは面白いことをしていた。 草地の上の木の椅子に腰掛けた二人は、円形の卓上に置いた小さな “模型”を指差して、言語学習の時に行う“あてもの遊び”のような遣り 取りをしていた。 動物たちの姿を象ったそれは木製に彩色されていて、リリスの時のよう なものではなく彼らと似た構造の関連した[概念]に準じた姿をしている。 それのひとつを指して、アダムが言う。 「イヴ、これは“なんて言う”?」 少し思い出すようにしてから答えたイヴの“それ”は、私たちが用いて いる・・・つまり天界語で言う“それ”とは異なる音で出来ていた。 別のものでそれらを繰り返すのを見届けてから、私は彼らの背後に姿 を現した。 「・・・面白い遊びをしているね、二人とも」 訪問を喜んで挨拶してくれた二人は、私が彼らの考えた遊びに興味を抱 いていることがわかったので、アダムが立って空いていた椅子を私のた めに引き、ばらついていた模型をイヴが卓上に並べなおすと、その至極 簡単な規則(ルール)を説明してくれた。 今日、始めてみたのだというそれは。 主にアダムが思いついてイヴが承認した“対象の名前”を、交互に模型 や身の周りのものを指して質問し、その新たな名で正確に答える。 それによって考案者であるアダムも、協力者であり受容者であるイヴも 記憶が確かになり、十分に覚えてしまったらまた新しいものを加えて、 もう少し多くのものの中から選び出して示し、答える。 言ってみれば、“それだけ”の遊びである。 が。 彼らから、現時点までで決めてある分のそれらの“新しい名”を一通り 聞いた私は。 これは、“新しい言葉”なのだと[認識]した。 今は未だ、ものの名前だけだが。 これらに他の種類のものが加われば、会話のための言語として成立する。 アダムとイヴに、これはとても面白いから、“地上”で君たちが話す ための言葉としてもっと細かい部分まで作ってみたらどうかな?と勧め、 私も時々出来上がった分の遊びに加えてほしいと申し出ると、彼らはと ても面白がって「やってみます」とそれから色々なことの合間を縫って 根気強く熱心にそれに取り組んだ。 基本を作り出し系統立てるのが得意だが、少々大雑把なアダムと。 アダムほど新規に作ることは得手ではないようだが、似ているうちの差 異を示すものや、使い分けやそれぞれの場合に必要なものなど、応用や 補完に長けているイヴは。 様々な箇所で取り扱いについて意見の相違などが生じることもあったが きちんと話し合い、ある程度出来上がるごとに私に“報告”を兼ねて、 まだ彼らの間だけでしか使われていないその“出来立ての言語”で簡単 に遣り取りをし、私にも教えてくれた。 “新しい言語”の[概念]が“地上”の流れに伝わったのか、その出来 事の後に先の時間の様子を眺めに行ったルシが、「そういえば・・」と 前置きして話したことは。 新たな“ひと”は、様々な言語を作りだすが、それは時に必要に迫られ た手段や文化としてだけではなくごく少人数から大規模まで“遊びのた め”だけにも作られるということだった。 本当に系統立てて作りだすのには個の適性があるようだったが、どうや らこれは“新たなひとの特性”のひとつらしい。 たった二人居れば、そこに既に十分な言葉があって尚、新たな言葉が生 まれる可能性がある。 ・・“人間”というものは、不思議で活力的ないきものだ。 リリスが“天界”自体をも嫌った様子だったのは、おそらく“そのう ちの一箇所に閉じ込められて何も知らされずにいた”と思ったこともあ るのだろうと、アダムとイヴの時には、そうしないようにした。 勿論、普段過ごす場所として、新たに設けた“箱庭”はあるのだが。 私か、世話係の天使に申し出れば何時でも、付き添いはあるものの、差 し支えない天界の色々な場所を見に行くことが出来るようにした。 彼らは、天使が様々に過ごすのを目にし、また<世界>のために動いて いるその働きを直接的に、またはその話を聞くことで間接的に知って、 深く感心したようだった。 自分たちが後に“地上”に降りることもその大きな“構成”のひとつな のだと、リリスのように知識や理論、それと個的な親しみによる応えた いという情や理想への共感ではなく、ごく素直に直感に近い“感覚的” に納得したようだ。 彼らの瞳が無邪気な憧れと、やがて立つだろう未来を掴む決意のような ものを抱いて生き生きと輝くのに、私はこっそりと安堵の溜息をついた。 二人居る、ということもいいのだろう。 彼らは二人きりかもしれないが、けして独りではない。 そういえば、その際にもアダムは建材や木々や色々なものの名前を知 りたがったのだが、天界では必須でないものはそれを総合する名称と区 別する“識別番号”で呼ばれていることが多いと知って驚いていた。 思えば、アダムの“名前をつけるのが好き”なのはここから既に見えて いた。 まあ、天界には余り変化がないのでそれでも大概は事足りるのだ(ものや ことによっては、たまにルシが思いついたり最近時折に先の時間から持 ち込んだりし始めた“あだ名”のような通称はあるものにはあったりも するが)。 そうして、彼らは大分その新しい言語が出来上がって来た頃。 随分長いこと保留していたらしい、彼らの現在の“家”である場所、 “箱庭”に彼らの言葉で名前をつけた。 ・・・天上の揺り籠。ひとの萌芽(ほうが)を守る園。 神と天使に見守られた、緑豊かな小さな世界。 それ以降、彼らだけではなく。 私や天使たちにもそう呼ばれることとなる。 新たに与えられた音は・・ <エデン> *** 「それは、何ですか? 神様」 綺麗ですね、とアダムがそれに興味を示す。 私の執務室を見たがったというので世話係の天使が連絡して二人を連れ て来たのだが、他に支障のありそうなものは片付けてあったが机の上に 載せてあったものの陰に、うっかり“携帯電話”を置きっ放しにしてい たのだ。 ルシが、自分の黒と色違いで選んだ、私の髪色に似せたのか明るい透明 な金色に見える仄かにきらきらとした地が窓からの陽の光を照り返して いる外装は、確かに綺麗で気を引きつけ易い。 まあ、直ぐ引っ込めるのも余計気にさせそうなので、私用の特別な道具 なので触ってはダメだよ、とだけ告げて外装は好きに眺めさせておいた。 イヴも不思議そうにその滑らかな表面を眺めていた。 そして、ふと思い出したようで呟く。 「・・・黒い天使様も、こういう感じの真っ黒い艶々したものを、持っ ていらした気がするの。同じものですか?」 ・・・流石、イヴはそういう記憶が正確だ。 ルシは、“前のアダム”の教訓・・・というよりも深刻だが、により アダムとイヴに対しては大変慎重な関わりしかしていないので、殆ど彼 らのところに顔を見せることがない。 一時期は、もう殆ど薄れている以前の‘人界’を見ることも避けたかった のか、天界内の山積した新規仕事の手伝いを大分長いこと務めてくれて からやっとまた時を渡り始め、それでもまだ怖かったのか前の時間と‘自 然界’ばかりを旅していたりもしたのだが。 私が新しい“ひと”を創り出すことに決めると、その<分岐>が現れて おっかなびっくり覗きに行ったようだったが。直ぐに、その多様さに興 味を持ったようだった。元々、かれはその能力に付随するものなのか、 好奇心が結構強いのだ。 それでも、暫くは以前のように物を持ち帰ろうとはせず、出先からの連 絡以外でも口頭報告や映像情報を持ち帰るのみだった。 でも、アダムとイヴの様子が安定していて順調な様子なので漸く少し安 心してくれたようだ。アダムが新たな言葉を作り出した後にとても多様 で多彩で複雑な<分岐>とその派生が現れたと興味深そうにしていた。 先の時の、前よりももっと色々な特性と形状の衣服にも興味を持ったよ うで最近、やっぱり黒尽くめのままだが新しい服に着替えたのを見せに 来てくれた。 今は、この“携帯電話”を持って来た時に引き受けてくれた地上のい きもの用の死後の魂の管理予定場所である“冥界”の機構調整と構成員 的配置整備等にとても忙しくしていてほぼ詰め切りだが。 たまに気分転換のように先の時間の様子も見に行っているようで、“メ ール”や“通話”で報告をしてくれたり、小さな土産を持ち帰ってくれ るようにもなった。 アダムとイヴ自体のほうも、最低限だけしか顔を見せずにしかし“疎 んじている”などという印象はけして与えないように、親しみのある態 度で近付きすぎないで・・などという苦心をしているルシのことは、ど うやら“仕事で忙しくしているので滅多に会えないけど、黒の綺麗な天 使様”という辺りの印象のようで、ごくたまに見掛けたり軽く挨拶する だけでも喜んでいるようだ。 割と、普通の天使たちがルシに見せる反応と変わらない。 ・・先の時でいう“アイドル”というようなものなのだろうか? 今回は、私に対する“刷り込み”はあえて行わずに、世話をすること で慣れて貰ったし信用も尊敬もされている。 今のところ特に問題は生じていない。 ルシ自身は、新しい“子供”たちも可愛いし綺麗だと思っているよう なので、折角の成長期に親しく出来ないのはアダムとイヴにも残念だし かれも可哀想だとは思うのだが。 また、きっとアダムとイヴの子供たちが“地上”で元気に走り回るとき に見に行って眺めて和めればいいなと。そう思うのだ。 5頁← →3頁 |
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