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<Second>-third :Lilith 暗い奥を抜けて“別の何処か”に行こうとしていた矢先。 新たに現れた裂け目の向こうに、今一度(ひとたび)の未練・・というの とは少々違う興味が沸いたが。 出た先の状況がわからないのに、“天界”に属する場所に迂闊に顔を出 すわけにはいかない。 裂け目と、おそらく“観測者”であるわたしと、この空間の中に“映る もの”はどうやら対応しているのではないかと思われるが。 ・・もし、新たな“ひと”を育てるのにわたしの時と同様の長い時間を 掛けた後の“場”だとすれば、多分それなりの“後”ということになる だろう。その“作業”を始めるまでの“間(あいだ)”に掛かった時間も わからない。 ・・・しかし、どうしても先程目にしたものが気になる。 何か、情報が得られないだろうか? もう“地上”に降りているのであればこの先には居ないのかもしれない が・・わたしがこれまで見た映像は今のところ“先”のようだった。 もしもまだ居るのなら、実際に見られる、かもしれない。 どうしたものか、と思案してふと。 この空間の中にある“力”の要素の気配に気が付く。 “閉鎖” “停滞” “繰り返し” ・・・この“場”は閉ざされていて、時が停滞し、“切り取られたのだ ろう断片”を繰り返し映し出している。 感じ取ったそれのうちの、“停滞”と“繰り返し”に感覚の“手”を伸 ばす。 大気から食事をする時と同じように、しかし両手でそれを巻き取り、絡 め、簡略に編み上げる。・・・ほんの、一時的な目眩ましの役に立てば いいのだ。長居する気はない。 見覚えている“あの薄布”のように薄く、しかしその包むものを透かし て通さない“力”の蔽布(おおいぬの)が、朧なように形を成す。 空間内で試しに蔽布を手にして場所を移してみると、蔽われた部分が外 から知覚される分には、実際に居る位置に現れるのが大分遅れ、更に “繰り返し”でぼやける効果があるらしいことがわかった。希望通りに、 内側からは影響を受けず多少ぼやりとするものの普通に見えるように編 めたようだったが、念のために目元近くはすぐ開けられるようにしてお く。 頭から足元までぐるりと動きを妨げないように纏えたことを確認して、 ひとつ呼吸し。慎重に引き開けた新しい裂け目の向こうに、辺りの気配 を探りながら滑り出た。 *** そこは、緑に溢れていた。 外(?)側の裂け目は、今度も樹の幹に隠れるようにして開いている。 遠くやや近く、賑やかにいきものの気配や鳴き声のようなものが活動を 示している、生き生きとした空間。 わたしの知っているものとは雰囲気が違い、雑多な気配に満ちてどこか 開放的ではあるが。 ・・・。 此処は、“箱庭”だ。 “遮られて”いる遥か上空の気配を認識して。 此処が新しい“囲われた”庭かと、そう大して余り代わり映えもしない ような気がしたそれにばかばかしいような思いを抱いた時。 直ぐ近くで、がさがさと枝葉を分けるような軽い物音がした。 「?」 横・・ではない。 ・・・・・・・・上? 頭上に目を遣ると、重なる葉の間から何か木の枝とは違うものが見えて いた。 ・・・・・赤味がかって仄かに輝くような肌、のすんなりとした足先。 位置を変えて見ると、少々高い位置の枝に危なげもなく。 ひとりの“ひと”が腰掛けていた。 まだ少々華奢な印象で凹凸も白黒の荒い画像で目にしたよりも目立たな いが。動きやすそうなゆとりのある白い短衣と飾り帯とやや短めの足通 しを身につけているまだ若い“ひと”の容貌と白に近いような金の髪に は、確かにあの面影のようなものがあった。 ぱたり、と軽く、健康そうな裸足の両足が上下する。 枝と幹とについてごく軽く支えている、半袖から伸びている両の腕。 わたしも元々、緑の中で暮らす性質上から木登りは当たり前のようにこ なせたが・・・新しい“ひと”から感じる“構造”は天使やわたしとは 全く違う。複雑で脆そうな、それ。 しかも、気付かれないようにと大まかにそっと探ったその構造はその殆 どがまだ“稼動”されていない様子で、精妙にもまた随分と奇妙にも見 える仕組みがその内を埋め尽くしていた。 一部しか稼動していない現状では、わたしや天使たちと似たようにエネ ルギーを糧にしているようで、“気”と共にそれを宿す“液状の流動体” を媒介にして、“核”とは違うが近いような位置にあるものがその“流 れ”を全身に送り出しまた迎え、別の部位がそれと連動して大気を呼吸 して取り入れるものと混ぜ、外に返し。 ・・・それらを、決まった間隔の動きの・・・“拍動”、と共に繰り返 し続けている。 ・・・・。もしも衝撃を与えたら、どこか壊れたら、元に戻るのだろう か? 完全に見上げるほどの高所に、そんなに気軽に居ても構わないの だろうか。 手作業で作ることが出来ると見本に見せられた、美しくとても繊細な木 製の“工芸品”を恐る恐る手にした時と似たようなものと、それに、小 さな柔らかな動物を手の中に抱(いだ)いた時のような感覚が綯(な)い交 ぜになり迂闊に近付き難いような気分になる。 ・・・だが。 ゆっくりと巡らされた瞳が下を向き、見えてはいない筈のわたしを“通 り抜け”て地面の辺りを見た時に。 その新鮮な香草のような黄緑が瞬いて、活力と同時に思慮の気配を 帯びるのに、それが慕わしいものであるかのような感覚を抱(いだ)く。 同族ではない筈なのに、まるで、“継がせる”相手を目の当たりにして いるような、錯覚を。 ・・・・。 あの瞳に、わたしを映してみたい。 声を聞いて、話をしてみたい。 独りで抱えなければならなかったものを、同じ最初の“ひと”として話 すことが出来たなら・・・。 それは、理解しあえる“同胞”を求める切望だった。 頭上の視線が逸らされてやや薄曇りの空を眺めたことで、我に返ったが。 わたしは自分が一瞬で相手に好感を抱(いだ)いたことに、自己嫌悪のよ うなものを感じた。 ・・わたしは、何をやっているのか。 “これ”もわたしと似たようで別の道を用意された、新たな生き人形に 過ぎないというのに。 皮肉な苦い思いで溜息をつくが、会話をしてみたいという気持ちは薄れ なかった。・・映像の通りなら此処には恐らくもうひとりの“ひと”が 居る筈だが。ひとりだけのほうが話し掛けるのには好都合だろう。 思い切って、顔の周囲だけが見えるように頭には被ったまま蔽布をずら す。 「・・・・元気そうだね」 何といって話し掛けるべきか迷い、妙な呼び掛けになってしまった。 単に思いつかずに、その思った様子を口にしただけなのだが。 頭上の姿は驚いたように目を瞠ったが、視力はそれなりに高いのか直ぐ に見上げた顔の辺りだけ見えているわたしを見付けて、不思議そうな表 情を浮かべた。 「・・・・・貴方は、誰? 私を知っているの?」 近くで見ようと思ったのか、怖れる様子も無くするすると幹を伝って下 に降り立ち、わたしの直ぐそばにやって来る。 「・・・どうやって、隠れているの?」 顔辺りしか見えないわたしを不思議に思うようだが、“中空に浮かぶ顔 だけ”だと思い込んで気味悪がったりはしなかった。物怖じしない性格 のようだ。 わたしのほうが背が高いので、淡白金に縁取られた赤味の顔の中で目を 惹く黄緑の眸が、興味深そうにじっとわたしの顔を見詰めている。 ・・・・読み取れる気配からしても、天使やわたしのように何らかの “力”を有しているようには見えないのだが。“脈動”・・・とでもい うのだろうか。動き続ける確かな何かと、存在する意思がわたしに向け られているのを感じる。 とりあえずどう答えようかと思案していると、向こうからもう一度声が 掛かる。 「・・・もしかして。 貴方が、神様が言われていた“先に生まれたもの”?」 期待を込めて輝いた瞳に、エルは“失敗作”であるわたしのことを話し ていたのか?と疑問に思いながらもとりあえずそうだろうと思い頷く。 「・・・本当? “居なくなって”しまったと聞いていたから、会えるなんて! 嬉しいな・・・! ・・・凄く透き通った緑の眼に、お月様みたいな肌、夜みたいな黒い青の 長い髪。・・とても、とても、綺麗ね」 甘やかな色合いの眸が、純粋に憧れのようなものを込めて、綺麗な言葉 で例えて自分を見詰めるのは悪くない気分だ。 きみもとても“綺麗”だと返すと、・・そうかな?と照れたように微笑 んだ。一緒に居る筈の相手は褒めないのだろうかと思ったが、幼い頃か らずっと共に育っていると見慣れていて当たり前なのかも知れない。 エルやかれは・・流石に、わたしで懲りているだろうしな。 もうひとりらしい<アダム>(やはり同じ名前か)にも会わせたいと言 う<イヴ>(という名だそうだ)を制して、こっそり来ていて余り時間が 無いのできみだけと少し話したいのだというと、事情があるのだろうと 思ってくれたようで残念そうにしていたが、呼びに行くのは諦めてくれ た。素直で優しく、裏があるなどとは思ってもみないようだ。 “隠れ身の布”なんだと説明して、首や肩口の辺りを少し寛げて蔽布の 存在をイヴに示すと興味深そうに、直ぐにきっちりと今度は目元だけ残 して纏ったわたしを観察している。 わたしの要望に応えて簡単に話してくれたことによると、この“箱庭” にはわたしの時とはまた別の“期限”が定められていて、此処に居るい きものたちはとある特別な“樹”の“実”が完熟した後(のち)に“地上”に 降りる予定らしい。 ・・それがおそらく“稼動”の“鍵”か。 「・・・時が満ちると、とても良い香りがするのですって。 少し、寂しいけれど私もアダムもそれを楽しみにしているの」 直ぐ近くにあったそこに案内してくれたので、緑の葉の影に艶やかな赤 い色を覗かせているそれを感覚を総動員して探ってみる。 ・・・・ほんの微かに、“匂い”がする。 甘く瑞々しい、酸味を少しだけ適度に混ぜた、美味しそうな香り。 「・・・イヴ。“匂い”がするよ」 「えっ?」 ・・しないよ?と顔をあちこちに向けてみたイヴは首を傾げた。 これはつまり、未(ま)だ“わたしの嗅覚”でないと感じ取れない程度、 ということか。 だが・・・。 イヴの姿を、もう一度よく眺める。 可愛い綺麗な、元気で物怖じしないイヴ。 アダムときみが楽しみにしているそれは、きっときみたちに苦難をもた らすというのに。 ゆら、と奥底に蠢き続けている黒いものが顔を出しそうになって急いで 蓋をする。今のわたしを綺麗だと面と向かって褒めてくれたイヴには、 そんなものは見せたくない。・・・きみはなんにも悪くないんだ。 ふと、思いつく。 わたしは何故、“この時間”の“この箱庭”に来たのだろうと。 ・・・・もしかしたら、このためなのかもしれない。 僅かなりと、新しい“ひと”を助けたいと、心の何処かで“願って”いたの じゃないだろうか。 ・・・・・。 そうだ。 ほんの少しだけ、時間を速く進めよう。 きみたちは、必ず“地上”に降りるんだ。 ・・・いずれ、きみたちを送った天に落胆と苦労をするのなら。 早いほうが、良いじゃないか。 “幸福”と思い込んでいる時間があるほど、そうでない後は、辛いのだ。 それに、きみにはアダムが居て独りじゃないのだから、それでもきっと 降りてからのほうが“虚構”よりも幾分ましな筈だ。 軽く跳躍して高い位置のひとつの実を難なくもぎ取ったわたしに、イヴ が目を丸くする。 「・・・凄く跳べるのね、リリス。 でも、あの、それはまだ取ってしまってはいけないんじゃ・・」 困ったように、でも興味深そうにわたしの手の内の赤い果実を眺めてい るイヴに、ぱきりとそれを縦二等分して見せる。 「・・匂いを嗅いでご覧」 内側にだけ生じて小さく封じられていた、本当はまだ漂い出ない筈のそ れが、イヴの嗅覚でも捉えられたようだ。 「・・・本当だ! 匂い、しているのね。 美味しそう」 嬉しそうにしたイヴに、安全を保障するようにわたしもそれを一口齧っ てみせる。半分を差し出そうとしたが、イヴは首を振った。 アダムと一緒にずっと待っていたから、一緒に食べたいのだという。 なら、ともう一度跳躍して手頃なものを空いた片手にふたつもぎ取り、 イヴに手渡してやった。 差し出されたものを目にしてほんの僅かにまだ迷うような様子は見せて いたが、匂いがあったことでわたしを信じてくれたイヴは素直に礼を言 って、受け取ったそれを落とさないよう大事そうに抱える。 「有難う! ・・・リリス、もう、行っちゃうの?」 わたしが切り上げる仕草を見せると、イヴは少しだけ幼い懐いたような 様子を見せて本気で別れを惜しんでくれた。・・・・本当に良い子だ。 こんな子が生まれていたら、わたしは喜んで“地上”に降りて、次の長 にしようと大切に大切に育てていただろうに。 ・・いや、それはもう、考えても詮無いことだ。 「・・・・じゃあね、イヴ。 アダムに宜しく」 顔を覆っていた蔽布を引き下げて柔らかなイヴの頬に軽く口接け、さあ 持って行ってあげて、と布から指先だけ出して振って見せる。 イヴは躊躇した様子を見せて、じゃあ・・と数歩行きかけ。 身を翻して戻ってきた。顔しか見えていないわたしの肩に実を抱えてい ないほうの片手を掛けて引く。 「・・・さよなら、リリス。“先に生まれたひと”。 また、いつか」 薄(うっす)らと滲んだ涙と共に、頬に口接けが返された。 じゃあね、と手を振って。 思い切るようにもう振り返らないその背が、淡い白金の真っ直ぐな髪を 束ねた房がさらりと揺れて、遠ざかってゆく。 「・・・・」 また、は無いんだ。イヴ。 後ろ髪を引かれるような想いで、踵を返す。 ・・・・新しいふたりの“ひと”。 どうか、きみたちに“幸運”を。 イヴの気配が完全に遠ざかり、周囲にもこちらに注意を払うものが無 いことを確認して素早く元の場所まで戻って裂け目に滑り込む。 一口齧った残りと手付かずの半分の実は、見つかりにくいところに捨て て来た。 そして、本気で“力”を込めて内部にある“閉鎖の力も混ぜて”その裂け 目を完全に“閉じ”、周りと差が無いように“均(なら)す”。 この裂け目が開いたとき同様に引っ張られた分か、逆転するように元々 あったわたしが来たほうの裂け目が再び少し開いたが、構わない。 万一、イヴやアダムがこんなところに迷い込んで離れ離れになるような ことや、もっとややこしい事態になってはいけないと思ったのだ。 これで、いい。 丁度耐久時間切れだったのか、もろけ解(ほつ)れて来ていた蔽布を脱 ぎ捨てる。布は直ぐに元通りに、空間に溶けて合わさって形を失った。 この空間を改めて見渡す。 ・・・もう、何も映っている画面は、無い。 わたしの心残りは、もう無いんだ。 暗く沈黙したままの不規則な配置の“画面”の間を縫って、“奥”へ向 かう。 微かな“風”のような、音がする。 吹き渡る、遠くゆくそれのような。 嘆くような、唄うような、何かを語るような・・・・・ この向こうにも、いきものは居るのだろうか? それとも、とても寂しい場所なのだろうか。 でも、後悔は、きっとしない。 ただ最後に、振り返らずに思いを込めた。 さようなら、“箱庭”。 ・・・さようなら、イヴ。 過去と断絶する意志を込めたわたしの足音が、床音などしない筈の空 間に響き。吸い込まれるように、暗闇に消えていった。 →→→→→time jump link [エルの以前の記憶の先に戻る(Sec-sec 終盤へ)] [リリスの行方を追う(Sec-thi:Li の続きをこのまま)] |
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