・・・・・・。 私は、何をやっているのだろうと。 気が付いたのは、彼に二度目に会い、別れてから数日後だ。 確かに、私の教えたことが心配そうだった彼を安堵させたことは確かだ ったし、こちらとしても“エルが気に入った”という突然たったひとり で見知らぬ此処(てん)に来る羽目になった彼に少しでも何か“私なりに 出来ることがあれば”とそれなりに真面目に考えていたのは確かだ。 “現在”にごく近い位置を見て回ることは滅多に無いので、他のこと も見て回るついでに出来るだろうと、ラジエルに情報を確認してから彼 の居た家を目立たないように“鳥”の姿で訪ね。 家人はその家や大体近くに大して動かずに住み続けていたので、三回ほ ど“先”へ飛んでみたが追うことも殆ど造作も無かった。 悪くない結果だったので、特に別の札(パターン)を探してみる必要も無く。 私も仕事ついでに苦労もせず、彼も喜んでくれたから“一石二鳥”とい うものかなと。とても気楽に考えていた。 見るからに生真面目そうな彼にこれ以上気を遣わせてはいけないと思 って、敬語・丁寧語を禁じてみたりしたら懸命に言われた通りに普通に 喋ろうとしていて、背丈は私とほぼ同じくらいだが厚みのある確りと鍛 えられている体躯をしている青年が、困ったようにしながら言い直した りこれでよいのだろうかという風に躊躇ったりしているのを見ていると 何だか可愛らしいような気すらした。 ・・・でも。 何故、私は彼が最初“何もない”と遠慮したのを重ねて問うて希望(の ぞみ)を答えさせたのに。 ただ、ごく普通に“現在”の様子を見に行くだけではなく。 “先”の札のひとつを見せようなどと、言ったのだろう。 彼に言ったように、確かに彼は“特別”だ。 だが、彼に・・・。いや。 “ひと”に、“先”を告げることは・・・本当に良かったのだろうか。 彼個人に関することであり、仮に差異があっても多大な影響は無い筈 だ(彼自身の寿命に関することではないし、普通のひとは私たちから見 たらそう遠くでもない先に必ず寿命が尽きるものだ)。 “ありえる可能性”のひとつであるという前置きをし、どんなものでも 構わないのかという仄めかしを含めてみたが、彼はそれでもいいと選択 した。 ・・・彼がそれならいいと遠慮で答えたなら、私は普通に見に行くつも りはあったのだが・・。随分と意地の悪い言い方に聞こえただろうか。 それじゃなければ見に行かないと、多分彼はそう思ったのだ。 少々悪戯めいた言い回しのつもりだったのだろう。あの時の私は。 ・・・・・。 エルの冗談癖が悪い風に移っただろうか。 何だか自己嫌悪に陥って、天界にまだ暫く居たというのに、彼の元へは ちゃんと顔を出す気力が足りなかった。 戸外で見掛けた折に通りすがりに挨拶するように手を振ってみたり、遠 目に様子を窺っていたりはしたのだが。 結局、そのまま再び遠いほうの時へ手間の掛かるものを調べに出かけて しまった。 だから。 数年後にあたる“現在”で。 彼が、私を見上げてとても喜んだのに驚いた。 ・・・彼は、気紛れのように構ったきりの私に、まだあの時の喜んだ気 持ちをそのまま抱(いだ)いているのだろうか・・・と思ったが。 何だか少々違った。 もう、心構えが出来ているのか普通に私の指示したように対等に話して くれるし、全面的に遠慮がちだった以前とは別の、親しみを込めた気遣 いを示してくれる。 だから、ラジエルが珍しくも気紛れを起こした様子を聞いた時、彼が “喚ばれた”時のエルの気紛れ、を思い出し。 それから、私の気紛れ・・を思い出した。 彼は生真面目そうなだけではなく、もう此処に大分慣れた様子で落ちつ いている今では、元気そうでもあり優しくて暖かい態度を示してくれて いて・・・まあ、いいやつだな。 今のところ文句のつけどころが無い。 いきなり連れて来られて、あれこれこちらの都合だけで振り回されてい る“ひと”だというのに、本当によくやっている。 それに引き換え、私は何だと。 以前の失敗のことも思い出して、沈みかけた時だった。 彼が視界の端で動くのを認識して、俯いていた顔を上げて問い掛けると。 彼は少しだけ距離を寄せて、私の様子を覗おうとしていたのだ。 ・・・自分が何か気に障ることを言っただろうかと。 上のものに対する“保身”ではなく私を本当に心配してくれている気配 に、酷く切ないような気分になって、かろうじて笑みとおまえのせいじ ゃないという否定だけを返した。 ・・・・・。 私は、以前の失敗で臆病になっているだけなのだろうか。 これは一種の“疑心暗鬼”というものだろうか? エルに頼まれた質問を片付けた後、私は少し彼と“遊ぶ”ことに決め た。沈んでいたり、臆病になっていても仕方が無いのだ。 彼は新しい“ひと”で色々違うのは当然だが、“前のアダム”じゃない。 向こうが私に好意を向けてくれているようなのに、私が彼では無い影に 怯え続けているのは建設的では無い。 “鬼ごっこ”をしているうちに、何となく彼が流石にこういう状況では 色々気にしていたらしい遠慮のような気配が、別のものに変わっている のに気がついた。・・・彼から、“ムキになっている”ような印象を受 けたのは初めてだ。といっても、性格が性格なので言動や態度は相変わ らず生真面目な様子なのだが。 多分、“やってみろといわれたことが上手く出来ない”ような感覚なの だろうか。つくづく真面目、だな。 ・・一寸面白くなって来て、要望通りに“鬼ごっこ”を続けた。 ・・・・確りした掌が、私の腰の上、胴との境目を掴まえるようにし たまま“予想外”と顔に書いてあるかのような表情でこちらを見上げて いるのに、私も驚いたといえば驚いたがそれはほんの軽いもので。 服越しに触れているその感触と気配には、特に違和感も不慣れなものが 向こうから近付く怯えのようなものも感じなかった。 見た目では落下する私を掴み止めたかのようにも見えなくも無い体勢に、 彼の脳は手を離していいものかと迷ったのかもしれない。 そのままで、彼は至極曖昧に、何か、おそらく謝罪を口にしようとしか けた。それを遮るように、先程泳いだ時の格好のままで少し余裕のある ズボン状の下衣とサンダルしか身につけていなかった彼の褐色の肌の片 腕に私の片手を軽く置いて、終了と彼の負けを改めて宣告する。 そして好奇心のようなもので、中空に浮いていたのを止(や)めてみた。 ほんの微かに位置が“落ちる”と同時に、彼の掌に少し力が込められた。 反射的に、落とさないようにと思ったのだろう。 だが直後、彼は何かに酷く驚いたように動きを止めた。 完全に沈黙する。 どうした?と尋ねてその眸を覗き込む。 明るい、南の海の色を思い起こさせるような。暖かな水の緑。 瞠られていたそれが、瞬きをして。 彼は・・・・・・・私にとって“予想外”のことを口にした。 それは、彼に比べれば相当軽い、のはわからなくもないが。 子供みたい? 今の私が? ・・・・・・・。 何だか、何だか。 その言葉が思考の内に叩き込まれたように響く。 落ち着けば、“子供みたいに軽い”という重さだけの例えであって彼は けして“子供っぽい”というような意味で言ったわけでは(この時点で は)無かったのだが。 私はどうしてだか、そう言われたことがとても腹立だしいような気がし て、ぱしりと置いていた手を払って叩き、その掌の内から擦り抜けた。 私が機嫌を損ねた様子を見て、彼は記憶にあったものと重ねたのだと説 明して真摯に詫びてくれた。 ・・・。これでは、子供っぽいと本当に言われても仕方がないと思うが、 素直に詫び返すことも何故かしにくかった。 でも、悄然とする彼を見てやっぱり私が悪いのだと思って、もういいと いう意味のことはいったけれど、どうも歯切れが悪かったのでどう取ら れたかはわからない。 それでも、彼は重ねて、謝ってくれた。 ・・・・・。 おまえ、相手が悪くても大概自分も悪かったとか考えるだろう。 余りのお人好しさと真っ直ぐさに、おまえは本当にバカだと言ったが。 それでも彼はそれに不服を示したりはしなかった。 また会いたいかと尋くと頷いたから返事をし、姿を消して去ったと思わ せて様子を見ていると。 彼は、辺りを見回して唐突に消えた私の姿を探しているようだったが。 最初の時のように、本当にぱっと居なくなってしまったと思ったのか。 空に向かって、手を振って別れを告げてくれていた。 見ているかもしれないとかまあ、思ってるわけ・・・・無いな。 ・・・・・本当に、バカがつく程いいやつなんだが。 溜息をついて、私はエルの元へ“跳んだ”。 *** エルにその経緯を話すと、一瞬間を置いて吹き出してひどく可笑しい ように笑っていたので、少し拗ねてなんでかと問うと。 かれには理解できた“私が機嫌を損ねた理由”を説明してくれた。 エルによれば、私は“エル以外の年上を持たない”ことと“天使の長子” であるため、天界の天使たちに対してぼんやりとひとでいう“血族の年 長者”のような感覚を持っているらしい(余り自覚は無いのだが)。 そこに、“新しいもの”、新入りで天使のうちでは“最年少区分”に入 る上に、見守る対象でもある筈の“ひと”のイーノックが増えたから。 「・・・“お兄ちゃん”として面倒を見ようとした相手に、“子供みた いだな”って言われた気がしたから、不服だったんだろ」 正確には性別の無い天使の私は“お兄ちゃん”ではないが、まあ見た目 的にはそうか。 とりあえず納得出来た私に、エルはまだ名残の笑みを残しながら言った。 「・・・ルシ兄ちゃん、イーノック君の面倒をお願いなー」 ああ、なんか別の感じに腹が立ったような気がする。 これは“エルに対して”かな。 机の傍に立っていたので、椅子に掛けていたエルに間合いを詰めて、そ の額を片手の親指と人差し指でぱしりと弾(はじ)いた。 「ぉっ、なにこの至近距離指弾」 大して痛くは無かっただろうが、エルは一瞬びっくりしてから面白そう に瞳を閃かせた。 「“デコピン”って呼ばれてたぞ。 “額(でこ)”を“弾(はじ)く”からじゃないかな?」 ピン、と口で言いながら空中で指を弾く仕草をして見せて、ごく一般的 だが達人がやると怖いらしいぞ、という割とどうでもいい情報も付け加 えておいた。 エルが何かを思いついた風にみせて、よし、四天使に教えてみようと言 い出したので呆れた顔をしてやった。ミカエルに教えるとデコピンの修 行とか大真面目に始めそうだからやめてほしい。 「それは却下する」 こめかみの辺りに両方の拳を当ててぐりぐりしてやった。 「これも人間がやられると痛いらしいやつ。でも一般的」 「技の名前は?」 「・・・・なんだろう」 「・・・ルシの手落ち」 ぽかりと軽く殴っておいた。 その後々。 イーノックが本当に私のことを“子供っぽい”と認識して、そのよう に思われると“わかる”程に度々目にすることになるのだが・・。 そんなことはまだ、当時の私には知る由も無かった。 END. <Second>-third ;Lilith 1頁に戻る→ |
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