此処は、どこだろう。
静かでひんやりとした、暗い場所。
身体を起こそうとすると、小さな灯りが点燈して視界が明るくなる。
柔らかな薄い粘性がある半液体のようなものの中に半分浸かるように寝
かされていたらしいわたしは、その涼やかで仄かに甘い香りにすう、と
ひとつ小さく呼吸する。植物の何かを混ぜ合わせた香りだろう。
光を淡く宿して透き通る緑のそれは、色も心地良い。
半身を起こし、腕を持ち上げてわたしが居るらしい無色透明な容器のよ
うなものに触れてみる。石・・のようだ。
ごく薄く加工されていて、軽く押してみると内側からでも開けることが
出来るものだったのか、上部が分かれて下部にゆっくりと畳み込まれて
行った。
その外側は、光が行き渡らず薄暗いけれど。ぼやんと柔らかな空洞の気
配がする。この以前に覚えがある感じは・・・大きな樹の洞(うろ)の中
だろう。緑に親しいわたしの回復のために、エルが此処に寝床を設(し
つら)えたのだろうか?
容器から降り立って目測と手探りで空洞の内側に触れ、出口を探し当て
て押し開く。わたしを通す間だけ重ねられた薄布のように変わったそれ
を潜って、外に出た。
・・・其処は、やっぱり何時もと変わらない“箱庭”の一角だった。
でも、何かが違って見えた。
「・・・・?」
瞬きをする。
耳を押さえて、また離す。
無音、だ。
感覚が、どこか働いていないのだろうか?
不安に駆られて、自分で声を出してみる。
遠く遠く、ぼんやりとくぐもった様に聴こえた。
・・・なんだ、調子が悪いだけなんだ。
少しほっとして、なんだか何時もより色味が薄れているような気がする
周囲を見渡す。もしかして、視覚も弱っているのだろうか。
此処はもっと、いつも濃い色の、光を帯びた緑の森の筈なのに。
鮮やかさを失った森から目を上げると、よく晴れている光に満ちた空と
太陽も妙に色褪せて見えている。
世界が、遠ざかったような。妙な気分だ。
 意識がくらり、と歪んで、身体のどこかが軋むような感じがする。
痛い。重い。
・・・・・。
わたしが目を醒ましても、声も掛からないし様子を窺いに誰かが顔を見
せる様子もない。そして先程の、明らかに特別な静かな休眠所。
もしかして、わたしはもっと長く眠ってから目を醒まさなければいけな
かったのではないのか。
生存本能が、警告を発する。
まだ暫く、休まなければ。
・・・でも、元居た場所に戻るのは何だか気が進まなかった。
どうやってあの不思議な寝床の蓋を、中からもう一度閉じるのかも知ら
ないし。尋ねるにも、今はやっぱりまだ、誰とも話したくはない。
段々鈍く混迷の様相を呈してゆく思考の隅で、記憶にある場所を思い出
した。・・・あそこなら、きっと誰も来ない。



 鈍った聴覚は場所を教えてくれなかったけど、見た目で位置は大体覚
えていた。迷うことは無く辿り着き、前回のように入口から滑り込む。
ふわりと、身体が宙に浮いてなんとなく楽だ。
此処で少し眠ろうかな。エルの声が聴ける場所だし。
中空を一掻き泳いで、記憶している“画面”の前に行く。
遠い耳でも、聴けるだろうか。

 ・・・でも。
そこに映っていたのは、覚えのある風景と同じ場所だったけど。
あれと同じものではなかった。

  敷物の上で前と同じような位置で座るルシフェルの傍で、エルがう
 つ伏せ気味に眠っている。とても疲れた様子で、見守るように視線を
 下ろしているルシフェルが変わらず不慣れな手つきでその金の髪先を
 そっと指先で触れるように撫でても、目を醒ます様子は無く。
 前に見た時間の、もう少し先なのだろうか。
 ・・ごく幼い頃に幾度も添い寝してくれた時にも、エルはわたしがい
 つ目を醒ましても、見た目だけ目を閉じていたりしても眠っていたこ
 とは無かった。本当に眠っている、というエルを初めて見られたのは
 嬉しいけど、耳を澄ましてもその声は聴けそうにない。
  少し落胆した私に、ふと、急に短い黒髪の頭(こうべ)を巡らせて部
 屋の一隅に視線を向けたルシフェルの動きが目に入った。
 静かに、身ごなしのよい何時もの動きで立ち上がったかれは、その場
 所に行くと、彫刻のようなものが施された蓋のない木の箱の中から見
 覚えのあるものを取り出した。
 陽の位置が移り、それは別の位置にある窓から射したそれで仄かに光
 を帯びていた。かれはその小さな煌きのようなものに気付いたのだろう。
 注ぐ陽光の中で白っぽいかれの手の上で、金と白のあの薄物が光を紡
 いだかのように軽く薄くふわりと重なる。
 ルシフェルの様子からして、“箱庭”から持ち出したのはどうやらエ
 ルのようだ。此処は雰囲気からして多分、エルの私室だろうし。
 暫くそれに視線を落としたまま佇んでいたかれは、ふと何かを思いつ
 いたかのように表情を変え、薄布を持ったままエルの隣に戻って再び
 腰を下ろした。片方だけ引き寄せた足を横に床につけると、暫しまた
 エルを見下ろす。
 それから、ふわ、と両手で薄布を空気に泳がせると眠っているエルの
 肩の辺りに掛けた。
 やや伏せた瞳が淡く微笑んで、口元が動く。
 小さいのだろうその声は、今のわたしの耳には聴き取れない。
 でも、エルとかれを手本に言葉を覚え始めたから口の動きで何とか読
 み取れた。
 『・・・君にあげたほうが、あの子も君も辛くなかっただろうか』
 抑えた表情が、哀しんでいるのはわたしにもわかる。
 わたしがふと想像したように、それは確かにエルにも似合っていた。
 エルはきっと、あの布を目にしたわたしがルシフェルを思い出して苛
 立ったら両方とも辛いと思って回収したのだろう。だけどやっぱり処
 分は出来ずに部屋の片隅にしまって。
 わたしは、幼い頃を思い出す。
 どうして、あんなに何も心配ない様子だった風景が、今の時間には存
 在しないのだろうかと。
 何故なのか。
 徐々に遅くなるような思考の内でようやっと考えていたわたしの視界
 に、身じろぐエルの姿が映る。
 『・・・ルシ?』
 この発音の動きは、見間違いようが無い。
 まだ疲労感を重く漂わせている様子で寝惚けたように、沈む黄金の複
 雑な色合いが、薄く赤を刷いた茶色の瞳を見上げた。
 薄布に気付いたのか、それをほんの少し持ち上げた片手で摘(つま)む。
 『・・見付かっちゃったか』
 悪戯が発覚したかのような口調で、ごろ、と少し角度を変えた貌の伏
 せ気味の瞼の下で色彩が揺らぐ。
 『・・・蓋がしていなかったからな』
 苦笑気味の表情がかれに向けられる。
 ルシフェルに向けられているものでも、何を言うのでももう構わない
 から聴きたいと、懸命に耳を澄ましたわたしの耳に。
 なんとか、エルの声が届いた。
 『ごめんな、ルシ。
 ・・・・二度目の<アダム>こそはと、思ったのに。
 結局、君にまたそんな顔をさせる』
 ・・・。二度目?
 わたしの“名前”は元々わたしの為のものでは無かったのか?
 予想外の言葉を聞いて耳を疑うわたしを他所に、風景の中の時間は進
 む。
 『・・私のことはいいんだ。
 エル、全ては“君”の選択次第なんだから』
 もうすこし休め、君に代わりは居ないんだ、と。
 表情が極力抑えられた瞳が、赤味を増している。
 『・・・。
 じゃあ、こうしてても良いかな』
 よ、と起こしかけた半身を敷物についた掌で支えて移動したエルは薄布
 をひょい、と脇に避けて丁寧に置くと、床に並行に曲げて引き寄せられて
 いたルシフェルの片脚の上にぼふっと手近のものを引き寄せた小さめの
 厚い敷物を載せる。そしてその上に頭を載せて寝転び直した。
 仰のいて笑い掛けるその表情に、一寸だけ呆気に取られていたルシフ
 ェルもつられたように、笑う。
 『・・・仕方ないな。
 放り出したくならないから、まだ大丈夫だろう』
 たしなめるような口調と裏腹に、その眼差しは安堵したように優しい。
 『はは。手加減は頼むな』
 起きた途端に放り出されたら一寸凹むから、と。
 冗談のような口調でもう一度笑ってみせたエルは、もそもそとやや横
 向きに位置調整して眠る体勢に入る。
 『・・・ルシ』
 『・・ん?』
 『大好きだよ』
 『・・・・。
 わかってるよ』
 幸せそうに目を閉じたエルの表情に癒えない深刻な疲労の影と嘆きの
 気配があったことと、はにかむように目を伏せたルシフェルの瞳が幼
 いような面影と深い憂いを同時に抱(いだ)いていたことは、微かに感じ
 取れたけれど。
 
 かれらの間だけにある、親密さ。
 長い時を過ごしながら、緩やかに育んできた絆。
 この世でおそらく互いだけが持ち得る、淡い共感と、同情と気遣い。
 時折の、遊びのような遣り取りと、甘え。
 どこか似ていながら全く違うゆえに相手を大切にしていて。
 それは本当に、掛け替えが無いもの。
  その感情の種類など分からない。
 けれどそれは<世界>に在るものに向けて手を伸べるものではなく
 エルの持つ唯一の“特別な愛”なのだと。


 ・・・・。
同じエルの手から創られたものなのに。
大好き、という言葉はわたしに向けても言ってくれていたのに。
同じようで、違う。
違う、違う、違う ちがう ちがう・・・!
・・感情を抑えられない。
わかっていた、つもり、だった・・・。
わたしは、何も、“解って”はいなかった。
目を背けて。不満と拒否の振りに逃げ続けて。
夢という道標に縋り、別のかたちにすり替えようとした。
ああその結果が、今の、“このわたし”なのだと。

 ・・・・・その時、“やっと”。
わたしは、全てを塗り潰す絶望に襲われた。
数々の思い出と共に、これまで気になってはいたけれど言葉や態度には
出すことを選ばなかった記憶の事柄の全てが、意識の中を重く遅く歪ん
で、絵札のように乱舞する。
・・・・・そして。
<アダム>が、“わたし”のための名前では無いということも。



 わたしは、わたしが“最初のひと”になるのだと。
それはとても大事で大切で、掛け替えが無いことで。
その誇りと夢のために、全てが、多少の差異こそあれど一本の道だと信
じて進んで来たのに。
エルはわたしに、諦めて別の道を選んでもよいと言った。
 そんなものは、虚(うつろ)な幻だったのだと。
 胸の奥の核が、軋みを上げる。
・・・その、1番目の<アダム>はどうしてしまったのだろう。
“死”んでしまったのか。
それともわたしのように、いやわたしとはまた違った原因で失敗して、
“ひと”ではなくなってしまったのか。
・・・・見覚えのある天使のうちに、元<アダム>が混じっているよう
な気がしてぞっとした。
もう、確かに目に映っていた筈の物事すら、そのまま信じられない。
全てを壊し尽くしたい衝動に駆られる。
偽りの“地上”の夢の風景。
戯言の“楽園”の色彩。
そんなもの、無くしてしまえばいい。
 でも、わたしには大した力は無い。
どうしたらよいだろう?
・・・・。ふと、思い出す。
“箱庭”に棲むほかの動物たちのことを。
かれらももう、此処に居る必要も無いだろう?
 軋み続ける核と内部から徐々に変異し続ける自身を感じているけれど、
今は動ける限りは、もうどうでもいい。
わたしの身体には、卵を生み出す機構以外に、わたしとは違い生み出す
機構を持たないほかのものの中から後継者に選んだ相手に、時期が来た
ら“わたし”同様の卵を生み出す身体に変化するように促す特別な物質
を作り出す仕組みがある。
エルは、長だけが長い期間をかけて大切に数少ない卵を生み、皆でその
後の経過を見守ってゆく、長と数名の補佐役を中心に営まれるひとつの
“家族”のような、そういう種族を想定していた。
一定以上増えれば、もうひとりの長を立てて一群れを分け、そちらでは
また別の新たな“家族”を育ててゆくように。
後継者選びもゆっくりと時間を掛けるため、その変化のための物質は、
長く時を掛けて腕の一部に溜まって結晶化するように出来ている。
勿論簡単に必要量が溜まるわけはなく、今あるものは一回分の半分にも
満たないだろう。けど、特別な変化を促すそれを本来の用途とは別のい
きものに使ったらどうなるのだろうな。
腕の付け根にあるその場所の蓋を抉じ開けると、中を探って保護膜に包
まれていた欠片を取り出す。
 狭間から外に出て、少々の必要な物の準備が全て済むと、聞き覚えた
“歌”を真似て動物たちを呼んだ。
多少歪だったが、滅多に聞かない呼び掛けに興味を引かれたかれらは集
まってくれた。小さな欠片を砕いて水盆に注いだ甘い水に溶かしたもの
を皆に分け与える。
何となく様子の違うわたしに不思議そうにしているものもいたが、皆、
稀にこういうものを置いてエルたちとかれらを眺めていたことを見知っ
ているのでそれほど不審がられなかったようだ。
よく見かける“鳥”たちに、見覚えのある湖に棲む翼ある“馬”、草原
を駆け回る透き通る広い耳をした“兎”、巨身に魚のような皮膚を持ち
海中を遊泳する“象”、空の海を翔けて雲を纏う“羊”・・・
挙げるよりも多い様々ないきものたちが行儀よく、幾つかに分けた器か
ら、ほんの一口づつその珍しい特別な“嗜好品”を口にしてゆく。
・・・・・全ての器が空になった頃。
空を翔る“魚”が、中空で苦しむようにばたばたと身を捻る。
優雅に長い鰭を閃かせて泳ぐいつもの様子とは掛け離れた様子に、ほか
の動物たちも驚いたようにそちらを眺める。しかし、かれらも間もなく
様子がおかしくなる。
優雅だったり繊細だったり可憐だったり、逞しくも端正であったり荘厳
であったり。
美しい要素に事欠かなかったかれらが、変形、分裂、変色、巨大化・・
・・・様々に変異してゆく。
取り出した時点で、もうわたしは既に自力で変異を始めていた。予想通
り結晶にわたしの“願い”は影響を及ぼしていたのだろう。
長く共に同じ空間で過ごしたかれらに一匙分程の愛惜と謝罪を投げ掛け
て、わたしはもうひとつの“言葉”を音にする。
それは“鍵”。“箱庭”の扉を開けるための。
世話係の天使が口にしたのを偶然遠く聞き覚えたのは一度きり。
それを使うことがなかったのは、わたしの<世界>はずっと此処だけで、
時が至るまでは出て行くつもりなど無かったからだ。
こんな時に、役立つとは思わなかった。
何も無かった草地の上に、“扉”だけが現れる。
見た目は“ひと”向けの大きさだがもっと大きなものも通れる筈だ。
これは“扉”の意味をなすというもので、見掛けどおりではない。
 開いた扉を開け放って念のために暫く押さえる。
興奮気味のかれらを全て送り出すまで見送って。
残るものは動けない植物と土や水などの静物、そして呼びかけた一定以
外のごく小さな動物で。それらはもう、いい。

 じんわりと構成を侵食している歪んだ“気”に、今度こそ身を委ねる。
わたしはもう、“この姿”で在り続けたくはない。
好きだったのに、とても。
この色も、かたちも、わたしに似合う“天使の翼”のようなものだと思
っていたのに。
強い強い慟哭にも近い“願い”がわたしを変えてゆく。
ぴしぴしと、纏っていた服を出来上がるまでの“芯”にして、表皮を透
き通る結晶のようなものが覆ってゆく。
魚の鱗のように重なり合う、厚みと丸みのある透明の硬質。
無色のそれが、端から徐々に不透明な揺らぐ真黒に染まってゆく。
それは首から上と手先だけを残し、防護するようにほぼ全身を覆い尽く
した。
色の大分褪せたような白っぽい指先で触れてみれば冷やりと滑らかな石
のような、しかし少しも重くは無い連なりが心地よく、腕を上げて自分
の意志にそって、細かいものから所々形を変えて下向きの“爪”のよう
にある大きなそれを動かせるのを眺めれば、どこかこれまで自分が纏う
事があったものとは全く違う美しさを感じる。これはきっと、今のわた
しにふさわしいものなのだ。
その滑らかな氷のような、でも冷たすぎないものに頬で触れてみる。
表面に、水鏡のようにわたしの貌が映っている。
表皮の色や鱗以外にももっと色々変わっているのだろう。
耳先と顎が尖って、どちらもどことなく小さくなったように感じた。
エルや天使たちと同じように白い部分の中央に色のある眸が組み合わさ
っていたわたしの目は、一色(ひといろ)の塊になり僅かに盛り上がった
ようになっている。
視覚的に不自由は無いが、以前よりも周囲が色褪せた感じは変わらない。
映しているのが黒い表面のためか、その全体と比べれば余り大きくはな
い箇所の色はよくわからなかった。
・・・きっと、わたしは変わったことでこれまで気付かずにごく自然に
得ていた何かを受け取ることが出来無くなったのだ。
聴覚のほうもやはり何かが鈍っている感覚が拭えないが、もう一度試し
に声を出してみると染まる前の鱗のように透明な硬質のよく通る響きが、
今度は普通の大きさで聴こえた。新しい声も、中々悪くない。
見下ろしてみると、背丈や目線の位置や、鱗の輪郭で覆われても身体自
体が細身なのはさほど変わらなかったが。ほんの少し細くなった気がす
る胴と腰の境目にこれまでなかった曲線が現れていて腰部が少しだけ大
きくなっている。・・・これは、もしかして“卵”を完全な形で造り出
すためのかたちなのだろうか? ・・・わたしも、諦めが悪い。
長さは同じような髪を一房引いて摘(つま)んでみると、それは黒に程近
いような深い深い藍色だった。艶やかに暗いその色は微かにエルの大事
な黒い鳥を思い出させたが、首を振って髪と同時にそれを振り払う。
これは“わたし”が望んだ色で、“かれ”にエルが与えた色ではない。
 ふ、と深く息をつく。
眺めている間に変質は完了したようだ。
ずっと軋んでいた核から伝わる鼓動も、じわりとした変化の漣ももう感
じない。核は、砕けてしまっただろう。
核は私が“箱庭”で過ごす、期限を完全に定めない準備期間の間だけ寿
命を封印するのと、天使たち同様にエルからの“存在”を支える力を受
け取る役割を担っていたものだ。
いずれ地上に降りる時には消滅し、“地上人(ちじょうびと)”として定
められている“寿命”を、残った力で安全のための予備とするように
なっていたが、どれ程残っていようがまあもうどうでもいいだろう。
わたしは、“自由”だ。
そのほうが、重要なことだ。
新しい姿で何をすべきか、と考え、きん、と痛いほど端々が異様に明瞭
な思考の中でふとエルの“存在”を感知する。それはどこか“嗅覚”の
ようなものだった。・・・おそらく、エルがわたしに組み込んだ“刷り
込み”が変容してしまったのだろう。
本能が示す。叶わないまでも、一度だけあれに立ち向かいたいと。
それは、“対峙”を望む欲求。

  エル、世界を統べるもの。
 わたしの世界を支配していた存在。
 それを打ち砕く。
 目指した夢は届かぬものとなり。
 あなたがわたしの望みのようにある事は無いのなら。
 せめて、渾身の一撃をあなたに贈ろう。
 わたしを、あなたに、忘れさせない。
 ・・・それが、あなたに最後に望むもの。

 かれに、辿り着こう。
風が絶えたように止み、動くものの無い空虚な印象になった“箱庭”を
わたしも先に解放されたかれらのように、振り返らずに後にした。




6頁←

→4頁



<Color>/<Second>目次/<Birds>/落書目次/筐庭の蓋へ