「・・・・また、機嫌を損ねた」 エルの仕事部屋で、溜息をつく。 アダムがエルを“大好き”なことは幼い頃からわかっていたが、成長す るにつれてそれは顕著になっていった。 私に“嫉妬”しているようだと、エルと私が気付いたのはアダムがエル の容姿の年頃に程近くなってからだ。 それまではまだ、私にエルがじゃれて押し返したりのいつもの遣り取り をしていると、不満そうにこちらとも遊べという風にエルの腕を引いた り、こちらを優先して構えとばかりに学習することやほかの質問をし出 したりするだけだったのに。 天界で過ごすための相互の安全上のものだったけど、“ひと”に“刷り 込み”を入れたのは失敗だったのか、とエルは少々悩んだようだったが。 世話係の天使たちに対する馴染みの親しさと適切な礼儀を弁えた態度に は異変は見られないし、私に対する“それ”さえ除けばアダムの成長は 順調だ。エルにも敬意や年頃に応じた遠慮のような距離ははかられてい て過多な干渉をしようとすることはない。 最大の問題である“卵”を生み出すことが無事に行われれば、それから 程なく“最初のひと”は、その誕生を祝福された最初の“子”を両の腕 に守って、“地上”に降り立つだろう。 “地上”はその頃には予定されていた豊かで穏やかな風景を整えている だろうし、馴染みの動物たちも共に降りて其処此処に居るだろう。 生活のために必要な知識や、文化の基礎となるものはもう十分に学んで いるのだし。後は、それらを基に新たなものを作り出してゆくことだろ うから。 ・・・心配することなど、余り無い筈なのに。 どうして、ぼんやりした不安のようなものから逃れられないのだろう。 <アダム>という存在が基点となって生み出される先の時間の“地上” の“ひと”の文化は穏やかで美しく、私が時折気に入ったものを持ち帰 る衣類の様に様々に華美でない優雅な変化に富んでいるのに。 「あの布。きっと似合うのにな」 エルの執務机の席を借りて、囲うように腕を組んで机に伏せている私に、 別にある小さめの円卓と椅子のほうでアダムの情報を確かめていたかれ が慰めるような視線と気配を寄越す。 「まあ、まだ“癇癪”のような態度を起こされないだけでも落ち着いて 来たしな。・・・そのうち、大丈夫になるよ」 変化の当初、今よりもまだ少し年少だったアダムは、これまで無かっ たその感情が手に余ったのか。少しだけ攻撃的になった。 とはいっても、これまで元気だが穏当に過ごしてきたアダムがエルや私、 ほかの天使たちに対して暴力的な行動に出るということは無かった。 元々“ひと”はそのような方向に簡単に出るようには創られていない。 ただ、ほんの一時期の抑えられない感情を抱えてささくれ立ったような 気配を放つアダムは独特の尖った印象で、面前では比較的おとなしくさ れていたエルですら遣り取りや扱いに困った。 今はまあ確かに、私に硬い言葉も投げつけられないし、近寄った途端に 睨みつけられるような事も無い。アダムも表に現れる分も内面でもかな り自制しているのだ。 対処として、必要がない限りエルと一緒に“箱庭”を訪れるのも止めた し、訪問の頻度自体ももう随分と減らしたのだけれど。 やっぱり私を見ると苛立つらしいアダムを見るのは、“幸せ”な思い出 のある“可愛い子供”に会いたいという気持ちと同じくらい、辛い。 でもこれはきっと、アダムが“ひと”だからこそなんだと。 “完成”がまだだから不安な点もあって、“卵”を生み出せるようにな れば落ち着く筈だと。その内に宿る自分の護るべき“ちいさなもの”を 感じれば興味も本能もそちらに惹かれるだろう。 アダムはきっと、別れるまでには大丈夫になるんだと。 私もエルも、そう信じていたい。 「・・・でも。 暫く、行くのを止めるよ」 少なくとも、あの子が無事に“卵”を目にするまで。 ・・それなら、あの子も邪険にしないかもしれないし。 先の時を渡るのも、少しだけ休もうかな。 顔を上げて明るい表情を作って笑いかけた私に、エルはどこか痛みを感 じるような様子で、仕方ないなという風な頷きと微笑みを返した。 4頁← →2頁 |
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