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別の階層まで上がり、最後に残っていた退魔の効果があるという粉を片隅 の一角で振り撒いた。 そっと、石の地面に意識の無いルシフェルを寝かせる。 「・・ルシフェル、少し我慢してくれ」 勝手に触れることを詫び、横たえられたまま身動きもしない全身に、頬や手、 首、他には衣服の上からそっと掌を触れて様子を探る。 異質なものを感じる。 記憶にない組成の結晶のような強い“気”。 そしてそれに混じる黒い憎悪の感情。 人間の感覚と感触でいうなら、金属に近い鉱物で出来た茨の蔓草のよ うだ。 それが、人間のような物理的内臓など殆どないルシフェルの身体の内 側に、首から下にまるで寄生するかのように、かれを構成する力その ものに絡み付いて傷付けている。 その構造をじりじりと引き離し、分解し、壊してしまおうとでもする かのように。 人間で言う「血」と同じ意味合いで呼ばれている身体を廻る力の流れ・・ 人間でいえばほぼ同様のものである「気」に相当するだろうものは、神の 「血」が朱金をしていたから一番最初に似せたルシフェルの血は紅く、ひ との血も赤にしたのだという。 ひとのように感情によって顔色が変わったりするから、自分よりも色 の白い肌をしている神やルシフェルは時々顔色を変えるとわかりやす い。 その「血」が、流れを身の奥であちこちで留められて澱み、とても白い色 をしてらっしゃる神よりも色がある筈の肌色は完全に血の気を失ったよ うに、白い。 半ば透き通ったとても美しい石で出来た、彫像のようだ。 ふとそう思ってぞっとする。 触れた温度は記憶しているものよりもっと低く、微かに温かみがある のかどうか。 時間はきっと、余り無い。 記憶の中を探る。 この状況で迂闊なことは出来ない。 今なにをすべきなのか? 脳裏に、声が浮かぶ。 ルシフェルの声。 あれは、“ケイタイ”の説明をしていた時だ。 「万一・・ないとは思うが、一応教えておくか。 これ、ここを押して出てくるのが短縮・・あー、直接繋げるための ものだ。 ここから1を押せば神に繋がるから、出来たら覚えておけ」 ルシフェルを攫ったものは、持ち物を取り上げたりはしなかったらし い。足元の石の上に横たえていた身体を片腕に抱え起こし、黒いジー ンズの後ろのポケットに何時も通り収められていた“ケイタイデンワ” を抜き取る。 教えられた通りの手順で画面を進めると、“ニホン”の文字で“エル” と表示された。僅かに間を置いて表示が更に変わり、声が聞こえる。 『ルシ? ・・・・イーノック?どうしたの?』 神はとっさにこちらの気配を読んで下さったようだ。 『“そこ”は今ものすごく見え難いんだ。 掛けてくれて良かったよ、ルシはそこに居る?』 やや早口で畳み掛けるようにいわれた言葉に、数瞬考えてから 「居ます。でも、このままでは・・」 出来る限り手短に状況と、ルシフェルの状態を説明する。 聞き終わると神は、ほんの一呼吸だけ空けられて。 『大丈夫。そこまで読み取れる君なら、引っ張り出せる筈だ』 気配を読みつつ、“浄化“の要領で干渉して引き離しながら“分解”する。 必要なのはそういうことらしい。 出来る、と自分に言い聞かせながらイメージを描(えが)く。 『ただ、結構ルシは苦しいかもしれないからそのつもりで。 遠慮してるとだめだよ、余計痛い。 片付け終わったら、少し君のエネルギーを分けてあげてくれ。 それで応急処置は終わりだ』 処置の間と暫く保(も)つように結界を張っておく、という言葉の後に、歌 のようなものが聞こえて周囲にアーチの刃のような青い光で円形の陣 が現れて消えた。しかし身の周りを包む空気があきらかに変わる。 目立たないように光が消えたから私の目に見えないだけで、そこに在 るのだろう。 ルシがよくなったら連絡をくれるように、とまでてきぱきと続けられ た神は私がはいと一度答える間に、 『・・じゃあ、ルシを頼むね』 という言葉を最後に“ツウワ”は切れた。教えられていた通りに切る為 の“ボタン”を押して画面を閉じる。 “ケイタイ”はちょっと迷ってから少し離れた地面に置いて、胡坐をかいて 地面に座るとルシフェルを組んだ脚の上に横座りになるように載せた。 かれは目を閉じたままだ。 顔が見えないように上半身を向かい合わせに抱き寄せて、顔が私の肩 に乗るようにする。これで顔をみて躊躇する可能性は下がるし、もし も痛みでしがみつかれるような事があっても大丈夫だろう。 すうっと、息をする。 集中しろ、と自分に命じる。 ルシフェルの背を支えた手に意識を移し、それから先程のようにルシ フェルの中に繋いでゆく。薄い上衣越しの輪郭に、それよりも内側に、 呼吸している薄い気配を再び感じた。 絡みついている黒い茨は、切れ切れのものではなく一繋ぎのものだ。 ただ、いちどきに引き抜くと通常の曖昧な穢れなどとは比較にならな い強い悪意に分解が追いつかない恐れがあった。 外に出してまた別の問題が起きたら目も当てられない。 三分割の目測を立てて、心の中でルシフェルに「すまない」と呟いて から掌に力を込めた。 「気」の手をイメージして、ルシフェルの表皮にあたる部分から少し 中に沈ませて茨を引き寄せる。 ぴくりと、腕の中の身体が動いた。 そのまま手に絡ませて曳いてを繰り返して纏め、その組成と悪意を崩 し跡形もなくなるように粉々にして、私の“気”の流れを通して外に放り 出す。これだけやればそのまま霧散する筈だ。 イメージは、灼く、というのに近いだろうか。 もう一度、曳く手順に入ると今度ははっきり、びくりと身体が揺らい だ。意識が戻ったのか? 「・・・イーノ・・ク。なに・・し」 掠れた声が、ぼんやりとした響きで耳元に届く。 多分まだ状況が認識できていない。 「ルシフェル。 神に尋ねたら、貴方の中にある黒い茨を引っ張り出すのが応急処置だ と言われた。・・・もう少しだけ、我慢してくれ」 中断していた曳く動作をすると、息を呑む気配と触れ合っている胸元か ら浅く呼吸する動きが伝わる。 「わかっ・・・・ あ・・つッ」 覚醒してしまうと痛いのだろう。 予想通り顔が見えないのは幸いだが、声でも辛そうなのがわかる。 小さな叫びを噛み殺して、ルシフェルの手が本能的に遠ざけようとした のか私の腕を強く掴む。 鎧は壊れてしまっていて、ジーンズとサンダルしか身につけていない私 の身体で一番掴みやすいのは腕だろう。 普段大して困らないが、上着があればなとこんな時に思う。 かれが身につけている黒紗のようなものでは向かないが、確りした布を 掴んで引いていれば多少は気が紛れるだろうに。 しかし、躊躇していれば茨は植物の形をしているだけにまた伸びたりし かねないし、神の言われたようにルシフェルを余計に痛がらせるだけだ。 「・・ルシフェル」 曳いて巻き取る手は休めずに、少しだけ意識を逸らそうとすぐそばにあ る耳元で呼ぶ。この状態で喋らせるのもそれはそれで酷いような気は するのだが、確認しておくべき事項がひとつあった。 「・・・・なんだ」 声は掠れてはいるものの、極力平静を装えるその意志力に感嘆する。 微かに震える響きは気付かなかったことにして、続ける。 「・・これを片付けたら、エネルギーを分けろと神が言われた。 それは、どうしたらいい?」 返事は待たず、巻き取った分の茨を纏めて握り、灼き尽くす。 「く・・・!!」 腕を掴んでいた片手では足りなかったのか、ルシフェルのもう片方の手 が私の背に回って指が強く皮膚を掴む。 「・・あともう一度」 灼いた灰を全部外に流し出したのを確認してから、肩で大きく息をして いるかれに宥めるように告げて、空いている左手で軽く背を叩く。 「・・・・・。 それくらい我慢できる」 何か言おうとしたようだったが(多分冗談か文句だ)、余裕が足りなかっ たのか少し拗ねたような気配を寄越すと、かれは先程の返事をする。 「エネルギーを分けるというのは・・・ “寒い”の時を覚えているなら、それでいい」 ・・あれでいいのか。 ほかの方法もあるのかもしれないが、私に出来るかどうかわからないし、 今のルシフェルにあれこれ説明する気力は無いだろう。 わかった、と答えて最後の分の茨を片付けるべく、再び集中する。 残った分は一番深く、そして一番長い。 私の呼吸を読んだルシフェルが僅かに肩を緊張で揺らす。 「・・・先に、謝っておく。 すまない」 「? 何をいまさ・・・」 言い掛けた声が途切れた。 痛い筈だ。人間だったらおそらく神経が焼き切れるだろうと感じる程度に。 喉の奥に消えた叫びを呑み込んで、かれの手が多分半ば八つ当たりも込め てぎりぎりと掴んだ部分に力を込める。 先程我慢できると言ってしまったので意地を張っているのかもしれない。 二度目までよりもかなり手早く、しかし正確に曳かなくてはいけない。 早く、端まで辿り着かなければ。 これ以上この状態を長引かせてはおけない。 最後に残った分を探った時。 残った茨が、仮定で想像したように本当に鎌首を擡げた蛇のようにゆらり と伸びる気配を感じた。再度伸びたものは元あったものよりもっと勢いが あるだろう。今度こそ、この神の鳥の息の根を止めるために。 それは・・あってはならない。 なにより、私が許せない。 神に託されたものを護れず、自身も心寄せるものを失うなどと。 ・・・いや。 そもそも、かれが目も開けられないほど弱っているということを認識し た時点で私は少しおかしかった。 先刻はルシフェルが止めてくれたが、あのままだったら一体・・ あの時感じたのは、目も眩む程の怒り。 それと。 「・・・・。 私は、貴方を失くしたく、ない」 黒い茨の最後の灰が消えると同時に、意識を失ったルシフェルの腕が再 び力をなくして落ちた。 声にせずに口の中に留めた呟きは、きっと貴方には聴こえない。 それは茫漠と広がる、絶望。 そして、苦笑する。 傷つけるのは許せない。苦痛を見るのは辛い。 たった今、かれに苦痛を与えていたのはほかならない自分の手だという のに。 その矛盾に、哂う。 必要なことだと理解しているのに。 私が私を許せないと指差しているのだ。 ・・・私はやっぱり、どこかおかしいのだろうか。 5頁← →3頁 |
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