<Nuts> 周囲には、木々の存在感。 そこは、秋の気配がしていた。 おそらく、なだらかな山沿いの地の林の中で。 座り込んだ足元や周りには、色を変えた落ち葉。 微かに水気を帯びて、何層にも積もっているのだろうそれの独特の香気 が漂う。ふっかりと、静かな柔らかな大地の絨毯。 背を預けている感覚は、そこそこに背の高い、広い枝を持つ葉を落とし た木。滑らかだが所々に凹凸のある感触が居心地が悪くない程度に伝 わる。 深く、呼吸する。 こんな景色をなんの心配もなく見ている気分は久し振りだ。 といっても、これは多分確実に夢なのだが。 そう考えるまでに間があったのは、私にとって、匂いのする夢は珍しい からだった。 天界の木々は、場所ごとに同じ風景を留めているものが殆どなので時期 で落葉したりはしない。 私の馴染みのあるものとは少し違うが、此処も地上のいずれかの風景の ひとつなんだろう。いつか、かれが持ってきて見せてくれた“写真”と いう空や山や森や雪原や湖などの風景をそのまま写した美しい絵が沢山 載っていた本で記憶に留めていたもののひとつかも知れない。 今は、辺りに警戒をする心配は無い。 そんな安堵した感覚で、ふと落ち葉の上に着いた片手の先を見る。 微妙な色差でとりどりに重なっている葉が見える。 そこにひら、とどこかから舞い落ちる別の色の別の種類の葉。 落ちたすぐそばには、翼を模した白い鎧に包まれた腕。 少し目を移せば、深い青の“ジーンズ”とそこも覆う白が見えて。 そうだな、まだ旅の途中だ、と思う。 かれと、最近道連れになったひとりの少女と、黄色いいきものと。 思い出して、なんとなく考える。 かれらも此処に一緒だったら、どう振舞うのだろうな、と。 そんなことを考えた時。 ぱらぱらと、何かが頭上から落ちかかり膝に滑り落ちた。 ずんぐりした丸で先の尖った、指先程の大きさの堅い殻の木の実。 滑らかなそれを一つ摘んで眺めてから、頭上を見上げる。 いつの間にか落ちていた柔らかい影がひとつ。 「はは、ぼーっとしすぎだぞ」 高い木の枝に、鳥のように身軽く腰を下ろしたかれが、まだ持っていた らしい残りの木の実を掌を傾けて落とした。 狙い違わず私の頭に当たって髪を滑り落ちるそれは、他のものと同じく 膝の周囲に落ち、空からの明かりを映して仄かに光の線を帯びる。 どこか子供のような表情が悪戯に笑っていて。 私は口を開いて声を掛けようとしたが、何故だかそれは果たせなかった。 喋りかけようとして止まってしまったような私の様子を見てとったのか、 頭上のかれは立てた片膝の上に顎を乗せ、私を見下ろして微笑む。 「・・どうした、イーノック。 もう、余り話すのに困ったりしないだろう?」 少しだけ、以前何度も見たあの溜息の表情に似たものがその笑みに滲ん で見えて、もう一度声を出そうとする。 心配しないでほしいと。 貴方にそんな顔をさせたくないのだと。 とりあえず、名を呼んで。 でも、声が出ない。 まるでなにかを失くしてしまったかのように。 立ち上がって喉を押さえたまま、かれを見上げて。 「・・・。 声を、聴かせてくれ」 伏せた瞳が私を見下ろして、座っていた枝を片手が軽く押すように。 そのままかれは舞い降りる。 翼は見えず、黒い服を纏った姿はひととさして変わらなく見えたが。 それはとても身軽く、音もさせずに。 腕は動く。 それなら受け止められる筈だ。 ひょっとするとまた子供扱いをするなと怒られるかもしれないが。 それでも。 見上げたまま伸ばした腕に、かれは微笑って。 丁度指先がその背に触れるかと思えた瞬間。 なにもなかったかのように、消え失せた。 「ルシフェ・・・っ!!」 半身で飛び起きながら上げた自分の声に驚いて目が醒めたが、すぐ傍に 居たかれも驚いたらしい。 「!・・ろっと」 おまえの石頭がぶつかるところだったじゃないか、と手に持ったものを 指先でくるりと回して文句を言う。 それは、夢の中で見たような色の変わった葉だった。 なんとなくかれの眸にある赤と似ている。 夢の中の林の風景の元は、かれがそれを多分、鼻先に翳して擽ろうとし ていたからだったりするのだろうか。 「土産を持ってきてやったのに、おまえが起きないから。 ネフィリムがおまえの分まで食べてしまっても知らないぞ? ・・・どうした?」 きっちり分けてくれるので普段そういうことはなく冗談だろう言葉は、 問い掛けに続いた。 いつもの口調だけれど、それが少しだけ夢の中で聴いたものにだぶって きこえて。 「・・・・。 すまん。夢見がちょっと・・・悪かった」 頭を片手で抑えて溜息をついた私に、かれは不思議そうな顔で。 「夢?」 と呟いた。 *** 土産に摘んできた黒苺を、イーノックの分も取り置いてあったのだが。 彼は休んでいたというのにどこか少し疲れたような様子で、しかし起き抜 けの準備運動とばかりに鍛錬の動作を続けている。 ネフィリムに小粒の実を纏めて渡すといっぺんに口にしてしまうので、手 に一つづつ載せてやりながら自分も食べていたナンナがそれに目を遣った。 「イーノック、どうかしたの?」 軽く首を傾げる彼女の目に彼の姿は映らないが、気配は正確に読んでいる のだろう。向かい合わせに腰を下ろしていた私に尋ねる。 此処は堕天使たちがかれらの砦として建てた巨大な塔の中だが、この <世界>自体が<神>に属している以上、完全に影響を切り離すことは出 来ない。所々に点々と、元あった力が押し退けられて集まったようなポイ ントがあった。それは場所によって朽ちた神殿の廃墟のようだったり、石 だけで形作られた敷地だったり、古木のようなものが生えた草地など色々 な状態をしていたが。どこか人間の住む様々な時代で見る神域を思わせる。 安全地帯として休むのに使っているそれは今回、白い砂の中に白い石が不 規則に突き出ている僅かに黄色味を帯びた乳白色の場所だった。 椅子代わりに丁度良い低いものに腰を下ろしている私たちからは、高く低 く不規則にやや斜めに伸びている石柱越しに、今日は素手の動作を繰り返 しているイーノックが見えている。 起き抜けに鍛錬を始めること自体は別に珍しくはないんだが、先刻の起き た時の様子はなんだったんだろうな。 ・・・私が夢に出てきたのか? 「ナンナは、どういう“夢”を見たことがある?」 夢見が悪かったと言っていた、と前置きしてから尋ねる。 「うーん・・。 最近見たのは・・ルシフェルに“視せて”貰ったお菓子が大きくなって、 ネフィリムと一緒に食べている夢だったよ」 ナンナは、生まれつきなのかは記憶が欠けているそうなので不明だが目が 見えない。見えない分はほかの感覚で補っているらしく、様々なものの気 配を読み取ることが出来、彼女を乗せて動いてくれるネフィリムと一緒に 行動している事もあって普段はさほど不自由していないようだ。 ほかの分に振り分けがされてしまっているせいか“キューブ”を読めるイ ーノックのようにはいかないし少々頭痛がするという弊害はあるのだが、 ある程度なら私が額などに手で触れて映像記憶を伝えることで彼女にも “絵”を見せることが出来る。 この間“視せた”のは確か・・・土産に持ってきたプリンとゼリーだった な。 「透明なお菓子が大きくなってネフィリムが透かして見えていたから、前 に視せて貰った綺麗な緑色の海で泳いでるみたいだった」 にこにこと無邪気に喜ぶナンナの横で、つられたネフィリムも喜んでいる ように手を揺らしている。 「それは中々楽しそうだな」 想像して笑みを返す。人間だったら、適度に暑いところなら一度やってみ たいイメージのひとつなんじゃないのか?・・ちょっとぺたぺたしそうだ が。 「ルシフェルは?」 尋ね返されて、答えた。 「いや・・私は、人間のように沢山眠らないせいか“夢”は見た記憶が無 いんだ」 「え?そうなの?」 休むときはどうするのかとか、眠らなくても大丈夫なのかとかいう、どう やら心配されたらしい質問に答えていると、やっとというか・・・でイー ノックが戻ってきた。 「ねえ、どんな夢を見たの? イーノック 怖い夢?」 ナンナが心配そうに尋ねる。 イーノックは慣れ親しんでいる鍛錬動作で落ち着いたのか、傍にあった石 に腰を下ろすともういつもの調子に聞こえる声で答える。 「ああ・・ さっきは驚かせて悪かった、ルシフェル。 ナンナも、心配させてすまない。 ・・・木の下に座っていたら、何時の間にかルシフェルが木の上に居て 別の木のものらしい実を落としてくれたんだが、その後急に居なくなって しまったので捜そうとして、つい呼んだんだ」 ナンナと私に説明するように話すそれは、とりあえず説明にはなっている ようだったが。あの呼び方に込められた響きを聞いた私には、何かを故意 に伏せたような気しかしなかった。 でも、普段そういうことを滅多にしないこいつからそれを聞き出すのはお そらく難しい。しかし、伏せるということは多分まだ気にしているという ことになる。 仕方が無いので、尋ね方を変えてみることにした。 「・・・。 その木の実は、どういうものだった?」 何気ない風に尋ねると、微かにほっとしたように表情が変わって記憶を手 繰るように答えた。 「ええと・・。 この位の大きさで、丸くて少し先が尖っていて片方が膨らんで逆は凹んで いる形で。硬めの殻は縦向きに筋が通って艶々と濃い茶色に光っていた」 「・・・・んー。 もしかして、“栗”か」 砂に指でざっと絵を書いてみせると、そんな感じだった!と頷く。 「イガつきじゃなくてよかったな」 イガ?と3人が揃って首を傾げたので説明する。 「栗には、外側を護るように細い棘がびっしり生えた外殻があるんだ。 その中に殻つきの個別の実が詰まっているんだよ」 記憶の中から掘り出して、ナンナには予告してから両手の指先を二人の額 に伸ばすと“イガ”つきの画像を送り込む。 「うわあ・・ちくちくー」 「・・これを落としてきたら最早武器なんじゃないのか」 ネフィリムも視たいようだったので同じようにみせてみると、ばたばたと 手を動かしていた。感想は似たようなもののようだ。 「まあ、でも」 軽く手を振ってみせて続ける。 「安心しろ、イーノック。 それはそんなに悪い夢じゃなさそうだ」 「・・・そう、なのか?」 「人間の言い伝えの中に、夢の内容で占いをするものがあるんだが・・ まあ一種の遊びだが、ついこの間に本で読んだばかりでな。 聞いてみるか?」 再び3人揃って頷いたので、続けて説明する。 「まず、木の実が落ちてくる夢。 これは『何かに気がつけという警告』らしい。 で、堅果・・・まあ堅い殻の実だな。 これは、『強い意志や目標の表れで、試練や努力を経て達成される目標や 願いなどの象徴』だそうだ。 ただこの場合、堅くて割れないなどの条件がついていると『不可能な物事 や不変の物事などを表す』そうだが、幸いイガなしの栗だったようだしな。 それは心配なさそうだ」 栗は美味しいんだぞ、今度良いのを持ってきてやると付け加えてから。 「サポート役の私がおまえに気をつけるように知らせていて、意志や努力 で望みが叶う実を受け取っているんだろう? ・・普段と変わらないじゃないか」 言い切って笑ってみせると、イーノックは少し考えて納得したようだった。 「・・・そうだな! 珍しくはっきりした夢をみて貴方が居たので、つい考えすぎてしまったか もしれない。有難う、もう大丈夫だ」 元気そうに笑いかけてくるのに頷いてみせて、内心こっそり安堵の溜息を つく。 彼が本当に見た内容はわからないものの、まあイーノックには予知的な能 力は無いはずだからこれで気にしなくなれば問題はないだろう。 精神的助力もサポートのうちだ。 いつも通りの様子の彼が、一段落した印にこちらを見上げて手を振って みせている。調子はいいほうだ。 今日は不可視の状態ではなく、上空に浮かんで眺めていた私は軽く手を振 り返してやる。もう大丈夫そうだな。 それにしても、丁度いい話を知っていたからよかったものの“夢”ひと つが中々厄介なものだ。外部要因なら私は手助けしてやれるけど、その内 までは私の手は届かない。 「まあ、今度妙な夢をみた日には、対ショック療法というやつで 本当にイガでも落としてやろうか」 彼を見下ろして冗談を独りごちた私が。 “語らぬ夢は正夢になる”などというジンクスを知ったのは、もっと後に なってからの事だった。 END. ←おまけ |
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