<Forfeit> “塔”の七人の堕天使たちの件はなんとか片付いたものの、現在起こって いる問題はそれだけではなく。 ルシフェルと神からようやく詳しい事情を聞かされて、私たちは引き続き 原因の探索と、謎の多いナンナの記憶の手掛かりも探すことにしたのだが。 「冥主(サタン)!」 “塔”から伸びていた“帳(とばり)”が消えたことで漸く徐々に見えるようにな った元々の空。今日は良く晴れていて、ここはひとつの町から少し離れた広 々とした草原だ。 行く先を相談していた私たちの前に、唐突な呼びかけと共にひとりの青年 が現れた。 腰まである長い真っ直ぐな髪を中程で三つに分けて軽く編んで束ね、色石 のついた飾り紐で括っている。背は私より丁度頭ひとつ分ほど低い。 細身の身体には、立襟の見慣れない型の腰から上を留めた柔らかな色味の 白灰の長衣と共布のズボンを着崩さずにきちんと身につけている。 「サタン?」 目の見えないナンナは唐突に増えた気配と声に首を傾げたようだったが、 かれは周囲には頓着せず、ルシフェルの前に片膝を折った。 「・・何事だ、プート」 ルシフェルは顔見知りなのか、特に驚きもせず鷹揚にかれに向き直る。 「直接来るほどの用事か? ・・またあいつらの小競り合いだったら暫く放っておけ」 「そうじゃありません!!」 美しい透き通るような濃い青の髪を揺らして顔を上げた青年は、色白の顔 の中の黒目がちの濃紺の眸をルシフェルに向けると、おとなしそうな優し い面差しを少し歪めた。 「あそこでは現在何故だか、わたくしの携帯からでは冥主に掛からなくて・・。 これ以上事態が悪化する前に、とりあえず直接お知らせをと」 「前置きはいいから、問題を言え」 遣り取りからすると、かれはルシフェルの直接の部下にあたるようだ。 どうやら本物の急用だと判断したのか、ルシフェルの表情が変わって真面 目になる。 「封印されていた最奥の亀裂が、いつのまにか開いていたんです! まだ全体ではありませんが複数個所です」 「・・・・。なんだと?」 眉をしかめたルシフェルが今度こそ本気で向き直る。 「エルのほうには知らせたのか?」 「はい。先程此処へ向かう途中に繋がりましたので天主(かみ)には分かる 限りのことはお伝えしてあります」 「わかった。後で相談する」 「はい。 それと、この後わたくしはどのようにしたら宜しいでしょうか?」 生真面目な表情で青い髪の青年がかれの主(あるじ)をうかがう。 ルシフェルは少しの間考えてから、こちらを振り返った。 「イーノック、少々見に行ったほうがよさそうな場所が出来た。 おまえは構わないか?」 僅かに考えて頷く。 現在目的地ははっきりしているわけではない。異変が発生した場所を見に ゆくのも確実な手のひとつだろう。 「では、プート。 我々もとりあえず様子を見に行く。おまえも入口まで一緒に来い。 その後はその時に決める」 「了解致しました」 青年は、膝をついたまま深々と頭を下げた。 プートという名前で呼ばれた青年は、冥主(サタン)の副官である副冥主 (サタナキア)という地位に居るらしい。 「要するに主席秘書官兼、冥主がお留守の間の雑務代行です」 と答えたかれは私に向き直ると、 「貴方が天で唯一の人間の書記官だというイーノックさんですね! お噂はかねがね。冥主がお世話になっております」 丁寧な口調で挨拶されて私が慌てて返そうとすると、ルシフェルの声が背 後から掛かる。 「世話してるのは私だプート! 世間話を始めたら放り出すぞ」 「いいえ、確実にご面倒をかけていると思われます。 大変すみません」 ・・・・。 神とルシフェルはあらゆる意味で非常に特殊な上司と部下だと思うが、ここ もなんというか大概遠慮が無い。 ルシフェルが留守を任せているというのなら、それだけの能力があるのだろ うし、おそらくつきあいも長そうだ。 先程、プートとの最初の遣り取りが終わった後。 ネフィリムと一緒に首を傾げていたナンナに、 「ところで、サタンってなあに?」 と質問されて。 「・・・。あれ?そういえば話したことがなかったか。 冥主(サタン)は冥界・・・“地上”の死んだものが行く区分(エリア)の管理者 のことだよ。私がエルから管理を任されているんだ」 と、あっさりと言ったルシフェルはその後の説明をプートに投げると、“ケイ タイデンワ”で神と何か相談し始めた。 プートのしてくれた説明によると、ざっとこういうことだった。 遥か以前、神がまだ新しく出来たこの星(せかい)の構造を決めておられた頃。 “地上”に降りる生命の、神から御覧になれば短い周期の寿命のために死 んだ後の魂を管理する場所を設けられたのだという。 ただ、その当時神はとてもお忙しく、見かねたルシフェルがその新しい区分 の管理と担当者の育成を引き受けたのだと。 「だから、神は“天主(てんしゅ)”でルシフェル様は“冥主(めいしゅ)”な のです」 ただし、常に天に居られる神と違い、ルシフェルには本来の時を渡る仕事が あった。だから、自分が普段留守をしていても冥界の運営に差支えが無い様 に、色々な事が滞らないようにと、設立前後に多大な時間を割いて管理の仕 様と構成員を育成して配備したらしい。 「例えば、わたくしは主席秘書官兼、冥主の雑務代行ですが、仮にわたくし が不在、だからといって他のものがすぐ困るようなことにはならないようにな っています」 急ぎの用と急ぎでない用、担当が不在の場合の連絡はどうするのかとか、も し直ぐに処理しないといけないものがある時はどうするのか、など。 様々な状況において引っ掛かるだろう問題において、大概のパターンが既に 検討され尽くしているという。 「まあ、実務部以外は情報管理が多いですからねえ。 普段、冥主にどうしてもお願いしなければならない用件は、三筆頭のかたが たがモメて周りに被害を出していたりとか、重要な仕様変更などに関するも のなどですね」 その前者は本当に筆頭で問題ないのだろうかと尋ねる。 恐らく冥主以下のトップ三者と言う意味だと思うんだが・・・。 プートはごもっともですね、と溜息をついて。 「問題なく能力は高いし、別に基本的な性格に問題があるというわけではな いんです。が、お三方とも冥主を崇拝されていまして、色々な事がきっかけ で張り合いを始めるんです・・」 なんとなく、わかった。 ついでになんとなく秘書官であるプートが代理を任されているのも理解した。 情報収集と管理に長けていてこまめな性格で、おそらく(一部例外を除いて) 大概の人あしらいも得意なのではないだろうか。 それは、ルシフェルのあの最初のテキトーな態度からも窺えた。 凡そ普段はそのような程度の(相変わらずな)ことしか起こらないのだろう。 しかし。 “デンワ”を終えたルシフェルが、私たちが座って話していた倒木のほう に戻ってきた。 ナンナたちはプートの説明を聞き終えると飽きたのか、草の上でごろごろし て遊んでいる。それを通りすがりにひょいひょいと両方の腰の辺りを抱えた ルシフェルがこちらまで運んできた。 ナンナは持ち上げているが、ネフィリムは大きいので半分引き摺られている。 「また草の汁だらけじゃないか・・! 服ごと洗濯してくれないかイーノック」 まあ、これはいつもの冗談なので、ナンナはご機嫌でけらけら笑っている。 その時々で草の汁、が砂だったり他の何かだったりするわけだが。 私の近くでふたりを離すと、ルシフェルは真面目な表情になってプートと 私を見る。 「天上(うえ)のラジエルの全体情報ともつきあわせてみたんだが、やはり、 プートが気付いたという大気流入が起こる以前は冥界(した)では他に何事 も起きていない。 しかし、あれだけの封印を急に開ける事が出来るのは冥府でもそれなりの 奴が数名がかりでこっそりは難しいだろう。エル自身の封印だからな」 ルシフェルは一つ息をついてから続ける。 「ただ、それから考えられることは、封印はつい最近になってある程度・・ ・せいぜい数年程度の時間をかけて数箇所を薄くされていたのではないか ということだ。あの場所は立ち入り禁止区域だし長いこと定期調査では異 常はなかったからな。 こちらがわの環境データと、見た目の封印の状態に異常がなかったから、 通常の見回り程度では発見されなかったんだろう」 それで、つい先刻一気に穴を開けられたということだ、と。 いつもよりも赤っぽく見える眸が眇められる。 「向こうから、な」 プートの案内で開かれた“通路(ゲート)”という移動法陣のようなもので 冥界の入口だという場所までやってきた私たちは、巨大な洞穴のようなと ころを覗き込んでいた。 一応ただの岩山の洞穴のように見えなくも無いが、此処には普通の人間は 近寄ることは困難だ。なにしろ、絶海の孤島のような場所にあるのだ。 更に“地上”のいきものは通常、目にすることは出来ないらしい。 背後で、白鳥の姿の四天使がナンナを囲んで宥めていて、ネフィリムはその 傍でそれを眺めている。 「わたしも行きたいの! 何かが気になるの・・」 「<異界>の大気が漏れているんですよ? 何が起こるかわからないから、イーノックとルシフェル様が戻るまで此処 で私たちと居ましょう」 「だって、天使のあなたたちが気持ち悪くなる大気なら、ルシフェルは大 丈夫なの?イーノックは? それとプートは?」 「ルシフェル様は特殊な属性をお持ちなので、私たちほどには影響しない んだ。大丈夫だよ。 ちなみにプートは半天半魔だから<異界>耐性あるの」 「イーノックは天界属性だけど、カテゴリが人間だし神とルシフェル様の 加護がついてるから問題ないんじゃないかな?」 「・・・落ち着いて。とりあえず偵察の予定だから。 何かあったら連絡してくれるのでしょう?」 こちらに唐突に振られたので振り返る。 ルシフェルはそれに頷いてだけみせると、私に近付いて腕を軽く掴んだ。 プートがルシフェルの手招きですぐそばに寄ると、新しい“通路”の紋 が書かれたメダルを取り出した。 「一先ず、冥府のルシフェル様のお部屋かわたくしの執務室にでも“跳ん で”みますか?部屋自体に結界があるので安全度は高いかと?」 「分かり易すぎるだろう。目的が何だかわからない以上、特定しやすい 場所は避けたほうがいいんじゃないか」 「イーノックさんはどう思われます?」 「・・いや、その」 「冥界をみたこともない奴に聞くな。 とりあえず・・・“森の泉”に出てみようと思うんだが、どうだ?」 「ちょっとばかり・・結界に近すぎませんか? でもまあ・・特定は難しい場所ではありますね。 良いでしょう。開きますよ!」 そのメダルは冥界の中へ“跳ぶ”ためのものらしいが、更に細かい指定を 付け加えることも可能らしい。 何もしないで使うと冥府の中央に出るんですけどね、と言うとプートは何 か複雑な区域と座標指定らしいものを唱えた。 最初に使った“通路”とは違う、螺旋のような形状の光が立ち上り始める。 「あ、そうだ。これを持っていってください」 プートが思い出したように懐から小さな白い石のついた紐を取り出して私 の手に持たせる。 「これはビーコン・・えーと、貴方の居場所をこちらにわかるようにする 石です。万一はぐれて迷ったときは無茶はしないで下さいね」 「つまり、迷子札だな」 とルシフェルが笑う。 礼を言ってとりあえず落とさないようにジーンズのポケットの底に押し込 んでいると、丁度準備を完了したらしい“通路”が白く光を放つ。 ナンナたちに手を振った。 「行って来る!」 ルシフェルとプートも横で軽く手を振った。 「早く帰って来てねー!」 四羽の白鳥と少女と黄色いいきもの。 背後の明るい小さな草原(くさはら)と空。 それを最後に、視界は一気に暗くなった。 2頁← |
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