「・・・やあ、ルシ。
おかえり」
表情が固まりかけるのを抑えて笑いかけたが、残念ながら私の様子
を見慣れている相方は些細な変化と気配を見て取って正確に判断し
たようだ。
平静なときは緩やかな曲線を描いている眉がはっきりと顰められた。
「・・・・・。
また、なにかやらかしたな?」
怒られる覚悟はしていたのだがやっぱり怖い。
でも今回は意図的なものじゃないんだだからその目やめて。
「えーとね、“人間”をひとり“書記官”にすることにしたんだ」
「・・・・。は?」
呆れがちの冷ややかな色を乗せて見せていた表情が、予想外の台詞
を聞いたとでもいうように純然たる疑問符の状態になる。
「・・・・・えーと・・
説明してもいい?」
「・・・3行で」
疑問符を浮かべたままの表情が、よくわからないことを言う。
「無理言うな」
「いやこれは先の時間のネタだからつまり冗談だ・・
じゃなくて。どういうことだ?」
真面目に話を促したルシに、私は経緯を説明することにした。

 “地上”の局地的な詳細情報をなんの気なしに眺めていた私が、
ふと目に留まった一人の青年の様子を見ていて気に入ったこと。
うっかり「この子、会ってみたいなー」と口にしてしまったところ、
近くを通りかかった小天使が聞いていて、
『神様はあの人間に会いたいみたい』→『連れてこよう』
になってしまったこと。
どうしたら連れてこれるかと小天使たちが相談しているのを非番の
もう少し大きな天使たちが気がつき、『神様が会いたい人間を連れ
て来たい? ・・おまえたちじゃ無理そうだから代わりに行って来
てやるよ』に・・。

「・・・・・・。
迂闊にも程が」
「・・・返す言葉も御座いません」
「私以外の天使は皆、特に中級以下の天使は無条件で君の望みを叶
えようとする傾向があることはよーーく分かっているだろう。
刷り込みの副作用だから仕方がないが、何度もこれで一騒ぎ起きて
いるんだから懲りてくれ」
深々と溜息をつく端正な容貌に、心底反省してますと頭を下げる。
いつもその対処にもかれは奔走する羽目になるのだ。
「・・しかし」
ふと、声の調子を切り替えて尋ねられた。
「今回は“巻き戻し”てもいいような条件じゃないのか?
何故、私を呼ばないでそのままにした」
至極真面目な問い掛けに、私も真面目に答える。
「・・・。
“理論的”な理由があるわけじゃないんだが。
気がついた時には、“彼”はもう連れてこられて来ていた。
そして、【こんなケース】は今までルシに聞いたことがない、と
思ったんだ」
「・・・・・。
そうだな。“私”も見た記憶がない」

 ルシ、ことルシフェルは、私がこの<世界>の神・・・正確には
<神の代理人>として生み出されてから最初に創った“自分の為の
助力者”である特別な天使だ。
天使たちは総じて助力者ではあるが、ルシは一番最初に創った関係
で色々と規格外なのだ。
忠誠と親愛を約する刷り込みもない(覚醒したルシに色々説明して
いたら自分に無いと聞いて真っ先に問題を指摘されて叱られた)し、
使った素材の関係で、時を渡り、必要であれば操作することも可能
な特別な能力を有している。
その能力で、かれは様々な時を旅して<世界>の行方の大きなもの
から小さなものまで、様々な<分岐>を目にして<世界>を運営する
助けにしてくれている。
かれは長く旅した経験から<分岐>の発生を感覚的におおよそで察
知することも出来、特に天に関わる重要そうなものは優先的に調べ
ている。
次代の代理や交代に関することなど制限がかかっているのか見られ
ないものは一部あるが、それ以外では今のところ目だったものは大
概抑えていると思われる状態だ。
まあ勿論、かれも私も知らない・・又は気付いていない<分岐>がま
だ沢山あってもけして不思議では無いのだが。

 「それで?
気になったから【観察】することにしたのか?」
「・・・まあ、そんなところだろうな。
私自身、“彼”を目前にして経緯を把握できた時点で何故かやたら
混乱していてね。
ナマモノ状態で連れてこられるとか例外過ぎるとか、部分的記憶消
去して戻すとか影響が予測できないとか、“ルシが居ない”からこ
のままにすべきだとか・・・ごちゃごちゃと考えていた記憶がある
んだが・・。
結局、彼を前にして告げた言葉が、“書記官”という結論だったん
だ」
「“今”の“地上”の人間に・・此処の書記官なぞ務まるのか?」
短い黒髪を微かに揺らしてルシが首を傾げる。
「記録方法に記憶媒体からして違うだろう
適性も必要とするだろうし・・」
「ああ、適性についてはおそらく問題ない
アダムの直系だが、あの子と違って簡単にやってのけた。
“キューブ”を読取(リード)できれば十分だしな
あとは記録のほうは慣れれば。
もう一つ、以前から媒体の違う“バックアップ”については考え
ていたしさ」
ふと、何かに気付いたらしいルシの片眉が上がる。
「・・・・・・
エル?」
「・・・・なに」
「・・・。その“彼”が連れてこられたのは
私が“此処”に戻ってくるいつくらい前の事なんだ?」
「・・・・・。
そうだな。30日単位のやつで言って・・・・・6回分過ぎた辺り
かな?」
「・・・半年?」
ルシは少々思案する表情になった。
「いや、ほんとーに向いてるから!
もうちゃんと出来てるよ大体
天界の言葉と文字を覚えるのに時間が掛かったんだ、っていうか
多分これ速いほうじゃない?」
「私が言っているのは無理をさせていないかという事だ。
人間はどちらかというと適応能力の高い種族だが、単体では色々な
環境変化に弱いんだぞ」
人界の見回りも担当していて、時を渡り、人間の作り出すものが気
に入っているルシは、これまで見た記憶にない“天界に1人だけ連
れてこられた人間”が心配になったようだ。
指を折りながら確認事項を並べ始めた。

 「いきなり連れてきたっぽいが、一族のほうにはどうした?」
「留めることに決まった直ぐ後に夢で啓示しておいたよ、
私が気に入って天上で務めることになったから心配ないって。
後の様子も見ていたけど、納得してくれた様子だったよ」
「ちゃんと“神様”調でやったか?」
「勿論」
「ならいい」
君の地は威厳とかそういうものが無いから唯一神という影響度の点
で以下略と普段からルシに釘を刺されているので、天使たちはとも
かく、直接私を知っているアダムやイヴ以外の“地上”の人間には
“神らしい”風に見せるようにしている。
ので“彼”にも一応最初そうしようかと思ったけど。ずっと此処に
いるなら例外だよね、ということで早々に投げたことはまあ後でど
うせ分かるだろうからいいや。
「さっきナマモノだとか言っていたな。
連れて来てそのままか?」
「いや、多少天界対応させたよ。日常困るだろうからね。
余り変質させてしまうと精神のほうまで変容してしまったら意味無
いから・・まあ、要素的に半分くらい変えたかな」
「具体略的に」
「殻あり、エーテルあり。
後は更新度とエネルギー変換仕様とかいじった」
「後で改めて詳しく」
「了解」
そこで一旦切ったルシは、一番気掛かりだろうことを口にする。
「・・・本人の様子はどうなんだ?」
「・・うーん、すごく落ち着いた子でね。
連れてきた当初には見慣れないものに驚いたりしてたけど、元々の
信仰心が高いせいもあるのかこの状況自体は完全に許容しているみ
たいだよ。順応性も高いのかな」
「此処の言葉を覚えたと言っていたが、会話は支障ないのか?」
「私には遠慮というか・・<神>だから余計な口をきかないね。
必要があれば質問するし、話しかければちゃんと答えるけど」
「天使たちとは?」
「挨拶程度や仕事絡みなら普通に。
でも共通項が無いからそれ以外は殆ど」
「天使たちからは?」
「変わったのが1羽・・いや1人増えた、くらいにしか関知されてない
気がするね。すごく真面目だから、あの子」
「・・・エル」
「・・・・なに」
「もう一度聞くが、本当に、
“何故、私を呼ばなかった”?
箱庭(エデン)に居たアダムとイヴが降りて以降、此処には“人間”
は居なかったんだ。
“前のアダム”のように、相当に面倒なことになるキーである可能
性だってあるんだぞ」
「・・・」
ルシの真剣な面持ちに、私はもう一度思い返してみる。
あの子を見つけた時。
気に入ったと思った時。
実際に目の前で会えた時。
私はどういう風に認識していたんだろう?

 暖かな地の海のような、澄んだ明るい緑の眸が意識を過(よ)ぎる。
・・・本当は選択を迷わなかったわけじゃない。
仕事の内容を一通り明確にし、此処に居てくれるかと改めて尋ねた
時に、あの子は微笑んでこう言った。
『・・大丈夫です、問題ありません』
幾ら私を信じていても、色々いろいろ、あるだろうに。
私のために、笑ってくれた。

「・・・・。
やっぱり、私が彼を気に入っただけなのかもしれないなぁ」
独り言のように呟いて、ルシを見遣って笑ってみせる。
やはり、とても彼のようには微笑えない。
私の相方は、こちらを見て一瞬固まり。
その直後には至近距離に詰めて、私の後頭部に容赦なく拳骨で一撃
入れると憤然とした足取りで歩み去る。
「君の気紛れと<神>の必然を見分けるのは本当に困難だな!」
“地上”の生き物とちがって殻のない私や天使たちは殴られても人間
のようにコブが出来たりはしないが、エネルギーそのものである“意
志”をぶつけられているので相応の衝撃は感じる。
「いてて・・
痛いよルシ〜」
ここ暫くのお気に入りらしい先の時代の黒づくめの服を着た姿が、
ひらひらと片手を振って見えなくなった。
まあ今の一撃で一応、この一件がルシに相談無しだった事は勘弁し
てくれたらしい。

きっと、かれはこのまま<イーノック>に会いにゆくだろう。
たった唯一、天上で暮らさなければならなくなった人の子に。
何故か、ふと卵から孵ったばかりのまだ小さかったルシの姿と声を
思い出した。
・・口調は、今と殆ど変わらないのだけど。
「ああ、そうだな
きっと・・・」


 これが私の、ルシと<イーノック>について話した最初の記憶。
 





END.


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20110123:



エルを基本篇に持ってくる為の穴埋め断片。
イーノック部分は『話をしよう』の冒頭からほぼ直結。
エル部分は『話をしよう』3コマめのほんの少し前にあたります。

Q:なんでイーノックさん連れてこられたの&どうして書記官なの?
の自問回答部分+α。
まだ穴埋め用QAメモが残っているのでどうにかしたいです。


立方体の形状の記憶媒体、のネタは昔読んだ記憶があるたぶんSF小説・・
のなのですがなぜかソレだけ覚えていて話だのなんだのは記憶にないです
なんだったんだろう
・・

+0320
そういえば補足してなかった蛇足。
ノクさん視点のほうでエルが人型形態になった途端に表現から敬語がすっとんでいるのは
認識最優先でそこまでの処理が追いついてない感じです。
<Parts・2>でラジ紹介されてる時にはもう落ち着いてますが。
変化としては、それまでの“神”というちょっと手の届かない場所に在られる不到不触の存在
的なイメージから“目の前に居る神(=エル)”という個として認識した敬語になってます。
のでこの<Parts>のノクさん視点の〆の一文がああなってル。



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