<Parts> 仕事の内容を教えよう、と仰られた後、神は後についてくるよう にと告げられた。と同時に玉座の間を満たしていた何色とも表現し がたい輝かしい光が薄れる。 顔を上げた私の前には、人の姿ほどの大きさをした、柔らかな白に 近い色をした光球が浮かんでいた。 『こちらへおいで』 先程の輝く光の時は御声も光のようにとりどりの威厳ある響きを有 していたが、この御声は御姿に合わせてなのか柔らかく優しく響い た。はい、と応えを返して緩やかに移動してゆく御姿の後に続く。 緑や水の美しい中庭を横手に回廊のような場所を暫く進むと、神 はひとつの扉を開いて中にゆかれた。 後に続いて戸口をくぐると、そこは不思議な感じのする部屋だった。 入ってすぐには透明な壁があり、その壁にはもう一つ少し小さめの 扉らしきものがある。透明な壁を透かして見えるむこう側には、外 から見た建物の高さをこえる丈の高い天井の縦長の部屋があり、窓 のように見える頂点の模様のある半ば透き通った部分以外は、白い 壁一面を棚で埋め尽くされていた。 そして、その棚には何やら小さな箱のようなものが沢山収められて いるようだった。 『おはいり』 私が部屋にみとれている間に、透明な壁についた透明な扉を開かれ ていらしたらしい神が壁の向こうから促された。 少し慌てて戸口をくぐると、音もなく背後で扉が元通りに閉じた。 神は、部屋の中央に置かれた円形のテーブルらしいものを背後に、 光球の御姿を浮かばせて僅かの間、沈黙されていた。 それから、ふわりとやや浮き上がって周囲の棚を指し示すように 中空を動かれる。 『ここにあるのは 地上の記録なのだよ』 棚に収められた箱のようなものを改めて見遣ると、全ての面が同じ 形をした掌に数個載りそうなほどの大きさのもので、表面には何事 か文字のようなものが凹凸で書かれていた。 丈高い棚に収められた無数の小箱は、下のほうにあるものはそれぞ れ濃淡や色合いの違う青や緑の光を仄かに宿して時折舜き、三分の 一ほどから上のほうのものは素材そのままの白で沈黙している。 『ひとつ 手にとってごらん』 どれでもいいということのようだったので、壁に近付き、丁度いい 高さにあった目前のものの中から美しい薄青に光る一つを選んでそ っと手を伸ばす。 きっちりと隙無く収められている様子なので上手く取り出せるかが 心配になったが、手を伸ばすと同時に目標の小箱はひとりでに棚か ら抜け出て指先に近い位置で停まる。 一瞬躊躇してから親指と人差し指と中指で丁寧に掴み取ると、特に 抵抗も無く小箱は見慣れたごく普通の物体のように私の手に収まっ た。 光球の御姿に向き直ると、頷くように僅かに光量が増減する。 『中をみられるかな?』 疑問形のように聞こえたので、これは試験なのかもしれない、と慎 重に小箱を眺める。箱の形をしているからこれは開くものなのだろ うか、それとも別の方法で中をみるのだろうか。 余りお待たせしてはいけないと思うが、試験のようなものだとした ら質問をしていいのかどうかも分からない。 少々悩んでいると、 『・・・あー ごめん これだとやっぱりまどろっこしい!』 声質は先程のままだが、いきなり口調が変わりはっきりとした音程 と感情の気配が加わる。 『・・・また文句いいそうだけど ま、君はこれから此処に居るわけだし、地上のあの子たちとは例外 で・・いいだろう、ってことにしよう!』 独り言のようだが勢いのいい口調がそう言い切ると同時に、光球が 唐突に消える。 光の消えた後には、一見には人のようにしか見えない姿が立ってい た。 白い長衣を纏った身長は私よりも頭一つ分弱ほど低い。 見た目は人でいうなら、少年期が終わる頃の青年かというくらい。 とても白い肌で細身だが健康で快活そうな容姿で、首の付け根に掛 かるかというくらいのごく短い髪は少々癖がついてあちこちに向か って跳ねていて、陽の光を透かした蜂蜜のような色をして淡く光を 内包している。 上げてこちらを見た瞳は大きめで、少年の気配を色濃く残した容貌 の中で沈む黄金のように目を引き、とても複雑な色合いをしていた。 ・・・神は、天使と人を自身に似せて創られたのだと、人の祖ア ダムとイヴの言葉が私たちの代まで伝えられている。 つまり、これが本来の神の御姿なのだろうか。 そこまで頭のどこかで考えて。 はた、と神の御姿を見下ろしてしまっていることに気がつく。 身長上仕方ないといえば仕方ないのだが、急いで床に膝を折る。 「あ 気にしないでいいよ 天使たちだって私より大きい子は結構いるんだから」 いちいち控えてても意味ないしね、と、姿が変わったためか人の声 と同じように響く・・容姿同様快活な若々しいやや高めの声が私に 立つように促した。 「・・っと、立ちっぱなしも疲れるかな」 神がテーブルの脇を指差すような仕草をすると、床からテーブルと 揃いに見える二つの椅子が現れて元からあったかのようにその場に 佇んだ。 身軽く歩み寄った神は、その片方の背を引いて、空いている片手を 胸前に斜めにしてそれを指し、礼をするように身体を少し屈めると ニコリと悪戯っぽく笑ってこちらを見る。 座れといわれているのだろうと思い、頷いて従うと、満足げに笑っ て自身ももう一つの椅子に向かい合わせに腰を下ろす。 「さてと その“キューブ”の見方なんだけど」 ひょい、と軽く白い指先が振られると棚から新たな小箱が神の指先 に飛んで来て収まる。 「自分の持っているコレに向かって集中してごらん」 濃い緑の光のそれを見てから、先程慌てて掌に握りこんでいた小箱 ・・“キューブ”というらしい、を見直してみる。 薄青い光は最初に気を引かれた通りに変わらず美しい。 小箱の姿を覚えるように眺めてから、目を閉じて掌の上にあるそれ に意識を集中する。 ・・・見たことも無い風景が見えた。 黒に見える空のような背景に、“キューブ”にあったのと同じ薄青い 美しい色を纏ったおそらく巨大な球体。青と白の模様が見える。 なんだろう、これは。 見たことも無いのに、懐かしいような気がして。 空の只中に浮かぶような感覚がして気付くと、足元にその球体を見 下ろしていた。 知るはずも無い周囲の情報が伝わる。 大気のない真空。 人間は此処では呼吸は出来ない。 あの星の纏う光の中に、地上が在るのだと分かる。 青は水で、白は雲。 よくよく眺めれば、水の中に地上が見える。 あそこに、私がいたのか。 ふっ、と視点が更に遠方になり、その星が他の星と関わっているこ とを知る。 自ら輝く星・照り返しで光を帯びる星・小さな星・大きな星 星の群れ・無数の星の河・生まれる星・死に行く星 光さえ呑み込む星・輝く新星・廻る星・流れる星 長大な時間の流れと膨大な情報が流れ込む 極大と極小 瞬間と久遠 「<イーノック>!」 いつか・・・いや先程、聞き覚えたばかりの声が、私の名を呼んだ。 肩に掛けられた手の感触に気がつき、目をしばたく。 心配そうな顔が間近で覗き込んでいた。 「・・アダムはこれ苦手だったのになあ 君は適性が高いんだね。加減を覚えないといけないな コレは人が一気に読める情報量じゃないよ」 私が反応を返したのを認めると、ふう、と安堵したような溜息をつ いて神は幼い子供にするように優しく、私の額の落ちかけてきてい た髪をかきあげて様子を見てくれた。 「・・・大丈夫そうだね、良かった まあ何しろ急だったし、今日はここまでにしておこうか 急いで始める仕事じゃないし、正式に任命する前に色々・・ えーと・・・とりあえず用途別の、もう少し少ないものから慣れて 貰うから」 記録媒体も考えないとな、と続く語尾は口中に消えて神はまた思案 するように沈黙した。 腕を組むようにして右手を口元にあてて半ば伏せた目はどこともな い方向に視線を置いている。静かな表情になると、一転して年齢不 詳な印象になった。 髪と同じように光を宿す黄金の眸は影になって、木陰の水面に揺れ る木漏れ日のように時折陽光のような光を強く弾(はじ)いて見える。 その表情がふと、ぱち、とまたたいた目の仕草で動きを取り戻して 顔が上がる。 「あっ ゴメンね待たせて 此処に慣れるまで君の世話を頼む子を呼んだから、来たら部屋に案 内して貰ってくれ。 困ったことがあったらその子に伝えてくれれば、私がなるべく早く 対処するから遠慮なくね」 天上で地上から来た“人”が働くのは初めてのことなのだという。 私ただひとりのために天使(みつかい)ばかりか神御自らも相当に煩 わすことになるのではないかと恐縮すると、いやそもそもこっちの 都合だからさ、と気軽い声音で答えた“天主(かみ)”はにっこりと また少年の風情で笑う。 「宜しく頼むよ イーノック」 私は椅子から降りて、改めて床に片膝をつけて頭を下げた。 天と地を統べる、全てのものの創り主。 慈悲と畏怖を共にいだく、世界の護り手。 お役に立てるかさえ疑問ではあるが、可能な限り努めよう。 それを望まれるのであれば。 先程立ち上がったままだった“かれ”が、歩み寄って目の前に立つ 気配がする。 「・・・イーノック ごめんね 有難う」 何故か、本気の謝罪を滲ませるように聞こえる声と。 私の頭に置かれた左手は優しく髪を撫でてくれた。 それが私の、<エル>についての最初の記憶。 →その後の<エル>side |
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