「イーノック、座れ」
 思わず命令口調になってしまったことにはぼんやりと気がついたのだが、その
時点での私の意識は余裕というものが無かった。

 寒い 寒い 寒い
 身体が上手く動かない

 <神の代替わり>に伴う途中過程で一時的にこういうことになるだろうとは聞
かされていたのだが、実際なってみるとかなりキツい。
 天使のなかには人間のような体感感覚をもたないものも多いが、私は様々な時
代を見聞してーー必然的に様々な時間と場所の人間の様子も見るために、暑さ寒
さなどはスイッチオンオフで感じることも程度を左右することもできる。
そのせいかわからないが、神であるエルと私をずっと繋いでいた精神の紐が薄く細
くなってゆくにつれて“かれ”からのエネルギー供給が激減するのを寒い、と感じて
しまうようだ。
私自身は個体なので紐が切れたとていきなりエネルギー切れで死んだりはしない
が、生まれてからずっと意識的無意識的に受け取り続けていた暖かな庇護の力が
失われるということは、これまで十分な日差しを浴びていた地で唐突に太陽が冷
たい光しか投げかけてくれなくなったようなものなのだ。
それに加えて、“かれ”がもうすぐ失われる定めであるということも、ずっと相方と
して存在し続けた私にとっては精神的なダメージがくる。
その“かれ”が常々冗談に紛れて繰り返し繰り返し予告してくれていたというのに。
・・・いっそ設定期限が同じくらいだったらよかったというのに、“かれ”は一番最初
に創った天使である私に手近にあったそのとき一番に力あるもの・・原初の闇の
残った欠片を混ぜたのだ。
お陰で時を渡る力を得て“かれ”の助けになることはできたが、まさか神である
“かれ”よりも寿命が長いと聞いたときにはいつもの冗談かと耳を疑った。
<次代の神>なんてどんな奴かもわからないものの手伝いは御免だから場合に
よってはどうなろうと全部放棄してやろうと思っていたのだが、これに関しては何故か
<イーノック>に白羽の矢が立ってしまっているので、放り出すわけにはいかなくなっ
てしまった。

しまったのだが・・・


 まあなにはともかく、私は今、とても寒い!


 段階的に薄れてゆく供給減少の余波は、これまではその感覚に襲われる一定の
間くらいは平静を保てる程度だったというのに、今回はもう大分紐が切れ掛かっ
ているせいか段違いの感覚だった。
 先ほどから 寒い! としか考えていない私の思考は、以前聞いた覚えのある
言葉を記憶から引っ張り出した。

『寒くないか?』

    『そうか でも 寒かったら言ってくれ』

  『こっちのほうが温度が高いからな』

あの時引き寄せられた手の感覚と、鎧越しでも漏れ出でている鍛えられた体躯が
発する熱と生命エネルギーをなんとなく覚えている。

 よし、丁度良い。今こそ役に立って貰おう。

相変わらず余りまともに働いていない思考でイーノックに安定して張り付くには
どうするのが妥当か考え、今日は調子が良かったために鎧にヒビ一つ入れていな
い上にまだ元気が余っていそうな彼に示して、壁際に座らせた。
そのまま背を向けて脚の間に座り込んでもよさそうな気はしたが、なんとなく今
は石畳に直接座るのすら寒い気がしたので少し考えていると。
「・・・ルシフェル?」
どうやら、私の指示の目的がわからないので困っているようだ。
寒かったら言えと言ったのはおまえだろう!
少しだけ八つ当たりをしたくなって、歩み寄ると狙いを定めて膝の上に横向きに
飛び乗ってやった。これなら座っても冷たくないな。
流石に驚いた様子だったが、相変わらず少々ズレているイーノックは
「・・・椅子にしたかったのか?」
などと尋いてきた。
まあ、勢いで倒れかけた背をちゃんと支えてくれたのでこれ以上は八つ当たりし
ないでおいてやろう。

 ・・・と思った直後、また盛大な寒気が襲ってくる。

 「寒い」
 「・・・え?」

 記憶に従ってイーノックの胸元に半身を寄せてみるが、鎧越しに触れている腕
やなんやからの熱だけでは今の状態をどうにかするには足りなかった。
なにもないよりはマシだが、人間的に言うなら寒風が吹き込んでくる家で加熱す
るから触れないストーブの前に立っているようなものか?
よく寒いときの人間がやっているように、両腕を組んで身体を縮こまらせてみた
が、残念ながらこれも人間と同じで大した効果はない。
「具合が悪いのか?」
私の様子があきらかにおかしいことに漸く気付いたらしいイーノックが、心配そ
うな気配で額に手をあててくる。人間の風邪じゃないんだからそれじゃわからな
いぞ。
「・・・寒いだけだ」
変に心配させて四天使たちや、経由してエルに連絡されたところで向こうよりも
私が困るので、何とか口を開く。
「・・・寒かったら言え、と言ったのはおまえだろう・・・?」
顔を見上げて言うと、覚えていたようで表情が変わった。
僅かに間を置いて、謝罪の色を滲ませた声が
「・・・・すまん。
役に立てるかわからないが」
と届くと、慎重な仕草で両腕に上半身を抱え込まれた。
イーノックの意識が意図を持ってこちらに向いたことで、伝わるエネルギーが
大分増した。ちょっとほっとして息をつく。
落ち着いた分、少しはまともな思考が戻ってきたようだ。
なんとか、これでしのいで波が過ぎ去ってくれないだろうか。
 多分、段階的に考えればもっと紐が糸のように細くなってしまえば落差が減る
からきっとそれほどの体感にはならないのだろうけど。
それはつまり“かれ”の時間の終わりも近いということなのだ。
 ・・・この寒さは、やはり庇護をうけてきた代償として甘んじて受けるべきも
のだろうか。

 「・・・。ルシフェル。この状態だと難しいな。
 “貴方の翼を見せてくれないか?”」

 唐突にイーノックの声が落ちてくる。
・・・・後半が、何故かはっきりと区切られた聞き覚えのある台詞だが。


 旅を始めて間もない頃。
天高く飛ぶ白鳥の姿をとっている四天使たちの姿を見ていたイーノックがふと、
そういえば以前ダメだと言われたが・・と前置きして。
私の翼が見たいと言い出したのだ。
そういえば、以前言われたときには前後の流れで気が向かなくて結局見せずじま
いだったのだった。
その時に思いつきで、翼を見せるついでにイーノックが無茶をしないようにと釘
を刺すためとちょっとした悪戯心で、
『翼の分のエネルギーを鎧に回しているから、翼を出すと鎧が消える』
という演出をしてみたのだ。
私のエネルギーを分けて鎧を形作っている、ということ自体は嘘ではないが。
イーノックがちゃんとそういうふうに認識するかどうかは半々ぐらいだろうと踏
んでいたのだが、暫く後に翼を出す機会があった時には私のほうがうっかりその
仕掛けを忘れていたので、それまで素直にその通りに信じていたイーノックには
バレてしまって、そう思わせていた理由も含めて話してある。

つまり。わざわざ“引っ掛け”の時の台詞ということは意味があるのだ。
・・・・・・・・。
鎧?
・・・ああ、そういうことか。


「・・・・・。
仕方ない、な」
私の為の請願は聞き届けるしかないだろう。
いつもの調子の私だったら、遥か年下で人間のイーノックに
“もう少し助けてあげたいからこの鎧を外してくれ”とかなんとかストレートに
言われたひには意地を張って有耶無耶に断りかねない。
微かに苦笑して溜息をつく。
と、彼の希望通りに鎧を形作っていたエネルギーを回収して同時にその分の力で
あの時のように一対の翼を背に現す。
「“とりあえず一対だけな”」
先程の台詞を理解した印の返答を返してから、可笑しくなって小さく笑う。
共有できる記憶があるというのは、そしてそれが悪くない記憶だということは
嬉しい気持ちになれるものだ。
 鎧がなくなったので、上半身にはなにも纏っていないイーノックの肌に触れて
いる部分から、熱と一緒に心臓が送り出す血液が身体の中を循環している気配が
ダイレクトに伝わってくる。
あたたかいな、とぼんやり考えていると前触れ無くイーノックの両腕が背の翼ごと
私を抱き締めた。
「・・・ろっと」
動作自体は予想しなかったわけでもないが、怪我や病気というわけでもない私の
不調をここまで本気で心配して貰えるとは思っていなかった。
・・・・ああ、いや。
そもそも普段の私は不調を起こさないから、心配されたのか。
彼本人も、人間の基準からすれば基本的には相当頑丈だしな。
自分に出来る限りの事が済むまでは離さない、という意志の篭った“子供”の腕
に素直に嬉しいとか今日の自分は全く調子が狂っているな、と軽く肩を竦めて自
嘲して。
先刻驚いて少し構えた身体の力を抜き、背の翼を引っ込める。
「・・・これも邪魔だな」
イーノックは正確に意味を理解したようで、すぐに腕の輪は空いた隙間を埋めて
くれた。
もういい。
今日は私は調子が狂ったままでいよう。
イーノックが本気で分けてくれたエネルギーで、暖かさが徐々に全身に回りきっ
て大分楽になった。
思わずよくヘンだと言われる笑いが口から零れて、なんだか幸せな気分のまま眠
ってしまうことに決めた。


 「・・おやすみ、ルシフェル」
イーノックが祈る気配がする。私のために。
もうとても眠かったけど、挨拶を返したくて口を開く。
「・・・おやすみ、イーノッ・・・」
最後まで言えたかどうか定かではない。


 ありがとう、と心のどこかで呟いて。
優しい闇に沈む前に、イーノックのために祈りを送ろう。





END.


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20101223:



書きたいネタが纏まらなくてウロウロしてたらこんなもんが出てきた。
「寒いの理由」に『話をしよう。』番外を持ってきてしまったのでifかと思ったけど
もうこのさい「エル」を基本に持ってきちゃいたい。
・・・となって番外設定が基本に統合されました。



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