<Second>-after 目の前には、一人のまだ幼さを十分に残した少女と。 並んだ横に、もう“一人”。 黄色い色をした、不思議ないきものが立っていた。 ルシフェルが、背後のやや斜め後ろの位置から動かない。 それを気配で感じ取って、私はその視界を邪魔しないように少しずれよ うかと思った。でも。 私が動こうと“思う”と同時に、それを私の身体が発する動きの準備の ようなもので悟ったのか、それとも思考の動きそのものの気配でか。 なんとなく戸惑ったような、留まっていてほしいような、よくわからな いかのような、そんな“色味(いろみ)”のようなものが。 音のように空気を伝わってなのか、それともまた別の伝達なのか、かれ から私に、その“感情”の気配が届く。 何となく、私の背に隠れたいようだ、と思って。 それが、もしかして“怖がって”いる時の仕草なのではないかと思い当 たる。 ・・・ルシフェルが、“怖がる”? それは、私が今まで目の当たりにした記憶は無いものだった。 ひとである私は様々なものを知らず、知っていて尚恐れることも多々 あるが。天使であり、かつその最上級に位置するかれには、怖いものな どそうそう無いのだと思っていた。 唯一上位に位置する神は畏れを内包する存在ではあるが、明るく快活で とても優しいかただし、一番最初の天使であるルシフェルとはいつも親 しくしてらして、創り手とその愛を最も受けるものであり、家族のよう でもあり、時折ひとでいう“友達”のようですらある。 上位に在るはずの神のほうがルシフェルに叱られているような場面も幾 度か目にしたことがあるが、逆は記憶に無い。 あるのかもしれないが・・・何だか特に無いような気もする。 しかし。 そんなルシフェルが。 私の背を“盾”にするように、半分遮ろうとしながらもきっとその視線 で眺めているもの。それは・・・“ひと”に属するものでありながらこ れまでの“ひと”ではない。 黄色い柔らかな皮膚と細長い胴に手足。 水色の瞳と、開きっ放していることの多い口。 ひとに近く変じた“堕天使”と“ひと”の間に、“変容した地上”で生 まれ出たもの。・・・“ネフィリム”。 最初はひとの親指ほどの小さなもので、基本的にごくおとなしいが。 ものを食べ続けると終いには見上げるほどの巨大さとなり、もしも何ら かの弾みで“区別”を“忘れて”しまえば、その大きさに見合ったもの を手の届く範囲で“何でも”口に運ぼうとするのだと・・。 そう、聞いている。 ひとの食べるものは言うに及ばず、攫(つか)めれば“何”でも。 木でも岩でも、人工物でも、ほかのいきものでも。 それが・・例え自分を生み出した“ひと”や“堕天使”であろうとも。 ・・・・天に属することから外れぬ“天使”であろうとも。 例外は、無い。 ネフィリムは、“塔”から伸びている“帳(とばり)”と呼ばれている 特殊な遮蔽幕の下に覆われている、天からの視線を妨げ本来“地上” に在るべきその守護の影響を弱められた内で生まれた。 砦である“塔”の主である堕天使たちを歓迎するもののうちでは“帳” は“天幕”と呼ばれ、神の支配から新たな空間を作り出した防護の蔽 (おお)いのように扱われていたようだ。 だが、最初の内は変化を忌避していなかったひとびとも、変化を歓迎し ていたひとびとも。 新たな“ひと”の姿のひとつであるように思われたネフィリムが、同じ 場所で暮らすには“不適切”であることに次第に気がついた。 いきものが共同で暮らすためには、互いを“喰べない”のが最前提な のだ。 多少の差異こそあっても“堕天使”と“ひと”は近く、そのうちに客観的 には害を与える行動に出るものがあっても、それが極一部で全体に 及ぶことは無く相互に承知していれば“あり”であると。 そういうような一種の“黙認”のような“不文律”のようなものによっ て、その関係は成り立っていた。 それをよしとしないものは、その新たな“輪”からは外れて別の場所で “本来の立場”に近く在ろうとする。 しかし、それら双方にとって、ネフィリムは“無視”出来ない“脅威” と成り得るのだ。 同族、酷似、又は明らかに類似しているもの、を“喰べよう”とするも のはその共同体全体の“敵”と見なされる。 ・・ある意味で、ひとにとって“殺人”がいけないのも同じことだ。 隣に居るものが、何らかの力をもって命を奪おうとする。 その理由の如何に関わらず、それは“脅威”であり“恐怖”を招くもの であり、共同体にも“個”にも“益”にならない。 そのもの自体が害をなす行動をとっているのであったり、又は、その加 被者の相互に了承がある場合は・・また何かが違うのだろうが。 それでも、“増え”て“長く生きる”ことを“良”とする文化のうちで はどちらにせよ余り“歓迎”はされない事態である。 ネフィリムは、“地上”では彷徨い歩き続ける。 記憶を保てず、執着を持って懐けず、個々の違いを表せず、その末に近 い視界に入りきらぬほど大きくなり。 箍が外れれば、手に届く全てを奪うだけの存在となる。 ・・・それは、哀しく、恐怖の象徴となる存在。 本来は、“地上”や“ひと”に関心を持ち降りた“堕天使”が、“ひと” という“個”にも、互いに興味を持ち近付こうとしたゆえに生まれたも のである筈なのだが。 そもそれは、“ひと”のうちにあるものだった筈なのに。 何故。 このような“違ういきもの”が現れることになったのか。 ・・・・・それは、神にも“わからない”ようだった。 かれらが悪いわけじゃない。 かれらはただ、そのように在ってしまっただけなのだ。 どうにか出来るものなら・・・。 ただ、今、願うのは。 私の旅を共にしてくれているかれと、ナンナと共に居る“かれ”が。 互いを怖れずに居られればいいと。 それだけを、祈るように。 *** イーノックは、何となく私を庇おうとしているようだった。 相手が相手なので、物理的なそれとは少々違うようだが。 本能的に、“恐れ”のようなものを抱(いだ)いたのを察知されたのだろ うか。 その背が、私を“守ろう”とするような“意志”を帯びるのを感じ取っ て、ふと、暫く前のことを思い出す。 寒くて寒くて仕方が無くて、調子が悪いのをいいことに“我儘”に彼 に甘えて、その腕に抱えて貰って暫く眠った。 ・・・本当は、目が醒めたらちゃんと礼を言おうと思っていたのに。 間抜けなイーノックは自分も眠ってしまったはずみで私を落としそうに なり、反射的に目覚めて掬い上げて引き寄せようとしたその動きと、急 な落差に目を醒まして身体を起こそうとした私の頭と彼の額は見事にぶ つかって。 ・・・痛かった。ので文句を言って怒った。 でも、イーノックは。 これは事故だとか、そもそもこちらからの要望でそうした末だとか、ひ とである自分は眠っても仕方が無いのだとか、言い訳はせず。 相変わらず私の少々一方的なそれに言い返そうともせず。 ただ、もう寒くないかと尋ねて。 もう平気そうだと答えると、本当に嬉しそうに良かったと笑った。 なんとなくその真っ直ぐさに、自分の起き抜けの我儘さが子供っぽ過ぎ る気がして気恥ずかしく。 そっぽを向いて、かろうじて礼らしきものは口にしたけれど。 もう一度彼は、良かったとだけ言って、明るく笑う。 ・・・“ひと”の癖に。 私よりもずっとずっと年下で、長く長く変化が少ないというただそれだ けにも耐えることが出来ないというのに。 彼は、自分よりも私を気遣ってくれる。 こうして機会があれば、私を、守ろうとする。 ・・・・・・。 おまえは、本当に、バカだ。 ・・・彼に守ろうとされるのは嬉しくないわけではない。 という感覚に。 “天使の長子”たる自分がそんなことでいいのだろうかとも思うが。 そもそも、イーノックは“天界の例外”なのだ。 私にとってもあれこれ片っ端から例外だ。 ・・もう、いいことにする。 でも。 今、此処で。 その優しい暖かな気持ちに甘えて、“ひと”の小さな子供のように彼の 背に隠れようとしているわけにはいかないんだ。 私は、“それ”という“個”と。 知っているようで実際に知りはしない“未知”と。 私という“個”で向き合ってみなければいけない。 この“旅”を続けるのであれば、避けられないことなのだから。 私の気配が変化したのを感じたのか、イーノックが振り返る。 心配そうな色を微かに覗かせているその海の緑の眸と視線を交わして、 頷いてみせると何となく通じたようだった。 ほっとしたように、それでも完全にその“構え”のようなものは解かず に、横を通り抜けて数歩先に出る私の肩と背の辺りを視線が追うのを、 視覚ではない何かでわかる。 ・・・エルと私を繋いでいる“精神の紐”・・今はかれの“期限”に よって切れ掛けている、かつての最初は一本の“糸”であったものが。 私とおまえの間にも、既に微かにかたちを成しているかのような。 そんなような気がふっと、思考の端を掠める。 イーノックが<次代候補者>であるのだから、別に不思議なことでは無 いのだが。 ・・いつからそれは朧に“何か”を紡ぎ、“糸”と成り得たのだろうと。 記憶の内を漂い出しそうになる意識を引き止め、“現在”に立ち返る。 それは、今、考えることじゃない。 空気と言うよりも、水を伝わるもののようにぼんやりとしながら確かに、 おそらく相互に届いていた“波”の知覚が遠ざかり、極々薄くなる。 もう、何時もの状態だ。 それでもやっぱり、彼が私を気にしてくれていることはわかるし、“知 って”もいるのだが。 ふ、と可笑しいような嬉しいような妙な気分で、背を支えて促される ように。 寄り添い合うように立って私の様子を窺っていた“二人”の前まで行き、 まずは目が見えないのだという少女に向けて片膝を折る。 ひとの子供にはこうすると怖がられにくいのだと、イーノックが言って いた。私と彼女とでは大分身長差があるので、見知らぬ相手だが脅(お びや)かすつもりは無いのだと示すためにもこうしたほうが良いだろう。 目が見えなくても、声の位置と気配で何となくわかってくれるのではな いだろうか。・・伝わるといいんだが。 頭に巻いた布から出て高く束ねられた、紫に煙る灰白の髪が揺れた。 「・・・こんにちは。 君が、ナンナだね。 イーノックから、会ったことは聞いているよ。 彼から聞いているかもしれないが。私は、ルシフェル」 薄水翠の眸が、まるで見えているかのように私の顔にひたと据えられ、 隣に居るものに回されていた腕が、力づけるようにぎゅっと力を込める。 それから、一歩前に出ると私の耳元に顔を寄せると声を低めて小声で話 し掛けて来た。“かれ”に聞こえないようにだろう。 「・・・・・・。 さっきネフィリムのこと、怖がっていたでしょ。 それは、いけないの。 ・・・“ネフィリム”を怖がるひとがいるのは仕方ないわ。 でも、この子はおとなしいし、他の子よりもお喋りが好き。 大丈夫」 ほら、と私よりも大分小さい、イーノックよりも暗い色合いの褐色の手 が、柔らかだが細かな傷や癖が顕れている指と掌で、私の手を掴むよう に引いて。 ネフィリム、の手、に私の手を導く。 「ネフィリム。 “イーノック”と一緒に居る天使のひと、なの。 “ルシフェル”」 彼女や私の手のような節のある分かれた形状ではなく、柔らかでふわり と弾力がある、ひとつながりのその丸い手に。 私の指が触れる。 ふるりと、それは僅かに震えた。 跪いたままの私よりも、ひとの大人に近いほどの大きさのある“かれ” のほうが背が高くなるので、その“顔”はほんの少しの間、上から見下 ろす形になっていたが。 つい、と。 その青い水の色の双(ふた)つの円(つぶ)らな瞳と、赤い色の口が。 不透明と透明を行き来しているような薄い黄色の表皮の面を動いて、私 の顔の位置と同じ高さに来る。かれらはとても柔らかく定まりきらない ため、身体の伸縮や顔の位置などが“不定”なのだ。 じいっと、そのまま見ている。 そして、一塊で一色(ひといろ)の真球を半分埋め込んだような透き通る ような瞳と、縦長の丸に開いたままの口の表情は、特に変化したように は見て取れなかったが。 私の指先が軽く掴んでいるほうのかれの手が、はたり、と上下に少し振 られる。もう片方の手が、にゅぃ、と細長く伸びてその小さな丸い先端 が私の頬を、そっと触った。 ちょん、と接したそれは私の眸の色が気になったのか、目元に軽く、そ して額の上の黒い髪に少し遊ぶように揺らして触れると、離れた。 繋いでいたほうの手が、ぱたぱたと、動く。 「・・・あなたが気に入ったみたい。 良かった!」 “ネフィリム”の“声”が聞けるのだという稀有な少女は、私の肩と ネフィリムの胴に片方づつ腕を回して、安堵した様子で喜んだ。 「・・・・改めて。 こんにちは! ルシフェル! あなたも。 イーノックみたいに、わたしやこの子と“ともだち”になってくれる?」 にこにこと、明るく元気な笑顔が期待を込めて、私とネフィリムを見て いる。 「・・・ああ。 そうだな。こちらからも改めて、 こんにちは、ナンナ、ネフィリム。 宜しく」 ネフィリムを真似て、繋いでいた手先を上下に振ってみると、またぱた ぱたと感情表現のような動作の“お返し”が来た。 ・・・・そうか。 “この子”も“子供”なんだな。 ふと、安心したように嬉しくなって笑う。 「仲良くしよう」 ナンナにも、空いているほうの手を差し出す。 何時の間にか直ぐ傍(そば)に来ていたイーノックが、背後で膝に手を ついて少し屈んで。ネフィリムと、もう片方がナンナに取られている私 の手を見て一安心したように溜息をついていた。 色々な心配事は、周囲にも上層(うえ)にも、その後にも控えているけ れど。・・それでも、きっと。 “諦めたくない”と口にするエルのように。 “一番良い選択”は見つけ出せると、イーノック(おまえ)が信じるよ うに。 そしてこの小さな手と手が、私に“笑って”くれるように。 私も信じよう。 この暖かなものを。 未知に向かう勇気を。 そして、希望と言う名の“願い”を。 END. |
<Second>all w_up:20110417 やっとSecおわた。蛇足は纏めてコチラに。 |
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