<Second>-outside




 あんなに沢山の“流星”を見たのは初めてだった。



 暗い夜空の上から、真上に、あちらに、こちらに、かなたに。
空からまるで雨のように、一際輝く凄絶に美しい光が流れ落ちる。
それが、“天使”が“堕ちる”時の最後の光芒なのだと。
以前実際に間近で目にしたことがあるのだという人の言葉を聞いて、家
や丁度居た建物の外に出たりその窓から、言葉もなくその光の雨を見詰
めているだけだった人達がざわめき出す。


 初めて見るとても綺麗なものに見蕩れていたあたしも、ようやく。
それが“天使様”だということは、あれが“人”でもある、ということ
に気が付いた。
“天使”というのはこの世界を創った“神様”の手伝いをしている特別
ないきもののことだ。人に似た姿をしているけれど背には鳥のような翼
があり、“神の鳥”とも呼ばれている。
世界の動きを助けるかれらは、人間のように怠けたりせず、いつもいつ
もずっと長い長い間を忠実に神様のために務めているのだと、昔におば
あちゃんが時々話してくれた。
だけど、そんなかれらの中には極稀に、その務めに飽いたり疑問を持っ
たり、そうではない事をしたいと願う者が現れて。
そういう時に、どうしても諦めきれないその行方が、“堕天使”になる
んだとおばあちゃんは畏れ多いように神様に祈るように言っていた。
そして、神様の居る天界から離れて大概はここ、“地上”に降りてくる
時。その“道を外れる”行動で身を焼き、“人”にごく近い姿に変わる
んだって。
おばあちゃんは、堕天使が別に嫌いだとかいうわけでは無かったらしい。
ただ、神様をとても信じていて、その助けになれる道から外れて神様を
悲しませるなんてよくないことだよ、と小さかったあたしに説明してく
れた。
でも、あたしは。
綺麗で色々不思議な力もあって長く長く生きるはずのかれらが。
高い空から見下ろす鳥のように地上を見ることが出来るなら、きっと、
とってもちっぽけで時々よくわからないことをしているだろう人間に。
かれらがなりたいと思うのなら。
それはとても嬉しいことじゃないのかと思った。
でも、おばあちゃんはそう言ったあたしに、悲しい顔で首を振る。
堕天使は、とても無理をして変わるものだから、無事に変化の試練を潜
り抜けてすら長生きできないのだと。
生き延びられても、長くて数年ほどだから、と。
だから、出来れば目にしないほうがわたしたちにも天使様にも、神様に
も、幸いなことなんだよ。
そう締め括られた話は、あたしの心にそれでも焼き付いていた。


 もう少し大きくなってから、その頃にはもう時折余り具合のよくなか
ったおばあちゃんが炉の傍の敷物に座るあたしに、よく座っている椅子
から話してくれたことは、前の話の続きだった。
 堕天使は人に近い姿になり、背にあった翼は焼け縮んで、炉で焦げ切
った木のような色をした、黒い長い尾のような背から垂らすかたちにな
る。
そして、それまで天上のいきものとして“性別”を持たずに暮らしてい
たかれらには人のように“男女”が分かれる。
元々の姿は男性に近かったり、どちらでもないようだったり、数が少な
く女性に近い姿を持つ天使様もいるらしいけど。本来は地上のいきもの
のように、同じいきもの同士で増えないかれらには“それ”は必要のな
いものなのだ。
そして、人のようになったかれらはその残された短い時間の間に時折、
人との間に“子供”をつくるのだという。
“元天使”と“人”の間に生まれた子供は、かれらの多くが男性である
ための“逆”なのかどうかはわからないが。
何故だか“娘”しか生まれないらしい。
そして、その子供達は“長生き”や稀に少しだけ“不思議な力”を継ぐ
以外は本当に“人”のようにしか見えず。
大概は、“アダムの一族の直系”の元に許婚として嫁いでゆく。
それは遠く、天からあたしたち“人”の初めである二人、アダムとイヴ
が降りてきた。その頃に始まっている“しきたり”なんだそうだ。
 あたしに、潜めた声でゆっくりと話していたおばあちゃんは。
もしも万が一、おまえが堕天使の“人”と出逢うことがあったら。
これを忘れてはいけないよ、と前置きをして言った。
彼らになったかれらは、本当に例外なく数年しか生きていない。
それは、最初の二人が降りた“地上の人”の時の始めからも、今は複雑
に広がって来ている血縁が元々の一筋からその多くで遠ざかった今。
大分短くなった感のある寿命のあたしたちのような傍系のものたちから
見てすら、“人生の期限”としては本当に僅かな、さらさらの砂を掬っ
た掌を傾けて零れ落ちるまでのような、短い残り時間だ。
だから、もしもおまえが“普通の人”ではなく“彼ら”に惹かれること
があっても。別れは最初から決まっているんだから。
本当は“人”ではない彼らに惹かれれば惹かれただけ、恋しく愛しく思
った分だけ、その後に続く時間の長さと悲しみを抱えることを、決して
忘れてはいけないと。
その手を差し出すには、それ相応の覚悟と犠牲が必要だと。
おばあちゃんは、とても重々しく、念を押した。
あたしは頷いて。
前に焼き付いている話と一緒に、それを記憶の中にきちんと忘れないよ
うに大事に大事にしまいこんだ。




 降り注ぐ、流星の雨の中。
ようやく本当に我に返ったのか。
家族や知人を呼び集める声を上げたり、何かの責任ある立場の人に連絡
をしようとし始めたり、星の軌跡を追ってみようと四方に散って走り出
す人影もある。
こんなに沢山の“天使様”が降りてくるなんて、一体神様の元では何か
が起こったのだろうか? 少し心配になる。
ただふと、思う。
それぞれか、纏まった願いがあるのか。それがどんな理由かは知らない
けれど。
彼らはなんらかの理由で“自由”になりたいと願って“地上(ここ)”に
降りて来たのだ。・・・命を賭けて。
なら、“一人”でも多く助けて、ほんの少しの猶予を。
この、あたしの好きな地上で目にして過ごしてほしいと。
あたしはそう強く思って、急いで少し離れている家まで取って返す。
空洞の節のある木をよく磨いたお気に入りの水筒二つに、果物の甘いお
酒と水壺に汲み置きの清水を詰め。もう冷めているけど夕飯の残りでま
だ香ばしさを失っていない小さな平焼きの穀物と木の実のパンを数枚と、
籠に仕舞ってあった中から簡単に潰れたりしない硬めで甘みと酸味のあ
る瑞々しい果実をひとつふたつ選んで清潔な布に包む。
それから、とっておきの柔らかい羊毛を紡いだ織布を、普段開かない物
入れの棚の中から取り出した。
食べ物と飲み物を袋に入れて肩から提げ、小脇に畳んだ布を抱えて外に
出る。
誰か、誰か“一人”だけでも。
どうかあたしが助けたい。
“地上(ここ)”に降りてきてよかったと。
こんなことしなければよかったという後悔ではなく。
ほんの少しでも、本当に。・・・そう思ってくれたら、いい。
もう大分、流れる星の数は少なくなってきていた。
急がなければ。・・誰かに会うのが、間に合うだろうか。
 その時。 
喧騒や人のざわめきから遠い方向で。
ふと見回すように振り返ったあたしの目に、ひとつの光が飛び込んで来
た。
それは、家の背後を越えて、森の向こうに消えてゆく。
あっちには、湖がある。
炭のように焼けて変わるかれら。
もしかして、水に落ちれば助かったりしないだろうか?
あたしは、一瞬迷ってからくるりと向きを変えて。よく知っているけれ
ど、もう夜で少しだけわかりにくい道を駆け出す。
どうか、どうか、間に合って。
あたしに、小さい頃からあなたたちに会ってみたかったあたしに。
どうか“あなた”を助けさせて!




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