<Song> 「歌が、聴きたいな」 それは、多分。 単なる話の流れ上の思いつきに過ぎなかったのだろうと、思う。 ただそれを音にして口にしたのは、目の前に居る彼に理由があった。 私の言葉を聞いた彼は、ほんの少しだけ驚いたように表情を変えて、次に なんだか困ったような顔をした。 三呼吸ほど間を置いて、その口元が躊躇うように動いて。 彼の声が、音と言う形に成る。 「・・・私は、“歌”えないんだ。 ルシフェル」 すまない、という気配を滲ませて。彼の声が私に届く。 彼が、私の言った『歌』という単語の意味を“天上的に”取り違えた事に は直ぐに気が付いた。雑談の流れだったから、ラジエルも以前に言ったの だという、『おまえも“歌”う事が出来たらな』というような意味で私が 口にしたのだと思ったんだろう。 天上で神と天使が主に言う『歌』とは、この世界の仕組みそのものに働 きかけるような、力在る言葉の連なりだ。 それは、ものやものごとの変化などの“それそのもの”を示す固有の“音” であり“響き”である。 だから、大概はとても短く、人間が‘歌う’ように一連なり以上“歌う” ことは非常に稀だ。 <神>であるエルは、しばしば思いつきのように必要に応じた組み合わせ を一見無造作に作り出すことがあるが、それはかれだからであって、特に 力ある上級の大天使たちであってもそんなことはまずしない。 大概はこれまで使われたことのある定型句から選択することが多い。 回復や補助に関するものの一部は、俗称のように“聖句”と呼ばれる。 おおよそ使い易く分かり易いそれらは、世界から力を借り受けたり引き出 したりして対象に正(プラス)方向の力の干渉をする。 別に祈りの文言と言うわけではないのだが、まあ大雑把に言って単に“そ れっぽいから”と私がいつだか言ったものが定着してしまったのだ。 天界にはほかにも私が先の時間から持ち込んだり思いつきで当て嵌めた言 葉が何気なく浸透してその辺に転がっていたりするのだが、それをいちい ち挙げていたらきりがないので割愛する。 私のように大きなエネルギーを身の内に有している場合は、定型句に頼ら なくても多少のことはそれを分けて使うことで賄えるのだが、その場合は “歌う”のではなく一種の“願い”でそれを方向性というかたちに変える。 天使は基本的にひとに似た姿をしているが、それ以外にも場所やその時 々の仕事に応じた姿に変じることがある。 不可視の姿を始めとして、大概それぞれが別種のいきものの姿を幾つか選 択候補として有している。これは種類を増やしたり入れ替えたりすること も多少は可能だが、まあ滅多にそんなことはない。 私は、不可視の状態以外に、“地上”では便利な“鳥”と“猫”辺りの姿を取 ることが出来るので、時折先の時間の中で素知らぬ振りで塀の上や電柱 の上から、通り過ぎる人間の様子や、見慣れない私に興味を持って遠巻き に近付いて来た他のいきものなどを眺めていることがある。 そういう“変化(へんげ)”を可能にするのも、定型句であったり、“願い” であったりするのだ。 まあつまり、人間にとっては天使の“歌う”は特殊なものなのである。 「・・おまえに、“天使の歌”を“歌え”などとは言っていない。 私が聴きたいのは、ひとの‘歌’だ」 勘違いしたのは仕方ないのだが、彼に向かって私が、彼に“不可能”な事 を希望したと思われるのは、例えほんの僅かであっても不本意だ。 これは私のいつもの“我儘”の範疇だぞ、イーノック。 「・・・おまえが、よく知っているもので良いんだ。 ひとつくらい、ないのか?」 強請(ねだ)る口調で問い掛けると、彼は漸く自分に何が希望されているの かをはっきり認識したようだ。え?というように私を見返して、それから 先程とはまた違った困るような表情になった。 「・・・・・あの、いや。 ・・でも。 私は、歌うのは余り、得意では・・・なくて」 ・・・・。 別におまえが‘歌’が得手かどうかは、私はどうでもいいんだ。 内容自体はまあ・・多少は好みに合うと嬉しいが。 そもそも聴きたいのは、おまえの声、だ。 昨今、訪れる度に“順調”に“会話齟齬”と“発言齟齬”が進行してい る彼の様子は、気付いた当初なんとか元に戻せないのかと思った私の思惑 を軽く覆した。 結局、その後更に時間が経過して、私がやっと悟ったことは。 この事態を私の力だけで単純に元に戻そうとするなら。 彼の様子がまだ変わらなかった頃に時間を遡って、彼の感覚でもさほど間 が空かないうちに頻繁に帰還して彼に話し掛けたり遣り取りを繰り返すこ とだろうとは思う。 ・・だが、それは恐らく。彼の変化の時間の流れだけではなく、“私の行 動”に大きな影響を与えることになるため、ここまで“現在”の時間が既 に“経過”してしまった状態で選択するのは、非常に難しい。 そして、今後度々時を置かずに舞い戻ろうとするのも、私の仕事に影響の 無くしては、やはり難しいだろう。 エルに願えば、多少の弊害が出ようが彼のためなら聞き届けてくれるだろ う。そもそもかれが気に入ったことからイーノックは天上に連れて来られ たのだから。 だが、かれも私も、何よりもまず<世界の管理者>とその助力者であるこ とを優先しなければならない。 ・・・・・天上で、唯一の例外の特別ではあっても。 彼ただひとりのために、かれや私が一定以上傾注することは、恐らく許さ れないことだ。 だから、だから・・せめてもと。 私は今、目の前に居る彼に、話し掛ける。 これも、私の我儘に過ぎないのだけれど。 ただ、引っ掛かったり、詰まったり、途切れてしまったり・・しない。 そうではない声が、聴きたい。 ・・それだけ、なんだ。 今日は、ゆっくりとだけれどそれなりにちゃんと言葉が継がれている。調子 が良いのだと思いたい。 私は、ちゃんと言葉以上の思惑の無い、気紛れの思いつきのように彼に 聞こえる様に話せているだろうか? 「・・ダメか? 聴きたい気分、なんだ」 ほんの少しだけ強請るというよりも駄々を捏ねている様な気配になってし まったが、その感情のままに視線を投げると、彼はふと笑いかけたような 表情になった。 あ。・・・・また、私を子供っぽいと思っただろう。 まあいい。今はそれでも咎め立てしたりするつもりはない。 その印象を強めてやろうかと、頬杖をついて不満そうにごく軽く睨め付け てみる。先の時間で言うなら一応ブーイングのポーズか? 流石に口でブーブー言うまではしないが(というか、雰囲気である程度わ かるだろうけど意味を教えないと正確に通じない)。 イーノックは、その私の表情をそのまま受け取ったようだ。 笑いかけていた表情をそのままに、やや苦笑気味の宥めるようなものを加 えると、 「・・わかった。 ちょっと、待ってくれ。 ・・・・ええと、その」 歌えそうなものを思い出す、と言い。 彼は珍しく自分からラジエルに今日の仕事の中断を伝えると、いつものよ うに仕事部屋の窓辺を占拠していた私に、戸外へ出ることを提案した。 *** 彼が私を誘(いざな)ったのは、幾度か彼の姿を探して来た覚えのある小 さな森の中の池のほとりだった。 此処は天界内にある施設や通路的なものから少しだけ外れた場所にあり、 何時もは余り誰かが通りすがるようなこともなく、何かに使われるような事 もまず無い。彼はその森の中の少し開けた場所を、普段自己鍛錬のために 使っていた。 池の周りの草地の切れ目に近い辺りには、周囲の木立よりもやや大き目 の樹が一本生えていて、節くれだった根が草地に見え隠れしながら伸びて いる。 此処の森はいつも春から初夏になる前辺りの季節の気配を湛えていて、明 るい鮮やかな緑を繁らせた豊かな樹々に適度に暖かな空気に澄んだ水と、 それらの集ううららかな空間が辺りを満たしている。活力を補佐する気配 のある此処を、彼が鍛錬に使っているのは適切な感覚だろう。 此処の木々の梢のさざめきを聴いているのは、結構居心地が良い。 私が来ていることにまだ気付かない彼が一心に鍛錬に励んでいたり、気分 転換に泳いだりしているのを樹上から眺めていたりすることもあった。 一度は、彼が木登りをしている時に来合わせたので、不可視の状態で待っ ていて、登れる一番高いところまで来た彼を驚かせてやろうとひょいと姿 を現してみたら高めの狭い枝では距離が近すぎたためか驚かせ過ぎて、危 うく掴んでいた枝と足場から落ちそうになった彼を慌てて掴んで引き上げ たこともある。・・・あの時は本当に、私には無い筈の心臓があるのかと 思ったほどびっくりして、それから安堵した。 私にもう暫く待っていてくれるように告げて、大樹の根の伸びる先の草 の上に胡坐をかいて座ると、彼は暫く考え込んだ。 私も、こういう時にはもう余り急かしたりはしない。 本人に動く気があるなら待つ。 “地上”のいきものよりも長い長い時間を有する私たちは、必要があれば “待つ”ことはそれほど苦ではない。・・ただ、彼にとってはその感覚の食い 違いが齟齬を生んでしまったわけなのだが・・・。 考えると溜息をつきそうになるそれを表に出さないように押し込めて、適 当な根の上に腰を下ろして、彼が行動を決めるのを待つ。 彼は、・・・・何分ほどだったろうか。 さほど長くも無かっただろうけど、何だかとても長いような気もする時間 を黙考し、それから彼は顔を上げた。 「・・・これは、多分完全に思い出せた。 と、思う」 なんでもよい、のだよな?と再度の確認の問いかけに、そうだと応え。 それから好奇心のようなものが呼び覚まされる。 彼は一体、どんなものを選んだんだろう? それは表情に表れていたのか、彼は先程見せていた笑いかけ、のようだっ た表情を今度は止めずに。 「ルシフェル・・ 本当に私は、歌う、のは得手じゃないんだ」 期待に添えなくても勘弁してくれ、と。 はは、と何故だか可笑しそうなのだか嬉しそうなのだか済まなそうなのだ かよくわからない気配で、明るく笑った。 お眠り 月の揺り籠で 揺れて揺れて 形を変えて 覆い布は 休みの印(しるし) 夜の帳(とばり)で 安くお眠り お休み 時の揺り籠で 過ぎて過ぎて 姿を変えて 記憶留(と)めて 布地織り上げ いつか消え行く それを託して お眠り お眠り 何も惑わず お休み お休み 今はそれだけ 低く優しく、どこか切ないように。 彼が選んだ歌は、“子守唄”のようだった。 “当然”だが、彼がかつて過ごしていた“地上”の歌(ことば)。 得手ではない、と言ったけれど。 その声でひとつひとつの言葉を愛しむように丁寧に歌われるそれは、もし かしたら彼が“地上”に残してきた家族の記憶や、それよりも前、自身に親 から歌われた幼い日の記憶を思い返しているものかもしれない。 それは私に一抹のそれを理解していることを哀しむような引け目を感じる ような感覚と、それでもこの歌を今此処で耳にしているという暖かでふわ りとしたものを身の内に宿したような稀有な感じを同時に抱かせた。 滅多に眠らない私に、子守唄は縁遠いものだったけれど。 それはきっと、思い出と併せて“私のために”心を込めて歌われたものだ ったから。 その響きを聞き漏らさぬように、耳を傾ける。 優しい響きと共に空気を伝わる、その気配も呼吸して。 ふ、と歌い終えた彼が息をつき。 閉じていた目を開けて私のほうを見た時、その明るい海の色の緑に浮かん だ反応を心配するような気色(けしき)に、つい。 少しだけ間を置いて吹き出した。 「・・・! ルシフェル! だから・・・・得手じゃない、と・・・」 褐色の頬に透ける赤い血の色を上らせて、決まり悪気にがっくりと脱力し た様子で肩を落とす彼に、そうじゃない、今のはおまえの今さっきの顔が 可笑しかっただけだ、と断って置いてから。 「そうだな・・・・・。 返礼に、私もひとの歌を‘歌おう’。 ・・・それこそ、私も別に得手ではないのだからな。 おまえも、笑ったりするなよ」 仄かにからかう調子を混ぜて告げると、彼は急いで至極真面目な表情にな ると頷いた。 座り直した彼を見て取ってから、私も少し姿勢を直して深呼吸する。 思い出すのに少々掛かっていた彼よりも、私のほうが元々の記憶の構造の 点では有利だとは思うが。それでもいつの時のどんな時代のことだかまで は覚えていなかったので、それが印象に残る歌だった、というだけで記憶 を引っ張り出すのに少々間を置いた。 記憶にある音をなぞり、思考の中で一度言葉を繰り返す。 イーノックにわかるように“地上”の言葉とどちらにしようかと迷ってから、 天界語に翻訳し、音に合わせて少しだけ調節した。 ・・・多分、これでいい。 すう、と息を吸って。 イーノックがしたように、記憶にある歌い手がしていたように。 丁寧に、大切に。 言葉を音に乗せて、紡ぐ。 陽は沈み 空は宵に 影を率いて 歩を進め 帰り着く それは家路か 辿り着く 仮の宿りか 家人(いえびと)よ 灯り点すなら その窓に 導(しるべ)置け 旅人よ 夜(よ)を歩むなら 月を共に 風とゆけ 夜(よ)は黒く 朝は未(いま)だ 暁と呼ぶ その時を 待ち望む それは朝日か 焦がれ見る 故郷へか 家人(いえびと)よ 扉開けるなら 道行に 祈り贈れ 旅人よ 陽を望むなら 地と共に 道をゆけ 歌う私は 此処に居て 語る夜毎の 夢の後先 炉辺(ろばた)に 荒野に 響きを届ける 最後の響きを歌い終えて、小さく息をつく。 記憶にある歌い手は、放浪の名も無き吟遊詩人だった。 古びた愛用の弦楽器を抱えて爪弾きながら、静かに優しく歌うその声に、 偶然その小さな酒場兼宿屋のような場所の階下の一角で、目立たないよう に頭布付きの、でも適当にきちんとした程度に見えるだろう外套を纏って 一時の休息をしていた私は惹き付けられ。まだ口をつける前だった注文し た杯もそれと一緒に出された木の実の事もすっかり忘れ。ただひたすら、 記憶してしまおうと身動きもせずに聴いていた。 歌が終わってから、ほかの客が拍手を送ったり小銭を渡してほかの世間で 馴染みらしい歌の要望をしたりしているのに気が付いて。 そうだ。こういう場合は何らかの形で示すべきだったなと。 暫く滞在していたこの時代で、こういう場に入る時に違和感を持たれない ために金銭代わりに使っていた別の場所で入手した価値の有る古銭のどれ かを出そうかどうしようかと迷ってから。 ふと気付いてまだ手をつけていなかった良い香りの甘い果実漬けの水割り の杯と、つまみの木の実の載った小皿を両手に携えて彼に近寄り、今の歌 がとても気に入ったことと彼の技量を賞賛して、それを彼の席の卓上に置 いた。 彼は全体的にとても地味な色彩と格好の謙虚な様子の若者だったが。 私のその行動をとても素直に喜んでくれて、有難う、と微笑んだ。 その優しいけれど、憂いも希望も現実も夢も、何もかも包んでいるような 不思議な雰囲気は、私にはとても‘歌’ひとつの声に込めることはできな い。仮に、彼が同時に奏でていたような控えめな弦の調べがあったとして も余り足しにはならないだろう。 でもほんの少しでもあの歌の雰囲気を伝えられたら、と。 それだけを願って歌った。 遠くにやっていた目を向けて、イーノックのほうを見ると。 彼は、何故だか呆然としたような顔をしていた。 ? ・・・何か、この歌に問題でもあったんだろうか?彼にとっては。 首を傾げて、腰を下ろしていた根から立ち上がってほんの少し離れた草地 の上の彼の前に立つ。 「イーノック? ・・・その顔は何を言いたいんだ」 見上げた顔が、間を置いて表情を変えた。 それは賞賛の笑顔だ。 「・・・ルシフェル! 貴方は、凄いな! 歌い手としてだけでも、とても・・・」 そこで詰まって、ええと、なんと言っていいのかわからないけど。兎に角 聞き惚れてしまったのだと。イーノックはそう言うと何だか憧れを込めた ような瞳で微笑むと、それから最近では珍しくも、手放しの満面の笑みを 浮かべた。 「・・・それは、とても嬉しいのだが。 この歌は、私が聴いたお気に入りの記憶を伝えたかっただけだからな」 おまえに本来そこまで賞賛されるべきは、多分歌の作り手である歌い手の 詩人だぞ?と、正直に説明してみた。 彼の歌声が見事だったからこそ、私が記憶したいと思って今また此処で そのほんの一端が再現されたに過ぎないのだ。 そういう意味合いの言及をすると、イーノックはもう一度明るく笑う。 「・・貴方の声と、貴方の・・その歌を大切に思う、気持ちと。 それがあるから、今此処でまた。 もう一度、別の形で、聴いたものの心を動かしたんだ」 少しだけまた引っ掛かりかけたような気はしたが、懸命に彼が言葉を選ん で伝えようとしてくれていることは、よくわかった。 ・・・・彼は、やっぱり本当に元に戻らないわけでは無いと思う。 彼の中には、元と変わらない・・いや、かえって元よりも沢山の言葉が出 て来ないままにウロウロと彷徨っているような気がする。 ・・・・だから、私はやっぱり諦めたくはない。 「そうなのか・・。 有難う。では、あの詩人の分も代わりに私が受け取っておく。 おまえの歌も、良い歌だったぞ」 思わず聴き惚れたからな、と笑みを向けると彼は驚いたようにしてから。 照れたような表情になった。 それから・・・ふと。ひどく生真面目な面持ちに変わる。 「・・ルシフェル」 「・・・なんだ?」 「・・・・・・。 もう一度、もうひとつ。 聴いてもらっても、良いか?」 ・・・。 どうしたのだろう。 彼が気に入っていた別の歌を思い出して、それも聴かせてくれる気になっ たのだろうか。 少し不思議に思ったけれども、貴方の歌った歌は長くて少し不公平だから、 と続いた真面目な口調に少しだけまたつい吹き出した。 そういう問題なのか。まあ、おまえの歌が聴ける分には私は何でも構わな いが。 あははは、と笑う私がそれを止めるまで、それでも楽しそうな私の様子を 見て取って仕方なさそうに苦笑したイーノックは、待機中の毛並みの良い 大型犬の様にじっと草の上で座っていた。 彼の向かいの草の上に座って、彼と同じように胡坐をかくともう良いぞ、 と促す。 彼はやっぱり生真面目に、先程よりも緊張した様子で何度か呼吸した。 そして、また目を閉じて、口を開く。 お早う 時の行き先で 来る日過ぎて 行く手を見据え 絵札捲り 全てを抱いて 選ぶ助けに 神に囁く お休み 時の来た道で 来た日残し 振り返るのは 足跡無き 航跡と記憶 翼広げて 夢と現に お早う お休み また会う日まで お休み お早う 私は此処に ・・・・・。 それは、先程聴いた子守唄と同じメロディだったが、ほんの少しだけ音調 が変化していた。 暖かで優しいが哀調も帯びていたそれが、静かで様々な希望(のぞみ)を込 めたような明るい憧れの色調に。 そして、その歌詞は。 「・・・即興で、済まない。 流石に、粗過ぎたか」 「・・・・・今、作ったのか?」 出来がどうこうは私はよくわからないのでどうでも良いのだが。 これは、つまり。 先程思い出したばかりの歌を元に、ほんの僅かの間に思いついて組み上げ たものだという事だ。しかも・・・・私に聴かせるだけのために? 今度は、呆然とするのは私の番だった。 “ルシフェル”に向かってうたわれたものは時間を辿れば幾らもあるだろ う。けれど。 この“私”だけのために歌われたものが、一体、幾つあるというのだろう。 そして、“彼”から“私”に贈られたものはこれただひとつ、だけだ。 「・・・・・」 「・・・気に障らない・・と、良いんだが・・」 不安そうに心配気に、私の表情を窺う、その声が。 見覚えているその眼差しが。 「・・・。 ラジエル同様に記録者であって、戯作者ではないおまえが。 こういうことが出来るとは思わなかったぞ」 首を傾けて笑みを送ると、イーノックは瞬きをしてから明らかにほっとし た表情になった。その気配に少しだけ、あの放浪の歌い手の面影が重なる。 ・・・ひとというものは本当に、時折思いもかけないことをする。 彼らには、別に、不思議でもなんでもないもののひとつなのだろうけど。 「・・・有難う、イーノック。 私を、待っていてくれるんだな」 今度はからかい気味に笑ってみせると、彼は少しだけ照れたように頬を片 手の指先でかいたが。素直に頷きで返してきた。 「・・・ずっと。 貴方が来るのを、楽しみにして居る」 にこりと笑ったそれに、また、無い筈の心臓が今度はやっぱり彼を此処に 留める原因であった側である事の罪悪感のようなものを覚えたのだけど。 待っていて貰える、というそれはやっぱり嬉しいような気しかしなくて。 私の“我儘”はたちが悪いのではないかと少々内心悩む間にも。 ・・時はまた、着実に歩みを進めてゆく。 またほかのも歌ってくれ、と強請ってみせると。 彼は困った風に首を傾げて。 やっぱり私は得手ではないんだ、と。 中々首を縦には振ってくれなくて、双方でよくわからない意地の張り合 いになったりもしたのだが。 私も歌う、ということで彼が負けて結局もう一度歌って貰ったのは。 あの旅の発端がエルの予見に映る、そのほんの暫く前の出来事だった。 END. <Wing> <Egg>-After |
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