<Egg>-after 天使(みつかい)は、神の創られた卵から生まれるのだという。 今日は、天気がよくて空は綺麗な青色だ。 所々に綿のような白い雲が、ふわりふわりと浮かんでいる。 時々地上では見たことの無い色をしていることも稀にあるのだが。 曇っていても雨天であろうが、どれとてもとても綺麗な天界の空は。 やっぱり今日も、美しい。 そんな日に、見晴らしの良い小さな塔の屋上で、辺りには空ばかりとい う状況で話をしているのは、気分が良い。 相手が、機嫌の良さそうな黒衣の最上級天使であれば尚更だ。 先日また、長い旅からやっと戻ったらしいかれは。 珍しくも、暫く滞在する予定なのだと言って、のんびりした様子で私の仕 事部屋に顔を出した。 ラジエルに挨拶して断りを入れると、幸い急ぎの仕事は一切無かった私を 促して歩き出し、言われるままについて行った私が目にしたのは、普段余 り立ち入らない場所にぽつんと立っている小さな白い塔だった。 小さいといっても6階層分ほどある塔は、高さはそれなりにある。 中心部を取り巻く緩やかな段が刻まれた傾斜の上り坂の通路と、大きな窓 穴の並ぶ外壁、所々の踊り場しかないそれを昇り切ると、四角く切り抜か れた最上段の天井を抜けた屋上部分には円周を低く囲う壁と、塔の素材と 同じ、石のようなもので出来た瀟洒な円卓と揃いの数客の椅子があった。 余り使われているという感じはしなかったが、汚れや風化の要素というも のの少ない天界では例え野晒しが長かろうと、もろけたり埃に塗れたりと いうことはほぼまず無い。更に、天界を時々洗い流す雨に当たる屋上であ れば尚更で。それらはとても綺麗で、使用の点に何の問題も無かった。 当然、椅子や机の様子を確認することもなく腰を下ろしたかれに倣って、 私も向かい側の椅子を引いて(収められているなと思ったら、石っぽいも のだが造り付けではなかった)腰掛け、今に至る。 話題は、かれが最近の私の様子を尋ねたことから、小天使についての事 になった。 天界には、神を頂点として大天使、その下に私もよく目にする機会のある 中天使、更に下に小天使、がいわゆる階級のような感じで存在している。 ただ、これは人間で言う“地位”のようなものとは違う。 基本的に天使は生まれた時に役割や能力が定められているので、それに 見合った任務を勤めるものであり、その時々に応じた仕事などはあるもの の、それはかれらが存在する限り変更は無い。 天使、と一口に言ってもある意味でかれらは3つの別々の種族のようなも のだ。まあ、完全に違うものでもないので・・亜種、というものになるの だろうか。 まず大天使のかたがただが・・大きな仕事をされている事が多く、普段 は資料編纂室傍の仕事部屋に引っ込んでいる私は、議会の席上やその ほかのたまに以外では“決まった顔”を目にすることは珍しい。 かれらは天使の中では“個性”がはっきりしている傾向があり、“天使ら しい”様子はあるけれども個人・・いや個鳥の見分けは難しくない。 能力にも容姿にも立ち居振る舞いにも言動にも、それぞれにある程度の癖 があり、仕事上の遣り取りで言葉を交わす分には違和感を覚えることは少 ない。ただ、明らかに感情の喜怒哀楽のようなものは大分純化されている 印象で、人間のようには混沌としていない。 中天使のかたがたは・・、この個々を見分ける為の癖のようなものが少 なく感情も安定していて、怒る、というようなところは私は普段の天界で は目にしたことがない。そして、はっきりとわかるほどの嘆き、というものも滅 多に表さない。喜怒哀楽でいうなら、大概は平静と喜と楽に近い様子をして いるのだ。遣り取りをすれば独特の博愛に近いような好意が返ってくるのだ が、つきあいにはコツが要る。 そして、かれらとはまた少々違っているのが小天使のかたがただ。 青年期から成人の見た目をしていることが多い大天使や中天使のかたがた と違い、かれらは幼児から子供の域を脱しない範囲までの、人間の男児に 似た姿か又は中性っぽい容姿をしている。ただ、かれらは職務に就いてい る状態であれば、その外見から成長することはない。それで完成済みだ。 見た目はとても可愛らしいので見ている分にはなごむのだが、かれらは個 体の生物には少々馴染み難い点があった。かれらは、一種の群体なのだ。 人間もまあ、群れで生きる生物だがかれらは本当に“小群”でひとつの個 を形成している。 大概は、五羽ほどが一組になっていて、一応個体の自己意識はあるし性格 の傾向らしきものはあるようなのだが、全体でひとつの上位意識を持つ共 同体のようないきものだ。 外見は五羽の一組はそっくり・・とはいかないが相似が見られる程度に似 通っていて、人間で言う兄弟のようだ。ただ、翼は一組で皆同じ彩色であ り模様があれば同じ配置なので、近くに居ればわかりやすい。 五羽のうちいずれかが知った情報は、共感覚のようなものでなんとなく伝 わり、間を置いて詳細も伝わる。 必要な情報である、と思えば別の一群れにも伝える習性があるので、小天 使の誰かに伝達用の情報を伝えるとあっという間に小天使全体に伝わるの だそうだ。これが情報用特殊紙の話の折のラジエル曰く、“小天使(ちび ども)にはそれ一枚で十分”ということだった。 かれらは余り複雑なことは考えず、簡単な仕事(地上の生き物にこっそり 祝福を与えたり、一種の“目”の代わりにあちこちを見て回ったり、届け 物や伝達をしたり、天界のこまごまとした雑務をしていたり、中天使の手 伝いをすることもあったり)をしたりしていて。そして、完全に暇だったり 休みの時には、神の様子を窺ったりしているらしい。 天使(みつかい)は皆、神が第一であり深く敬愛と親愛を捧げられているの だが。・・・なんというか、かれらの好意は見た目に似たごく幼い子供っ ぽい要素があり、純粋に“神様大好き!”“神様素敵!”なので、誰かと 話しているところだろうと、何かを見ているところだろうと何だろうと、 何をしているのでもただ見ているだけでも楽しいらしい。 時々、楽しそうなかれらが去り際に撒き零した綺麗な花々やきらきらしたも のが、点々と部屋の入口などに落ちていることがある。神の様子を窺って いたのだろう。 かれらは中天使たちよりも、私を個人として認識する意識は低いようだが。 時折、地上の行動の延長なのか通りすがりの私にきらきらと祝福を投げ掛 けてくる。神のお気に入りの人間=祝福すべき!という感じなのだろうか。 そして、そのかれらに神の次くらいには慕われているのではないかと思 われるのは、なんとルシフェルだ。 殆ど居ないのに何故?という気もするのだが。 神の一番お気に入りの天使=素敵!という点と、あとルシフェル自身がか れらには鷹揚に優しいからのようだ。 滅多に会えないかれがたまに帰ってきて、通りすがりに挨拶をする(神より は近付きやすいようだ)と、急いで居たり稀に相当疲れた気分だったりして いなければ、優しく手を振ってくれたり笑みを返してくれるのがとっても 好感度が高いんだとかなんとか。 ルシフェルは最年長なこともあって、ほかの天使たちには皆年下のきょう だいか親戚のような感覚を(人間の血縁ほどはっきりしたものではないが) なんとなく抱(いだ)いているらしいが、どうやら小天使たちは見た目のこと もあって本当に小さい子供扱いのようなのだ。 かれは、子供に甘いらしい。 ・・・・・つまり。 “天界では最年少クラス”の私を構ってくれるのも、それが一因だったり もするのだろうか。 先程、上空を通りすがりにルシフェルに挨拶を返して貰って嬉しそうにく るくると回って飛び去った一羽の小天使が落としていった、珍しい白い花 を手に取って眺めながら。 一緒に落ちてきたきらきらした光の粒子の結晶のようなものが黒い服にく っついてしまって、苦笑しながら。でも文句はさして言わずに、暇にまか せた気紛れなのか丁寧に指で摘(つま)んで卓の上に載せているかれの様 子を眺めて。 嬉しいのかほんの少しだけ不服なのかよくわからない気分で、こっそりと 心の内で小さく溜息をついたのはかれには絶対に内緒だ。 「・・・ルシフェル、髪にも」 明るい日差しに映える黒い髪の上にあるそれに、少し躊躇ってからそっと 手を伸ばして潜らないように慎重に摘(つま)み取り、卓上の小さな小さな山 の上に載せる。 「・・・はは。 天気が良い日に暇をしてると、こうだからな」 苦笑気味に微笑んで有難う、と私に言ったかれは集めた光の粒子と花を 両手に乗せると、ふっ、と息を吹き掛けた。 風に乗ったそれは。 よく晴れた空を、きらきらとどこまでも飛んでゆく。 「天界に、祝福を」 声に視線を向ければ。 目を細めたかれが、楽しそうに笑ってその行く手を見ていた。 *** その後。 天使の卵、について聞かせて貰った。 それは、生まれる天使の翼の色を映していて。 とても多彩な色で大きさも様々で、とても綺麗なものなのだと。 硝子のように透き通った殻のうちにもう一重に膜のように中に眠るものを 包むエネルギーの柔らかな凝縮体があり、微かにきらめきを宿すそれを通 して丸まった姿がぼんやりと見えていて。 孵化が近付くにつれて厚みのあった殻は大きさを増した分薄くなり。そし て同様に消費されたエネルギーの分だけ薄くなった内膜を透かして、丸く なって眠っている姿がよく見えるようになるのだと。 記憶を辿るように、懐かしむ表情でかれは語る。 「・・・もしかして、その卵の中の膜と生まれる前の天使(みつかい)は、紐 のようなもので繋がっていたりするのか?」 尋ねてみると、うん?と不思議そうに答えが返る。 「・・そうだが。 それが、どうかしたのか?」 納得して、返事を返す。 「いや。 貴方たちの構造はそもそもが不思議なので、余り追及するつもりはないの だが。 ・・・ただ、幾度か見かけたうちでは天使(みつかい)にも臍があるようだ ったから。もしかしてその辺りはひとと似ているのか、と思ったんだ」 鳥には臍がないようだからな、と付け加えると。 ぱちくり、と瞬きをしたかれは、先の時代のものだという黒尽くめの衣服 の布地に隠されている自分の腹の辺りを見下ろして。 それから私のほうを見て。 「・・・・・・・。 あ、あははははは・・・っ。なる、ほど・・っ」 何かがツボに入ったらしく。 珍しくも暫く可笑しそうにひたすら笑っていた。 天使は、神が創られる卵から生まれる。 地上のいきもののように性別は持たず繁殖することはない。 ただ、神の手から創り出された数だけ、存在する。 天界は現在殆ど新しい天使が生まれることは無いそうだが、かつての黎明 期からその後に掛けては次々と卵が孵り、当時の養育係の担当天使はひっ きりなしに忙しくしていたのだという。 暫くして笑い止めたかれは、以前のことだという思い出を話してくれた。 天使には、一部の鳥の習性に似た“刷り込み”という特性があり。それ はまず大前提として元々備わっているのが<神>への敬愛と親愛を促すも のなのだという。神の助力者として様々な力を持たされることとなるかれ らの意向を統一し、自分勝手な振る舞いを簡単にはさせないためのものだ そうだ。 それとは別に、本当に鳥のような“刷り込み”ももうひとつ存在していて、 これは主に世話係の天使に懐いてもらうための初期時期のみに有効なもの なんだという。 が。 これはひとつの欠点があって、やっぱり鳥の例に同じく、最初に見た(最 前提である神は除く)相手に懐いてしまうという問題があったのだという。 普段は、卵を安置してある孵化室には神と養育係の天使しか立ち入らない ようにしているそうなのだが。 もう殆ど卵も創られなくなった頃。 たまたま、神に用事のあったルシフェルがそのことをすっかり失念してい て孵化室に居られた神の元を訪ね。神が別用でほんの少し中座された隙 に、ルシフェルが綺麗だったからと眺めていた卵が孵ってしまい“刷り込み” が起こってしまったのだという。 「・・・それが、小天使の卵で。 卵の殻の色は翼に何色かが在る場合はそのうちの一色なんだが、余った色 が多いほど綺麗な油膜のようにその上に虹色に光っていたりするんだ。 ・・本当に、久々に見たそれは、綺麗だったんだよ」 5つの卵が同時に割れて、小さなかれらが顔を見せたときには、しまった、 と思い出したがもう遅かった。 そして暫く。天界へ帰還する度に、どこからともなく本能で察知して文字 通り“すっ飛んで”来るかれらに“現在”に居る限り天上・地上どこまで もひたすらついて来られるのに困ったらしい。 神は、“巻き戻し”しても良いんじゃないのか?と最初の刷り込みの時点 でもうぐったりしていたかれに勧められたらしいが、明らかに自分の迂闊 だし、本当に実害があるというわけでもないし・・・ということで。かれは結 局、そのまま“刷り込み”の有効期限が切れるまで耐えたらしい。 切れるまで天界を留守にしてしまうとか、用事がある間だけかれらの範囲 の時を止めて逃げ出してしまうとか。そういうことはしない辺りが公平な のか案外不器用なのかはよくわからない。 ただ、真っ直ぐに自分に懐いてくれるものは習性でも嬉しかったのかもし れないな、と七色の色鮮やかな翼だったのだというその天使たちの面影を 呟いたかれの表情がどことなく懐かしそうだったので。 ・・・やっぱり、かれは子供に甘いのではないかと、思った。 「最近は、用が無いから孵化室も殆ど閑古鳥だが。 予備用に、特別に休眠状態で長く眠っている基盤だけ備わった卵というの もあるんだ。 うっかり孵化室に迷い込んで、つついて起こしたりするんじゃないぞ?」 軽口の風情でかれが笑う。 冗談だとは思う・・のだが、情報としては本物の気がするので素直に頷い ておく。 「そうだな。天使(みつかい)は人間の子供のような手の掛かり方とは少し、 違うのだろうが。・・子供の世話は、大変だからな」 笑って答えると、かれはああそうか、と。 「・・そういえば、おまえは子供を育てたことがあるんだったな。 一群れは無理でも、一羽や二羽ならどうにかならないか? もし、今度新しく卵が創られる機会があったら、養育係に推薦してやろう か」 これは確実に冗談だろう言い方なので、わざと真面目な口調で答えた。 「・・・いや。 中々飛べなかったり、話すのが遅くなったりしたら困るからな。 謹んで、遠慮しておくよ」 天使は大概は生まれて直ぐに話せるのだが、たまに上手くゆかないことも あるそうだ。人間は、そもそも生まれてからそれなりに経つまではろくに 話せない。 ルシフェルは、その違いは理解しているので冗談だと通じたようだ。 「ははは、それもそうだな」 楽しそうに笑うと、ふと空を見上げた。 「・・・・。 ああ、本当に今日は良く晴れているな。 ・・今度、土産に“シャボン玉”を持ってきてやる」 こんな天気の良い日なら、きっと、とても綺麗に光って飛ぶだろう。と。 かれは、虹掛かる卵の殻に似ているという、その色合いを。 少しだけ遠い眼差しで、言葉にした。 END. <Song> <Egg> |
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