辺りの様子が大分変わって来ていることに気付いたナンナたちが、一
寸向こうのほうまで見て来たい!と言うので。
はしゃぐのに一段落して座って辺りを飽かずに眺めていたナンナが何時
の間にか小花の群れに囲まれていた近くで、最初地面に居たネフィリム
が小さな小さな低木の茂みの上に乗っていたように。
これまでの周囲の様子でも、元々あったものがそれなりに復帰してもご
くごく緩やかなもので、変化によって足を取られたり閉じ込められたり
するような危険性は無さそうだとそろそろ判明していたので、念のため
に気をつけるようにとは言ったが承知した。
視覚の封印が解けてからは少々視覚的に“気を取られる”ことはあるよ
うだが、元々よく気のつくほうだし、ネフィリムも一緒だしな。

 イーノックたちの言うことによれば、途中まで居てくれたウリエルは
“方舟”に状況伝達に行ったそうだが無事に辿り着けただろうか。
<世界>が落ち着いたことはそのうちに解るだろうし、きっと完全に周
囲が安定したら、余力があるだろう四天使たちが“方舟”のうちの人々
やほかのいきものを無事に適切な場所に送り届けてくれるだろう。
・・・天界(うえ)や冥界(した)のほうにも、その頃には連絡を取ってみ
なければならないな。
まあでも・・、まだ、もう少しだけ。
多分きっと、この後は本当に忙しくなる気がするから。
この、<世界>が完全に元に近くなるまでの僅かな猶予期間だけ。
ただこうして。
<後継者>と<助力者>ではあるけれど。
おまえと、私と、そういうだけでもある間柄で。
・・・・もう少しだけ。ただ、並んで居たいんだ。
それくらいの“我儘”は、しても構わないだろう?



 二人(今は一人と一羽か?)が散歩に出かけたので。
それを待つ間にふと。
経緯を話し終えた少し後、先程から沈黙しているイーノックに尋ねた。
「・・どうした?」
「・・・いや、貴方は、<エル>を継ぐものが私で構わないのかと。
考えていた」
また、珍しい程自信がないような言葉だな。
まあ、こいつは基本的に謙虚なので口に出す言葉よりも内心ではぐるぐ
るしていることもあるんだろうが。
「問題だったら、とっくに旅のサポートの時点で投げている」
私が“我儘”なのは知っているだろう、と続けた。
・・本当に、次代候補などおまえでなければ放り出す可能性だってあっ
たんだぞ。エルとはいわゆる人間のいう“幼馴染”というやつになるの
だろうし、大方でよくわかってはいるそれと変わることも不安だし、誰
より親しいかれが失われることも、幾ら宥められても最初に告げられた
時から時が経ってさえも、本当に辛く思えたのだ。
「しかし・・貴方はエルの本気の頼みは断れないと言っていたし」
・・・・・。
本当に弱気だぞ。どうした。
一旦引き受けた仕事に怖気づくような奴ではないんだが・・・。
「いや・・だから。
ええと、言いたいのはそういうことではなくて。
“貴方”は“私”をどう思うのかと・・・」
もごもごしている。
ぽかっ、と後頭部を軽く殴る。
私が、おまえを“後継者としてエルに託されたから”と、親しいという
馴染みだけで助けていると思っているのか?
・・それは少し、謙遜ではなくて無礼だぞ。
エルもだが私も。おまえに“希望(きぼう)”を認めたからこそ、今此処
に居るんだ。そしておまえは、ちゃんとそれを“現在”というかたちに
して見せてくれたじゃないか。
どうして以前ではなく、今、弱気なんだ。
 確かに、神の仕事は終りもはっきりとした区切りすらなく、もしかし
たら終りがあることがわかっているこの“旅”よりも辛いかもしれない。
でもそんなこと、エルを見て、ラジエルの元で膨大な情報が存在するこ
とを垣間見て、天界で天使を目にしていたおまえなら、ある程度までは
先刻承知の筈だ。
・・・わたしもエルも、“ひと”が<神>に成ることについては不安材
料が無いわけではなかった。
天界から殆ど動けないことについては、天の書記官として過ごしていた
彼のそれと何ら変わりは無かったが、彼には長すぎた静穏で齟齬を起こ
したことがある。もっと根本的な、“ひとではなくなる”ということに
は耐性があるのだろうか、とか。色々心配はあったんだ。
でもおまえは、幾つかそういうことも聞かされた上で、最初に告げられ
ていた分とは違った“旅の続き”を引き受けてくれた。
エルがおまえに希望(のぞ)んだ、“天の書記官”となることを正式に引
き受けた。・・・その時と、同じかのように。
別に彼は、私が最初そうなのかと思ったように。エルが<神>だという
だけで、ただ唯々諾々とかれのそれを聞き入れたわけではないのだ。
それは、彼が今回の“旅”を始める契機となった、天の結論への“疑問”
を示したことではっきりしている。
彼はよくバカだと言われたというように真っ直ぐだし、基本的に素直で
生真面目で、お人好しでもある。だけれど、けして直感だけや教条だけ
に従うような、思案がないようなわけでは無いのだ。
彼には彼なりの思いがあり、信じるところがある。
だからこそ、わからない。
「言いたい事があるんなら、はっきりしろ」
少し怒った口調に変えて軽く睨んでみると、イーノックは片手で目を覆
って天を仰いだ。困った風にされることは見慣れる程にはあったが、は
っきりとこういう仕草をされたのは初めてだ。
・・・?? 何なんだ本当に。
「・・・・・。
では、正直に懺悔する。
 貴方をナンナたちに頼んで行く前に、私はもしかしたら二度と戻って
来られないかと思った」
・・・・まあ、やったことがアレではな。
「・・それで去る前に。
心残りだったことを、つい」
「まだ前置きか」
そろそろ本当に怒ってやろうかと思っていると、慌てたようにイーノッ
クが早口で続けた。
「眠っていた貴方に勝手に口接けをした! 私は自制が足りない」
・・・・。
おまえに自制が足りなかったらそのへんの人間はなんだと・・・
・・・・・・。
・・・・・・・え?
「は?」
耳が、聞いた筈の声を、言葉を疑った。
茶色の肌を透かすほど耳から首から肩の辺りまで赤く染めて、イーノッ
クが顔を背けている。
祝福代わりの守護を祈るようなものや、敬意や感謝を示すものだったら、
ごく数少ないが彼からでも髪や手に触れたことがある。
唇には私から一度だけ、あの時に。
つまり。
わざわざこういう風に断るということは。
そういう意味ではなくて。
それに。
その。
ええと。
「・・・。
そんなに、騒ぎ立てるほどのことか?
唇に祝福してやったことだってあるだろうが」
取りあえずそう答えてはみたものの、つられて自分の頬にも紅(あか)み
が上るのを感じる。努めて平静に言ったつもりだが声が震えた。
イーノックはまだ落ち着いていないので私の声の調子にまで気がつけな
いのか、背けていた顔を振り向けて大真面目に言い募る。
「貴方がしてくれたものとは違う!
私は、ただ・・貴方に触れたかっただけで」
そこで、深く溜息をついた。
「私は・・前にも言ったが、貴方の声が好きだ。
 エルは貴方と同じように気さくで人間のように話して下さるかただが、
多忙で、天使(みつかい)に慕われるあのかたが、私が人間で会話が必要
だからといって例外扱いで常時頻繁に構うことが出来ないと、以前謝っ
て下さったことがある。
貴方はそういう制限はないとはいえ、最初に会った時から私に気配りし
てくれた。
だから、結局長い時に負けて貴方を何度も嘆かせる有様にはなってしま
ったが、私は、貴方が訪れてくれるのをいつも。ずっと楽しみにしてい
た。
貴方はこちらの時間を気にしないから、色々な時間に現れたし、どんな
時間だろうと状況でもやっぱり嬉しかったけれど。
それでもずっと、貴方が最初にしたように仕事部屋の窓辺にいつのまに
か座っていて、日差しに柔らかな影があって、貴方の声が私の中に落ち
る。
その風景を忘れることはない。
 二度と、あの風景に戻れないのかもしれないと思ったら、眠っている
貴方の声が聴けないのが寂しかった。
代わりに、私から触れたのかもしれない」
貴方が目を醒ましていたら止められそうだったから、本当は丁度よかっ
た筈なのに、私は私のためだけに・・。
ゆっくりめだが、長い長い台詞の後に呟いた声は、唐突に途切れた。
・・・こいつの声を、こんなに続けて聞いたことは、本当に初めてかも
しれない。
抑えてはいるのだろうが、切ないように変わったその最後の音が。
・・・・。
<世界>を救っておいて、それに出かける前の口接けのひとつやふたつ
がなんだというのだ。人間の間でも、そういう状況というのはその程度
は普通許容されるものではないのか?
好意を持たれていない相手ならともかく、私はおまえが“個人的に気に
入っている”とはっきり言った事がある。
でも、私にはまだ多分、一番親しいエルとのそれと、イーノックは少し
“違う”点があるということくらいしか、はっきりとはわからない。
だから、時々間抜けなおまえにそれが伝わってくれることは余り期待で
きないけれど。
・・・・・それでも。
勝手に触れたのだと告げられても。
状況と程度もあるけれど、おまえだから。
胸の内を語られて、拒否する気など更に全く起きはしなかった。
・・・そんな罪悪感を背負ったような顔、させておきたくない。
「イーノック」
名を呼ぶと、俯いていた顔が上がった。
私が直接触れるのが結構苦手(ナンナたちのお陰か、最近大分緩和された
気がするが)なことは、おまえだって承知している癖に。
私がおまえに“近寄れる”というそれは、把握してはいないのだろうか。
・・してない、んだろうな。
「おまえは本当にバカだな」
一息に言い切ってやったら。
驚いた顔が、悄然とまた俯きかける。
だから、そうじゃない。
そうじゃないんだ。
一つ、溜息をついて。
思い切って、肩に片手を掛けて近付くとさっきよりも驚いた表情が。
至近距離になって。零距離に。
「・・・これは、祝福じゃないぞ」
「・・・・・ルシフェ・・」
殆ど伏せていた目を閉じて、触れるだけの唇をもう一度重ねる。
私は、そういうキスの仕方なんて知らないんだ。
特に興味がなかったからな。
だから、この後は“制限”が起こるか“私”が押し退けない限りは。
おまえが、どうするのか選べばいい。
躊躇うような片掌が頬に触れるのとその温かみを感じて、身を委ねた。



***



 「・・・・。
さっきの最初の、エルがどうのというのはなんだったんだ?」
胸元に抱え込まれたままで、私はぼんやりと尋ねた。
・・・もうイーノックの今の身体の構成は元とは変わって、エルや私と
似たようなエネルギー体である筈、なんだが。これは多少の別仕様も可
能な“端末”とは違い、“本体”にごく近い“影”の筈だ。
しかし。
外見ばかりか、単純に触れて感じるものも、温度も、殻にごく薄くあっ
た皮膚そのものの微かな匂いのようなものも・・・身のうちにある脈動
や鼓動さえも。
なんでこんなに、以前何度か傍(そば)近く触れた記憶と何も変わらない
ような気がするのだろう。おそらく、“本体”も同様なのだろうけれど。
こんなところまでも“例外”なのか。
それとも、元々“地上”のいきものでそうだったから、仕様を変えなが
らも出来得る限りそのままにというだけの理由なのだろうか。
・・・・いや、彼が無意識にもそう“望んだ”ゆえかもしれないが。
“地上”も、この<世界>も、彼を取り巻くそれらを愛しているから。
だから、そう思うに至った自身をそのままにと。
 二度目に応えて返された少しだけ長く少し深い口接けの後、イーノッ
クは私を確りとその双腕に抱き締めたまま離そうとしない。
予想した通りそれは暖かで優しく・・・少しだけ切ないような幸せで。
・・少々思考が飽和状態だ。
ナンナたちが帰ってきたらどうしようとか考えるが(目が見えない時も
聡かったが目が見えてたらこの状況では尚更だ。・・・いや別に、隠そ
うとか思うわけではないのだが、何となく。ナンナはまだ子供だし、幾
らしっかりしているとはいえ向こうに遠慮させそうだというのも何とい
うか・・・・あれ、でも先刻イーノックのほうの気配を読んでいたのだ
としたら、既に遠慮させているとか・・・ああもうよくわからない)、
考え続けた端からゆらりと溶けかける。
まだ疲れているから、いつかの記憶にあるのと同じ暖かさは眠気を誘う。
うとうとしかけると、心配そうな気配がして片腕がそろりと上がると私
の背を軽く叩いた。ぽんぽん、という手つきには何となく覚えがある。
「・・子供扱いするな」
「そういうわけでは・・・眠いんだろう?」
寝ていいぞ、と先程の片手が髪を撫でた。
鍛えられている感触の手は、旅の間は穢れた武器だの異質な敵だのを相
手にしているせいで、普通なら然程経たずに治る細かい傷やらが中々絶
えることはなかったが、今はおそらく身体ごと再構築した後だからだろ
う。私が治しておこうかと引っかかるような傷もなく、乾いたさらりと
した硬めの感触だけがある。
「・・・そうだな」
小さく欠伸をすると、ふ、と安堵したような溜息が音も無く上から落ち
た。何故かそれに、ひどく安心した。
別に傷が無いのがいいということではなく、これから先にもう何事も起
こらない保障などどこにもないのだけれど。

・・・。
ふと、思い出した。
二度目に会った時、私が伝えたたった二言ほどで“天上(うえ)”に来てから
の全ての問題が解決したかのように安堵した息を吐いた時。こいつはヘン
な奴だと思った。
その時は余り自覚がなかったが、私はイーノックが喜ぶのを見て嬉しい
と思っていたんだ。
・・・私も、あの窓辺の風景は気に入っていた。
気付かないうちにおまえが辛いことになっているのを知って、私に解決
するのが難しいことはかなしかったけれど。
おまえが私と一緒に旅をすることで勇気付けられるのだったら、私も、
一緒に居る事でほかの心配事やかなしいことも和らぐ気がした。

そうだ。私もずっと、おまえの傍(そば)に居るのが好きだった。


 「・・・。
イーノック。
エルは私の特別だが、おまえにさっきのようなキスをするものとは違う
ぞ」
唐突に、エルの名を並べていたのは比較だったのだろうかと思いつく。
とはいっても、“エル”に対してこいつが焼きもちなぞ焼くのだろうか
という疑問があるが。まあこれも一応“ひと”のうちなわけだし。
「あ。い、いや・・。
先程言ったのは、そういう意味ではなくて」
どこかに視線をやっていたイーノックが、慌てたように答える。
貴方にとってエルが特別なことはあたりまえだし、張り合うつもりもな
いんだとイーノックは言う。
「貴方の行動パターンからして、一番多く一緒に居たのはやはりあのか
たになるわけだろう? 継いで私がその位置にそのまま来ていいのだろ
うか?と。
思考がちょっと、先程のことを黙っていたこともあって混乱した」
・・・。
まあ、そうだな。
至極もっともな疑問だった。
おまえはおまえで、エルじゃないからだ。
でも。
「・・・・。
そんなのは、過ごしてみてから答えを出せばいいんじゃないか。
 今回の旅は、それなり長かったしな。
問題が無かったなら、大丈夫じゃないのか?」
そう答えると、彼はちょっと安心したように笑った。
私も、笑う。


 エル。
 君がいなくなったらどうしようと、ずっと怯えていた。
 長い時間が過ぎて、君よりもう背は高いけど。
 私の心は、雛だった頃から大して変わっていないのじゃないかと。
 昔、君を心配させた時のように。

 ・・・だけれど。
 今はもう知っている。
 君は、思い出をくれた。
 君と仕事をするのは、時々振り回されても大変でも悪くなかったし。
 君と話したり、たまの暇に遊んだりするのは楽しかった。
 笑ったり、怒ったり・・・泣くことも君と一緒に居たから覚えた。
 だから、大丈夫。
 私はもう、心配ない。
 

 「エル・・」
イーノックに引き継がれたということは、エルはもう居ないのだろうか
と。期限後の<世界の管理者>の行方はエルも知らないと言っていたの
で、私には分からない。
「もう一度会いたかったんだが、前に言っておくべきだったかな」
「・・挨拶がしたいのか?」
私の眠気が完全に醒めてしまったことに気付いたらしいイーノックが、
腕を緩めて私の身体を離すと真面目な口調で尋ねてくるのに頷く。
「・・・有難うと、伝えたかった」

ふ、と。
背後に視線を感じて振り向く。
そこに陽炎のように佇んでいたのは。
「・・・エル?!」
「やあ、ルシ」
そのにっこりとした完璧な笑顔が気になった。
まさか。
「・・・いつから居た?」
「ええとね。
・・・“さっきのようなキスをするのとは違うぞ”
とか辺りから」
「〜〜〜!! エル!!
・・・・一寸待て、イーノック。おまえ、放置していたな?」
思わず立ち上がる。想定したよりはマシだったが余りよくはない。
エルが私に気配を隠しおおせていても、この<世界>の今の管理者であ
るイーノックにまで隠蔽できるとは思えない。
「う・・その。
エルが、黙ってそのまま、という仕草をしていたから・・」
私に続いて立ち上がっていた彼に、本気で申し訳なさそうな顔をされた。
やっぱりエルのせいか。
そういえば・・・丁度あの時、どこかに視線をやっていたな。
迂闊だった。
<神>であるエルは<世界>のいずれの物事も“目”の及ぶ範囲であれ
ば、その気になれば随時情報でも、蓄積された断片情報のうちでも色々
と目にすることが出来た。だから、別に“それ”で見られることについ
ては然程の抵抗は無いんだが。
・・・こういう状況のものを“現場”で目視されるのは。
「こういうのを“出歯亀”って言うんじゃないのか。
・・・・・エルの、ばか」
多分また耳まで色が変わっているだろう私が睨むと、エルは軽く肩を竦
めてみせた。
「いいじゃないか。
イーノックと話している時のルシは、私と話す時とは違うからな。
・・・一度ちょっとだけ直接傍観してみたかったんだ」
ふ、と微かに溜息のような息を吐く。
「いやまあ・・あのちっこかったルシが大きくなったよね」
うんうん、と腕組みをしてひとりごちて頷く。
それから、近寄って私の額に軽く口接けると時々するように髪を撫でた。
ただ、その姿はいつも天界で在ったようなはっきりと実体のあるもので
はなく、つまり当然“端末”でもなく、やや薄い印象の“影”でもない。
ふわりとかすめる、質量を感じる暖かな空気のようだ。
イーノックにも同じようにしてから、もう一度私の髪に触れるとエルは
ふわりと。まるで“御伽噺”の“精霊”のように浮かび上がった。
「じゃあ、そろそろ私は消えるから。
心置きなく仲良くしてくれても、一向に構わないぞ」
楽しそうに聞こえた声だったが、“消える”という言葉に引っ掛かった
私は慌てて呼び止める。そもそも本来したかった挨拶も出来てない。
「エル!
君は、どうするんだ? どこかへいくのか」
大丈夫だと思ったけれど、かれがもしもこのまま本当に消え失せると思
ったら、流石に平静では見送れない。
「心配ないよ、ルシ。私は“此処”に居る。
残っている最後の構築エネルギーを此処に還して。
ただずっと、この<世界>を見ている」
エルは晴れやかに笑って、そう告げた。
少し広げた両腕の掌を上に。
広がる空と<世界>に向けるように。
「・・・・・やっと。
君と天使たちと一緒に心を配ってきた<世界>を。
好きなように、あちこち気儘に“旅”が出来るんだ。
こんな期限の終りが得られるとは、思ってもみなかったよ」
“自由”って、こういうことなのかな、と。
少年の面影を残した青年の容貌が、“子供”のように屈託無く、心底明
るく笑む。それは・・、きっと私もずっと目にしたいと望んでいたもの
だった。
「・・・エル!
ずっと、有難う」
私の言葉に、エルが頷く。
「・・・さっきルシが想っていたことは受け取ったよ。
これでも元<神>だからね」
ふふ、と笑って。
「ルシ、私からも有難う。
君が居てくれて本当に良かった。
 イーノック、ルシを泣かせたら背後に立つからね」
「・・・はい!」
なんだ、その脅し文句は。
呆れた顔をした私に、もう一度楽しそうに笑ったエルは至極普段通りの
ように気軽く手を振って、その輪郭ごと空気に溶け消えた。
イーノックに確かめるように視線を遣ると、肯定するように頷いた。
今度こそ、本当にかれは“この場から去った”のだ。
「・・・まったく」
かれのための安堵と、ほんの僅かの本物の寂しさで溜息をつく。
最後まで、あの調子だったな。
優しいから、それとも私のその顔を別れの記憶にしたくないからか。
泣くこともさせてくれないんだ。
・・・私を育てた、ずっと私の“神”だった大事なエル。
 そして。
これからはおまえが。
私の一番近しい、“信じるに足るもの”であり続けるように。
隣で見送るように遠い空を眺めていた横顔に、顔を振り向ける。
「イーノック」
柔らかな青い水色に晴れた空を見詰めていた眸が、こちらを見た。
暖かな海を思い出させる、緑の水の色。
真摯で真面目な面持ちに、やっぱり相変わらずだと苦笑して。
「・・・。
“今後とも、宜しく”」
ぱちくりと、瞬いた目が。相好を崩してくしゃりと笑った。
「こちらこそ、“コンゴトモ、ヨロシク”」


 遠くから、ふたりを呼ぶ少女の声が響いてきた。
 世界は再び、新たな<神の代理人>のもとに時を繋いでゆく。



END.





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旅オチなんとか間に合っ・・・ 滑り込みにも程が!
しかしまだ<Tran->分があるのであった(遅)

<Color>蛇足追加。コチラ



<Second>目次/落書目次/筐庭の蓋へ