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『さて、残っているのは・・・ そろそろ“本気”で“対峙”して貰うからな、イーノック』 一旦十分な休憩時間を、と時を停めてくれた際に、本体のかれから真面 目な声で忠告のような宣言が告げられた。残りは・・と記憶を確かめる。 あと、ふたつ。 それなりに減らせたか?と尋ねるとまあまあだな、と答えられた。 軽食を口にし、少し眠って起きてから。 体調の回復や補助も、鎧の完修も先程までにかれがし終えてくれている ので。再び始める前にもうひとつ。 最初に携えておくならどれを選ぶべきだろう?とみっつの武器を思案し。 私は“盾”型であるベイルを手に取った。 『それで、大丈夫か?』 確かめるように尋ねられたのに頷いた。 必要ならいつでも替えられると言われている。動き方が不明な相手なら、 様子を見ようと思う。取り合えず防げばいいという考え方をするわけで はないが、仮にも“ルシフェル”である相手に“先手必勝”などという ことを安易に事前に思うつもりも無い。 『わかった。 ・・・では、行こうか』 平静に聴こえるその声音の影から伝わる、微かな緊張のようなものに。 私も気構えをとりなおして、了承の印に頷いた。 それは、“怒り”だった。 様々なことをかれは怒り、そして同時に深く深く憂いて悲しんでいる こともあった。 ほかのものに対する怒り。 自分に対する怒り。 何ともつかないものに対する怒り。 過ちなのか必然なのかわからない数々のこと。 自身の、努力が報われずそして至らなかったこと。 伝わらないこと、取り戻せないことへの嘆きのような怒り。 何故、長い長い道のりの果てにこんな一歩間違えば奈落へと続くよう な難題が待っているのか。 堕天を選ぶものは何故エルを置いてゆくのか。 “地上”の人間は何故総意で“塔”や彼らを拒否しようとはしなかったのか。 エルは生まれと能力のゆえとはいえ、何故“自由”であれないのか。 そして。 ・・・<世界>を救うためとはいえ、何故未(いま)だ“人”であるおまえが これ程のものを負わなくてはならないのか。 と、向けられた眼差しの強さと表情に。 剣で胸を柄(つか)まで刺し貫かれたような思いを味わった。 服装は、普段の服装と似て見えたが。 よく見ると黒紗の袖の内の肘までの腕と、ジーンズの裾から見える足先 には、黒い鋼のような光沢の手甲と足甲が装備されている。どちらの指 先にも、鋭い爪のようなものがつけられていた。 首元には、同様の素材で出来ているらしい金属の細幅の平帯状の輪と、 手前側に付けられている古い硬貨のような飾りが鈍く光を反射している。 武器となる爪の存在を示すように、左手を頬の前辺りに外向きに掲げて みせたかれの眸の色は随分と赤が強く硬度を持って光を有し、どことな く“石榴石(ガーネット)”の風でもあった。 背にぴたりと畳まれた翼は腕の半分程で、錆びたような赤。 そして、ふわとその黒紗の裾が浮いたと思った後はもう、間合いを取る 時以外はほぼ途切れぬ怒涛の連鎖だった。 かれの動きとその攻撃は基本的に“人”で有り得るような直接的なも のばかりだったが。 全力で受け止めるか流さないと空間の端まで吹っ飛ばされかねない重さ に、鋭い速さと威力に変幻の繋ぎ、更に黒と赤の二色(ふたいろ)の炎が 纏いつき地を空を走り、それは実際に触れれば鎧を灼(や)き削り身を焼 いた。 “ルシフェル”に対して“浄化”を使うとは具体的に想定していなかったが、 かれが黒い炎をその装甲に纏う度に、金属の輝きであった筈のそれが光 沢を失い堅い筈の輪郭が緩み蠢き出すような気配がするので、その度に なるべく早く接近して、その箇所に向かって“浄化”を放つ。 アーチの青炎(せいえん)の刃を使うことも考えたが、防御のために双盾 状態のベイルを常時構えていないと耐え続けることが難しく、円状のベ イルを左にアーチを右にという片手づつの方法ではかれ相手では厳しい。 「何故、おまえは怒らない!」 稀にしか喋らないかれは、間近で眸を覗き込んで血を吐くように怒り嘆 いた。貴石のような赤い色合いを真っ直ぐ見詰め返して、 「大丈夫だ、ルシフェル」 と返した。剛(つよ)いようにしか見えないかれが、何処か酷く怯えてい るような気がしたから。 「・・・何が、 ・・・何が、大丈夫なものか!!」 絶叫のように叩きつけられた声と同時に、闇雲に顔面を抉ろうとするよ うに向けられた五本の爪が過ぎるのを紙一重で避けて跳び下がる。 足幅を開いて立ったかれの肩が震えていて、纏った力と意志で隠してい る“恐怖”のようなものが、ほんの少し罅割れた硬質の内から覗いた。 表情が歪み、その瞳が弱さを隠すように閉ざされると、かれは両腕を交 差させて少し沈黙を湛えて静止した。 手甲の片方づつが、黒と赤の炎を帯びる。 それがゆらと勢いを増す前に急いで片膝をついて身を伏せ、双腕のベイ ルを二枚貝を合わせるように前方と両側の足元までを庇うようにして、 内側の持ち手を通して“力”が発動するように念を込めた。 双盾状態のベイルはルシフェルが満ちた月のようだろうと例えた円盾の 防御専用の時の軽盾とは違い、攻防一体の重量級の見た目の構造をして いる。そして、その状態の時にはその上部にある球状の部分が力を集約 して光輪を帯びると、それひとつが翼を背に備え頭上に天上のものであ ると知らしめる光を戴く“天使の似姿”を象っていることに気が付ける だろう。 かれが腕を薙ぐ意志と気迫の気配と共に、混ざり合う炎の嵐が到達する 寸前。双盾の天使の輪郭を僅かに越えて全体をくまなく包むように覆い 隠すように、透き通る“力”で出来た無色透明な“翼”が小さな“護陣” を作り出す。 防ぎ切ったと思うところで、防御専心体勢を解きながら持ち手を掴み直 して上に向かって右手の分を突き上げた。 ふん、という小さな不満のような息を残して、上から蹴りつけていたのを 弾(はじ)かれたかれは身軽く宙を高目に後転すると、少し離れた場所に 降り立って、腰に片手をあててこちらを見た。 ・・・その仕草が、“鬼ごっこ”の時の本来のかれを思いださせて少し 疲れてきていたこともあってつい、気が緩んだのかもしれない。 は、と思う間もなく。 金属の爪が、怒りを閃かすような嘆くようなあの瞳が、近く、に ・・・パチン! と。 『そんなんじゃダメ、だぞ。イーノック。 ・・そろそろ本気を出してみないか?』 見慣れたように停止する時によりやや暗く見えるそこで、正確に私の “眼”を狙っていただろう金属の爪が、目標を失したことを知らずに停 止している。 分身であるかれらは記憶を核に可能性の断片で形成し、概念を付与し てネフィリムたちから吸い込んだ“力”を分担させたものであり、時を操 る能力は持たないという。 そして、此処まで来るうちに何となくわかってきたが、“かれら”が本体 のルシフェルとは“違う”ように、私も“かれら”にとってのイーノックとは “違う”。“かれら”は私の存在に重ねて、自身の“知っている”筈のもの の面影を見ているのだ。 「・・ルシフェル、すまない」 ふう、と息をつく。 「・・・・。 ところで、“かれ”は何故、“眼”にこだわるんだ?」 気になっていたのだが、“かれ”は殆ど会話をしてくれる気が無いので 向こうの発言の後の、もしかしたら返事を待ってでもいるかのような僅 かの間(ま)に返すのが精一杯なのだ。 本体のかれにはわかるだろうか?と思って尋ねると、かれは少し沈んだ ような溜息を返してから口にした。 『・・・・おまえが、“怯えている”と感じたように。 “怖い”、んだよ。 この“旅”が不首尾に終り、“おまえ”が“絶望”を目にするのではないか と想像するのが。・・・いや、本当は、それを目にする自分を考えるこ とが。耐えられない、と“かれ”は思っているんだ。 おまえの“失敗”は現状おそらく、この<世界>全てのものの喪失も意 味するからな』 あの怒りは“鎧”でもある。“かれ”は怒りと嘆きで身を鎧(よろ)って 絶望することの恐怖に備えようとしているのだと。 “私”が眼を失えば、旅が必要なくなるわけでも、恐怖から逃れられるわけ でもないのに。それでも“かれ”はそれ程怖いのだ。 それは、と私が言い掛けると勿論わかっているという風に気配が返る。 『・・“私”だって、この状況が一切“怖く無い”なんて言わないさ。 幾ら最初の天使といっても、いやむしろそれゆえに<世界>の危機に然 程動揺しないような精神はしていないのでな』 私は至極繊細なんだ、と一連全てを軽口のように。 それから、ふと色合いを変えて。 『だけど、“私”はおまえと共に旅することを承知した。 そして、今も、此処にこうしている。 だから、・・・“大丈夫”だ』 くす、と笑う声と一緒に、ふわとした気配が伝わる。 暖かで柔らかくしなやかなそれは、一見剛(つよ)いものではない。 けれど、それは長い時を共に在るものと越えてきたかれの持つ、“信じ る”というものの支える“強さ”なのだとわかるから。 私は頷いて位置を取り直し。 もう再開して大丈夫だ、とかれに告げる。 話している間(ま)に回復や修復は全て完了していたことに、有難うと添 えて。 私の助け手はそれに笑みの気配で応え。 『よし、もう一度。始めようか。』 と、聞き覚えのある台詞で返して、再びパチン!と指音を高く鳴らした。 爪甲のかれは、消える前に両膝をついて項垂れたような姿勢のその両 掌で、顔を覆っていた。尖った爪先(つめさき)が額や頬を傷付けている のも構わず、食い込ませるように。 まさか自分の顔を抉ろうというのかと、大分毀(こわ)れ掛けている鎧の 手で思わずその両手を掴んだら。 外させたその下の顔には今は防壁の“怒り”の面は無く。 途方に暮れたような表情に、硬度を失いゆらと揺らぐ赤い水面のような 眸があった。 「・・・おまえの“海”に溶け込めてしまえたら、よかったのに」 その微かな呟きのような一言を残して、かれは消えた。 掴んでいた筈の金属の感触の両手はもうそこには無い、自分の両手に目 をやって。 “かれ”も、“私”の眸の色が本当は気に入ってくれていたのだろうかと思 い、哀悼のような思いのかけらをそっと手向けた。 『最後、だな』 と、長めの十分な休憩を設けてくれた本体のかれが言う。 多分、手前のあれよりももっと容赦無いぞ、というので。 少々思案したものの、アーチを手に取った。 私は余り“細かい”ことが器用ではないので、素早く飛行能力もあるが 単発の威力そのものは弱いガーレを縦横無尽に駆使し、無駄なく構成を 組み立てるのは得手ではない。 ベイルを持てば防げはするだろうが、それは先の“かれ”のように“人” のそれの範囲のみで動いてくれるなら間に合うもので。 専守防衛では解決しない気がする、とそのかつて旅の始めに一番最初に 目にした“天界の武器”を手にした私に。どうやら弧を描(えが)くそれ の形状が一番お気に入りらしいかれは、漸く討って出る気になったか? と少し嬉しそうな気配になる。 基本が“盾”であり攻防を兼ねるベイルよりも防御という点での危険は あるが、天使の翼を模すそれはふわと揚力を発することが出来、ガーレ のように“飛行”は前提にしていないが、今の限られた特殊な空間内で 足場自体は困らない状況でも、地に着くことを前提としている重い双盾 のベイルよりも移動を補佐してくれるだろう。 ・・・それと、時を操れるかれはおそらく“時間制限(タイムリミット)” のほうではなく。私が“かれ”と闘い続けるという時間を長引かせるこ とを心配してくれている。 ・・私も、かれが、本来助けるべき私と戦う“かれ”を見続けなければ いけないというのが少し心配だ。かれ自体はきちんと区別がついている し実際に手助けもしているのだから認識は問題無いのだろうが。 私の夢をかれが心配して要素を加えてくれたように、かれにも“記憶” というかたちで何らかの支障が出ないとも限らない。 今は・・・ほかが出現している“都合”で姿は現せないようだし、と。 ずっと、声として聴こえる思念と感情の色合いの確かな気配だけを伝え て、何時もと変わらないかのように“サポート”してくれているかれの ことを考える。 私がかれを心配したのが伝わったのか、こちらのことは気にするな、 どう考えてもおまえが大変だ、とまた苦笑するような声音とそれでもふ わと暖かな色合いが届いた。 それは。 今までと打って変わった、空間全体を満たすような“重い”何かの気配 だった。厳然と、悠然と、荘厳ささえも感じさせるかのように。 “かれ”はそこに、静かな風に佇んでいた。 装束などで、元と異なる点は特に見当たらない。そのままだ。 ただ、その背に在る“六対”の腕程の長さの翼が深い澄んだような藍色 である、ということを除けば。 纏う雰囲気と、翼の数が“全部”であるということに、相手が出来るよ うに“私がどうにか出来る範囲”で手加減はしてくれるだろうが確かに 厳しい可能性が高い、と更に気を引き締める。 幾らこの空間も向こうも根本的には本来のかれの統御下にあり、こちら には変わりない加護があるとはいえ、“かれ”を動かし、退場まで追い 込まなければならないのは私自身に他ならない。 そう考え、アーチを手にして一歩。 動かないかれに近づいてみようとした私に、かれの視線が向いたように 思った。だけれどそれは、興味が無いかのように すい、と一巡するように過ぎただけだった。 そして、その黒い革靴の爪先が微かに浮いて。 ふわり、と中空に身を移したかれはまさに“神威”の一端を受けるもの であるという雰囲気で、口を開いた。 「・・・おまえは、“人”でしか無いだろう。 何故、“神”を引き受けることを承諾した?」 ゆっくりと淡々と感情は見せずに、それでも聞き惚れるような声音で、 かれは言葉を紡ぐ。 「・・神が、私に願われたからだ。 私は、かれの“希望(のぞみ)”を助けたい」 答えると、瞼が伏せられ。ふ、と憂うような溜息が落ちる。 そして、あの強い“波”と同じような“宣言”が空間を伝わって届いた。 私は長い時間を知/識っている。 この<世界>を、<神>以外の誰よりよく知っている。 私は水先案内人であり、先をしるもの。 おまえなどに、次代の<代理人>が務まるのか? おまえの代わりに、私こそが<神>を継ごうか? そして<世界>を導こう・・ 向けられた薄い赤を刷いた柔らかな茶色の眸に、否の意を込めて見返す と、再び瞼は低く落とされた。 『・・・代われないものを“代わろう”とは。 欺瞞にも程があるだろうに。自己満足、なのか』 本体のかれの溜息が聴こえ、 『“私”の“我儘”はたちが悪い』 と苦笑のように。 ・・本来のかれが“傲慢”でそれを望むなど、有り得ないことは知って いた。元になったものはおそらく・・ かれが“我儘”と特に自認する、かれの望みでありまたかれがそうだと 思わなくても他者のためであるそれ、で。 ・・・かれは、神や私の負うものを幾許(いくばく)かでも肩代わり出来 たらと。そう願っているのだ。 だから“かれ”には“六対”もの翼があるのだと考えてふと。 先程の宣言は、ある意味投げ出すことへの誘惑なのだろうか、と思う。 ルシフェルのほうがどうにか出来る筈だと、私がふらと、此処まで遠く かれとかれらと共に歩んできた筈の道乗りを外れるように? ・・・・・。 旅のほんの最初のほうの私だったら、もしも“本来のかれ”が“洪水を 止めること”についてそのような類のことを申し出てくれたなら、全面 的に委ねることは無いだろうけど、ぐらと揺れたかもしれない。 かれにどうにか出来るものであれば、と。 だが、そんな“都合の良い逃げ道”は、当時も今も、何処にだって有り はしないのだ。 瞑目していたかれが、再び目を開いた。 「・・・では、おまえに“黙って”貰うしか無いだろうか」 更に中空に浮かび上がり、その周囲に何かが順番に現れる。 ・・・ビニール、傘? 次の瞬間、透明なそれらの金属の銀色の先端が全て私の方向を向き、 一斉に“照射”された。 慌てて位置を動きながら、本能的にアーチに込めた意思で“力”を動か す。“ブースト”する時のような風に前面に円状に“展開”したそれで 光条の幾つかを遮り、散逸させた。 避けるのか、という風に、相変わらず余り感情の動きと言うものが少な い風でほんの少しだけ表情を動かし。 周囲に浮く“傘”を一本中空から掴み抜くと、冥界で本体のかれがやっ ていた風に、剣のように携えた。 ・・・そして、そのまま。光条を様々な方向に向けながら、剣・・もと い傘を構えたまま浮いて移動して間合いを詰めようとする。 「・・・!」 確かに、容赦してくれそうにも、無い。 幾らでも補充される傘が槍のように飛んでくるのはまだ序の口で。 六対の翼が広がって空間全体に光弾の波状攻撃が来る、かなり冗談じゃ なく避けるのが困難で痛いものに、全身の鎧をほぼ全て砕かれたところ で、周りの時は停止していた。 『どうした、イーノック』 気遣わしげな声が掛かる。 『・・これで最後なんだ、何か気に掛かることでもあるのか?』 私が猛攻にただ疲れたり気弱になっている、わけではなく。 何かに躊躇しているのに気付いたのだろう。 だけれど、それは私も把握し切れないものだから、強い思念やはっきり とした感情の色合いとしては伝わらないようで。 いや、大したことじゃないんだ。あれを避けるのに悩んでいるだけで。 と言うと、それは仕方が無い・・な。と、苦笑らしきものが返った。 最早、何度時を停めて。幾度回復をして貰ったかもわからない。 随分と長いそれのうちで、時折繰り返しのようにも感じるその内で。 私は次第に、ひとつの疑問をぼんやりと抱(いだ)いた。 契機(きっかけ)は恐らく、ルシフェルがどうしたのだと問い掛けたあの 時より少し前。 “かれ”があの淡々とした風で、 「・・・私を、倒してみろ」 と、最初の言葉の対のように。いずれかしか無いのだというように口に した時だろうと思う。 それまで、私は当然のことながら“かれ”は“かれ”だと思っていた。 なのにふと、“かれ”が“七番目”の“最後”であり。 翼の点と纏う雰囲気や言行動を除けば、一見本来のルシフェルにそっく りであると。 そして、翼の数が示すように、“かれ”の根本(こんぽん)が抱(いだ)く ものは、本体のかれにとってとても重要な要素に繋がっているのだ。 そう気が付いて、ふと、感情を余りはっきりと表さない“かれ”が。 “掴み難い”時のかれに似てはいないかと、何となく連想した。 そう思うと、元々は“同一”の根源でありこれまでの“かれら”に有っ たような“癖”が薄い“かれ”は、とても本来のかれに似て見えたのだ。 私のぼんやりとした疑問は、不安へと形を変える。 ・・・もしかして、“かれ”を退場させることは本体であるルシフェル にも多大な影響を与えたりはしないか? ・・そもそも、この仕組みは本当にかれが言っていた通りなんだろうか? 姿を見せないルシフェルの“器”に“かれら”の“個格”を仮に宿らせ て入れ替えていたりするだけでは無いのか? ・・・・とか。 身体が最早半分反射的に動いている分だけ、思考が暇になっていたんだ ろうか。 また、押され気味の私に。 本体のかれの“声”が届く。 『イーノック!』 どうしたんだ、と励ますようなそれの影にひそりと不安の色が滲んだこ とに気付いて。かれを心配させているのだ、と思う。 そして、目前に迫った“かれ”の眸をもう一度確かめるように見直した。 それから内心で首を振る。 ・・・そうだ。“かれ”はかれの断片の結果のひとつであってかれではない。 似ていて当たり前だが、そのものではない。 その筈だ。かれがそう、説明として言ったのだから。 それに・・。 ふと、思い出す。 かれが“私の夢”をヒントにこれを考え付いたのだということを。 全部で七つだという内の、三つの姿。 後、目にした事が無いのは、“魚”と・・・ 私は、ナンナたちを護るウリエルの結界を目にしたことで、つい、この 空間も一種のそういう“仕切り”のようなものだと思っていた。 だけれど。 “姿を見せず”に“大部分が伝わりずっと傍(そば)に居てくれる”。 ・・・・。 私は、相変わらず相当鈍いようだった。 ・・この“結界”のような“球体”の空間となっているそのものが、現 状での“本体”のルシフェルなのだ。 “かれら”は一時的にかれの内に通じる“時”から縒り合わされて、か れという“場”の“スクリーン”に投影されている限りなくリアルに近しく 感じられる“立体映像”のように、私の前に現れていたんだ。 以前、天界に喚(よ)ばれて直ぐの時に神も白い光球のような御姿(みすが た)を一度とられていたことがある。あれは人程の大きさだった。 神は例のうちに入るのかはわからないが、ルシフェルは“変化(へんげ)” の大きさはある程度任意、だとは言っていたが、これはその“姿選択” の基本の範囲としては多分大き過ぎる。 事前の“外し”のうちに一緒にそれの制限も一時解除したんじゃないだ ろうか。 考えながらも切り結んでいた“かれ”の手から、傘が落ちた。 それは単に剣や槍のように使うときでも強化はせずに扱われていて、 人に把握出来る動きと併せて“手加減”のうちなんだなと思う。 へしゃげた傘が、空間のどこかに消え、新しい傘を取ろうとしたらしい その手元から意志を込めて、気の毒な傘を跳ね飛ばした。 「・・・ルシフェル、そろそろ終りにしないか? 散々“待たせて”勝手で悪いが、“待たせて”いるんだ」 “かれ”はふと、その時。 それまでの様子とは違うかのように、少しだけ、微笑んで。 「・・・“人間”風情が」 と、苦笑するかのように言葉にした。 藍翼のかれは、雰囲気にふさわしくなのか。 淡い光を帯びて、薄(うっす)らと徐々に消えていった。 最後の一言は、かれには必要無かったらしい。最早、何も言わずに。 『・・・なかなか、長く掛かったな』 という本体のかれに。 「・・・・手間を掛け捲った。 すまない。有難う、ルシフェル」 と謝すると。 『・・まあ、予想通りだな。 この“お人好し”』 と呆れたような、それでも嬉しそうなものが響いて。 『あとは・・・』 という語尾が途切れたと思った直後。 ふっ、と視界が変わると。 私はもう、元居た高台の上に一足飛びに戻っていた。 *** ルシフェルは、と思う間(ま)も置かずに。 頭上の中空に何時ものかれの姿が横向きに浮かび。 それはふわ、と緩い速度で私の目前に降りて来たので難無く両腕で抱き 止める。 背には一対の翼だけが以前見たような大きさに薄く消え掛かるような透 明で見えていたが、それはかろうじて元は翼だったということがわかる程 度に痛み切った様子で、ぽさりとして毟られた末の有様のようで。 落ちてくる間に消えて見えなくなってしまった。 かれがネフィリムたちから吸い込んだ力と一緒に、極力安全に消費する ために内蔵するエネルギーを多少通常の枠を越えて大分超過に使ったの だということが知れる。 外した任意解除が可能な“安全装置”である“制限”の類は、用が済めば 自動的に戻るようになっていると言っていたので、そちらは大丈夫だろうか。 それらと共に私の状態も“デフォルト”に“リセット”されたのか、 鎧を外した状態のジーンズとサンダルだけの格好だ。 怪我や疲労感は無いので、それもちゃんと“回復”してくれるようになって いたのだろう。 私たちの帰還に安堵したらしいウリエルが小結界を解いて、ナンナた ちと一緒に、どうしていたのかと、内部で動きがあるという程度しかわか らなかったという経緯をふたりともが口々に尋ねる。 その口振りからすると、どうやらルシフェルの能力のうちなのか内部と外 部の時間の流れは違っていたようで、それ程の長時間は経っていないらし かった。 それに纏めて簡略に答えながら、私はルシフェルの途切れた言葉の続き を考える。 ・・・そうだな。 今度は、私が考える番、だろう。 11頁← 9頁→ |
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