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何時の間にか、私は“巨大な球体”のような“空間”のうちに立って いた。ただそれと区切られたような内部は、広いだけで何も無い。 薄い境目かのように見える球体は、淡く白く仄かに光を放っている。 少し足を踏み出してみると、任意で中空にも踏んで移動が可能なのだと わかった。先程空を走ったときと似たようなものか。 半透明なようなそれは足元を透かしてネフィリムたちが封じられた立方 体がぼんやりと見え、おそらく位置的には変わらずに先程の辺りなのだ ろうと思う。 そして、この空間内も、ルシフェルが時折するように。 私を残して時が一旦停止している、あの独特の色合いと気配をしていた。 先程伸べていた手を取ったはずのルシフェルの姿は見えなかったが、空 間全体に、かれの気配がする。 「・・・説明、して貰ってもいいか? ルシフェル」 呼びかけると、一方的に強い“波”が届いた時よりももっと近く。 けして大きくも強くも無いが、確かに伝わるものがあった。 ・・・あれは・・・・、ルシフェルとナンナたちを引き合わせた時だろ うか。一度だけ、かれの感情の些細な変化の色合いが伝わったような不 思議な感覚が通じていたことがあったが、あれに近いかもしれない。 音として感じる答えと共に、それに伴う思いの色合いが返る。 『“言質をとった”ような真似をして、済まないな。 でも。 流石にあれ九体と、直接おまえを戦わせるわけにはいかない』 一体づつならばあるいは・・とは思ったんだが、と溜息が零れ。 『だが、ただ単に“浄化”なりして“止め”られるか、無理なら“倒す” しかない。それは本当に、“おまえの望む一番いい結末”に繋がるのか どうか、疑問だった。 ・・・それで、ふとおまえの“夢”を思い出した。 私は時間を移動する関係で、様々なそれによる有り得る支障が起こらな いように護られている。 ・・同時に同じ“場”に存在することも通常は無い。 だが、私の様子が“様々”であるのとは逆に。 この“黒”が元々は別々の色であったとしたら、と』 原色を混ぜ合わせれば、黒になる。 感情に色があるのなら、淡い色の“寂しい”しか持たなかったネフィリ ムたちに、強い色である“恐怖”“怒り”“悲哀”“執着”“絶望”“狂気” ・・・などが触れ。 そしてそれらが様々な負を生み出す要素を誘発するようにかれらの内に 取り込んだ諸々と共に攪拌し、渦巻かせ、リリスのようにあの不定の “黒”を作り出したとしたら。 『・・だから一寸、“分けて”みようと思った』 七つにしたのは、そういう概念があるからなんだという。 悪そのものではないが、偏り重なれば悪を生み出す要因となり易い というそれら。・・内容が別のものもあるし、絶対にこれだ、というこ とはないのだがこれは“典型的(ベタ)”なもので。更に“七堕天使”だ ったしなと。 今度は天使の“歌”ではない、人が口ずさむようにその要素を数え上 げる。 『“色欲”“暴食”“強欲”“怠惰”“憤怒”“嫉妬”“傲慢”』 ・・・。 それらは確かに、小さければ普通に有り得るものであり。 人であれば、何かの契機(きっかけ)さえあれば容易く陥る可能性がある 罪業の素。 『・・・。 おまえは、私と闘いたくないと最初から言っていた。 傷つけたくない、助けたいと。あの時告げた。 ・・だから、こんなことを受けてくれるか少々疑問だったが』 そしてかれは“鬼ごっこ”の時そうしたかのように、かれの設けたそれ を説明した。 『“法則”は簡単だ。 私の目的は、かれらの元に集まって“力”と化していたそれを“消費” させてしまうこと。私は、私であって私ではない七つに、篩い分けて 分離させたそれを託した。 おまえに、それらと対峙して“消費”させてほしい。 私もそれとは別にも多少消費に努めるが。 ・・順番は、先ほど上げた通りではないがまあ・・・見れば多分わかる』 それから間を置いて。 『一定で回復はしてやる。 戦い続けろなどとは言わない、折を見て停止も差し挟む。 早くしようなどと、慌てなくてもいい。 色々変則的だろうことを除けば・・・普段と大して変わらない。 ・・・・・・“私”は、私のままでいる。 約束、する。 ・・・だめか? イーノック』 抑えた声音として聴こえるそれと一緒に伝わる不安そうな色合いに、今 目前にかれが立っていたら宥めようとしたのではないかと思うが、いや そういう状況では、と気を入れ直して答える。 「・・・私は、確かにルシフェルと闘いたくなかった。 最初から助け手であり、対峙する存在としては考えられなかった。 ・・貴方が誰かの悪意によって突然に失われるのかと思った時は、とて も怖かった。 私は、ルシフェルと比べたら力など無きに等しい存在だが、それでも 出来る時には貴方を助けたい・・・護りたいと思うんだ。 その、これは。 “貴方という存在自体”を倒すものではない、ということなんだよな?」 確かめるように問うと、肯定が返る。 “鬼ごっこ”の時と、同じようで違うそれ。 ・・・だけれど、あえて私はそれでも“受諾”を返そう。 「ルシフェルの意思で、そうしたいと言うのなら。 方策の手掛かりとなるかもしれないのであれば。 私は受けるよ。 ・・・・宜しく、お願いする」 大分手間を掛けてしまいそうだが、と言い足すと。 『・・・それは、仕方が無いな』 と。かれの気配は、ふわと嬉しそうに笑った。 そして。 いつか聴き覚えがあるように。しかしそれよりも重みを持って。 『・・・では、始めるか』 開始(スタート)は切られた。 *** 時の停止の色が消えて。 ふと背後に気配を感じて振り向くと。 そこには“ルシフェル”が居た。 ・・・・・。 何故か、空間の中空に寝そべるようにしてぐだぐだと。 柔らかそうな薄青の毛布に蓑虫のように包(くる)まって、薄い水色の大 きなクッションを枕代わりに引き込んでいる。 はっきりともそもそするし眠っているわけではないようだが、そもそも 人のように頻繁に“休む”状態を余り見ないかれからすれば、珍しい光 景だ。 基本的にきちんとしている風しか目にしていないが、毛布巻きのかれは 髪もくしゃりとしたままで、全体的にやる気というものが無い。 まあこんな状態でも“天使”なのでかれ自体は汚れている風では無いの だが。 先ほどの七つの“キーワード”を思い出す。 これはつまり・・“怠惰”状態なのか? これ、とどうやって闘えと。 ただぐだっとしているだけのいきものを攻撃してその気にさせようとい うのも、なんだかな・・・。 ・・・・・・・・。 よし、起こそうとしてみよう。 寝起きの悪いものとか、怠けているものと家人や近しいものとの戦いと いうのはそれこそ“定番(ベタ)”じゃないのかと。 「ルシフェル、起きてみないか?」 毛布を引き剥がそうとしてみると、嫌がられて余計蓑虫化してしまった。 それじゃあ、と毛布ごと持ち上げて立たせようとしてみる。 ぱっ、と私の手の内から消えたかれは、少し離れた場所で今度は別のも のに潜っていた。 厚い布を掛けた天板の載った低い台・・・いや四角い卓か? さっきのかれが逃げ込んだということは、これも暖かいんだろうか。 ・・・ああ、“ニホン”の“コタツ”というやつだ、と思い当たる。 絵本で見たことはあったが、こんな黒基調の洒落たものではなかったの で少しわからなかった。 天板の上には平たくて結構大きな二つ折りの黒いものがあり、何だか節 をつけた歌のようなものが突如大きな音量で流れてきた。 “ケイタイ”と似ていて大きいから、これは・・“パソコン”かな。 それごと天板を退け、掛け布と一緒に熱源の装置の付いた脚組みを持ち 上げてしまうと、恨みがましい視線が私に突き刺さる。 全身が見えて気付くと、何時ものあの服ではなく、黒いが緩めで柔らか そうな厚手の簡素な上下を纏っている。寝間着なんだろうか。 この状態なのでまあ当然なんだろうが、足は裸足だ。 背には、潜っていたせいかくしゃっと畳まれている、くすんだ青色で掌 程の大きさの一対の小さな翼があった。 「・・・。 寒い」 その台詞はやめてくれ。 私が一瞬怯んだ隙に、かれはまた消えた。 頭上から、ぼふん!と。 何か厚くて柔らかくてそれなりの重さのものが落下してきて、更にその 上から大体見当のつく重さのものが追加で落ちてきた。 「いーのっく、おまえも寝ろ」 先に落ちてきた詰め物をした布らしきものにも見当がついた。 「・・・寝ない」 かれごと“フトン”を跳ね飛ばしてみると。 かれは大層不満そうに、厚手の柔らかそうな、詰め物がされている風な 布地で作られた前開きの簡略な黒い上着を一枚重ねて、更に肩から先程 のとは別の空色の青い毛布を掛けて中空に胡坐をかいてふよふよしてい た。 一寸、様子が変わったか? 眉を顰めたかれは、こう口にする。 「なんでこうしてちゃいけない? 私はもう、疲れた。 いいじゃないか。 眠れないけど、眠りたいし。 何もしないで居たいんだ」 その瞬間に、ふわり、とあの最初の感覚で気配が届く。 『・・・こういう感じなんだが。 わかるか? まあ、“核”になった感情の欠片が、概念に応じて強化反映されていると いうか』 ・・・。成程。 ルシフェルが幾ら仕事に真面目で天使だからって、かれは特にひとに似 たところもある風だから、本気で放り出して休みたいとかちらとそんな ことを思わないことは無いだろう。 それを“明確に形として提示した”のがこれ、か。 『まあ、こんなのばかり・・ではないがな。 気をつけていけ』 了承を返して、どうやら本気で機嫌を損ねたらしい毛布のかれに向き 直る。確かに“寝起きが悪い”かのようだ、と思って少し笑うと、気に障 ったのか“蜜柑”がひとつ勢い良く飛んでくるが・・・・表面が霜がついて いて冷たそうだと思った直後、それが“冷凍蜜柑”という氷菓として食 べる方法のものだと思い出し。更にそれが掠った私の髪と鎧の端が凍り つく。 ・・・本格的にご機嫌斜めだ。 まあ、こうでないと困るのでいいのだが・・。 私は暫く機嫌が降下する一方のかれがあれこれ投げつけてくる、最早殆 どわからない種類の色々なものを避け続けた。勿論、先ほどの“蜜柑” と同じでただの物体ではない。 毛布のかれが、「・・・もういい。 おまえなんか嫌いだ」と包みの 中に全身を収めてからそれごと姿を消した時には、安堵もしたが。 それが本来のかれの声と同じ音でもあることに少々罪悪感も覚えた。 ・・・この先が、少し怖い。 次は、何だかまた変わった風だった。 そのルシフェルは、“ポケット”の沢山ついた長い上着を身に纏っていて、 物入れから色々な“食べ物”(・・いや、種類問わずほぼ菓子)を取り出し ては自分で口にしていたり。にこりと笑って「食べないか?」とぽんと放 ってきたり、色とりどりの飴を雨のように降らせて来たりする。 背には、先程よりも大きな腕くらいの大きさの“蜜柑”に似た明るい色 合いの一対の翼をぱたりとさせていた。 ・・見た目は何も危険性などなさそうなのだが。 菓子類に当たると明らかに衝撃が来たり、動きが鈍くなったりするのだ。 ただし、構えて上手く弾(はじ)いて相手に“返す”と自分で食べてくれ るので暫く止まっている。 一応“暴食”・・ということなんだろうが。 これはつまり際限なく食べたり、際限なく勧めたりという意味なのか。 まあ、状況は先程のかれよりは対戦ぽい感じか。 ・・・一度だけ、かれが投げたものではないふわと光る“タイヤキ”が ひとつだけ目前に現れたのでこれは何だろう、と思ったら。 『回復だ』 とごく短く説明されたので本体のかれがくれたようだった。 かれにとっては特に印象深いらしい気配のそれに礼を返して、ありがた くいただいた。 ポケットのかれは、私が飴を避けるのと投げられるものを打ち返すの に慣れてしまったのでそのうちに。 「・・・食べるの飽きたな」 といってこてんと横になって消えた。 ・・ふと、ルシフェルが“食べること”自体に飽きたような気がしそう になって慌てて首を振った。 更に次。 ・・・・。 ルシフェルの内にそれはあるのか、という疑問があったんだが。 “無い”わけではないらしい。だけれど。 「・・・なあ、イーノック」 じいっと、赤味の強い眸が私を見ている。 「抱き締めて、くれないか?」 ・・・・・。 私が首を振ると、瞼が伏せられて切なそうな溜息が落ちた。 多分かれは“それ以上”のことは考えていないのだろうが。 増幅されているのだろう、不足を正直に訴えかけるそれは、稚(いとけ な)い様子なのに色気を醸し出していて目に毒だ。 見慣れたものと殆ど似たような格好だが、黒紗の上衣が心做(こころな) しか一回り大きいようで、何時もより輪郭が透けにくい筈なのに逆に余 計仕草を気にさせる。左手首には飾りのように艶やかなごく細い黒い布 製の飾紐が結び輪を作って留められていて、身動きでひらと揺れる。 何時もよりも優雅な風の足取りは、素足だった。 更にかれは何時の間にか真正面に移動して間近で私の右手を掴んでいて、 その掌を自分の胸元の中央に押し当てた。 鎧から出ている指先が、かれの呼吸の動きを直接感じる。 「・・・心臓が無いのに、心臓があるような気がするのは、どういうこ とだろうな。 ・・・・おまえは、わかるか?」 にこりと。 無邪気なほどの笑みが向けられて、ふとくらりと意識が揺らぐ。 それに応えたい。自分の心臓の鼓動を教えてあげられたら・・ 『イーノック!』 呼ぶ声にはっと我に返って、跳び離れた。 目の前のかれは驚く様子は無く、残念そうにする。 「・・・。美味しそうなのに。 暖かいそれを、分けてはくれないのか?」 背には腕ほどの大きさの、ふわと柔らかそうな白にごくほんのりと花の ような淡い淡い紫を帯びている一対の翼がある。 ・・・悪気は微塵もなさそうなのだ、が。 『これは・・言うなれば“気”喰いだな。 本能的に暗示で警戒心を弱めるようだから、迂闊に真っ向から視線を合 わせたり、言うことをちゃんと“聴く”んじゃないぞ』 さらりと言われた。 ・・・多分、本来は“エネルギーを分ける”のそれなどに纏わる記憶、 ではないかと思うのだが。美味しそう、という言い方に、それは食欲に 関するものではないのかと、こちらを窺っている“かれ”を警戒しつつ も本体に思念を投げて尋ねる。エネルギー体であるかれらは大気や<世 界>から分けられるものや、時には人間のように何かを口にして換えた り、必要があれば他のいきものから直接分けられたものも糧と変える。 私の疑問に本体のかれは、ほんの少し照れたような気配と共に間を置い て答える。 『・・・触れて、温かみや気遣いの気持ちを感じて、活力を分けて貰う んだ。それは“快”だろう? だが、ただそれだけがほしい、とだけしか願わなかったら』 ・・・。何となく、わかった。 ネフィリムたちの“さびしい”のようなものなのだ。 ふわふわと、薄紫の“ハート”型の花片(はなびら)のようなものを、 掌で吹いて飛ばしていたかれのそれが、いつのまにか私を囲んでいるの に気がつく。 「・・貰ってもいいだろう? 欲しいんだ」 私に、と伸べられる手に、素直に訴える態度に。否を示す。 「・・・意地悪だな」 おまえのそれがいいのに、と物憂げに溜息をついて。 ささやかな装飾の揺れる左手が上がって、ぱちりと指先が鳴る。 囲んだ緩やかな輪のうちからひらと数枚私のほうに寄った花片が側近く を掠めると、柔らかな筈のそれがちりと燃えるような感触を鎧を突き通 したかのように残して消え、先程とはまた別のくらりとしたような感覚 を覚える。 分離しないままの真円のベイルを留めてあった腕から取り、周りを払い 除けると、かれは口を軽く尖らせた。 「そんなに嫌なのか。 全部取ろうなどと言わないのに」 ずっと欲しいから、そんなことはしない。と。 他意など全く無い率直な眼差しが向けられ。 おいで、というように。 抱き締めてくれと言う代わりのように、両腕が差し伸べられる。 それでも、私は三度(みたび)の否を示し。 かれはまた、満たされない不足に溜息をついた。 ・・・そして飾紐のかれはその後のあれこれの末に、「揃いのリボンを選 んでやろうと思ったのに」と。数々の懐柔にも強引な手段にも失敗したこ とを嘆くように、ふ、と消えた。 ただの猫か何かだったらよかったのかもしれないな、と私はこっそり溜 息をつき、『やっぱり、お人好しだな』と淡い苦笑のような声が届いた。 更に・・次。 かれは・・・・座り心地のよさそうな柔らかな一人掛けの丸い輪郭の低 めの椅子に腰掛けて、それに合う高さの丸い三日月のような形の低い簡 易卓に、妙に色々なものを積み上げていた。 “本”に“キューブ”に・・そのほか多分何となく“保存媒体”なので はないかと察せられる種々の物品やそれに応じた機器らしきもの、それ と“ケイタイ”。 椅子の陰には見覚えのある“ビニール傘”が立て掛けられ。 もうひとつある小机には、様々な風合いの綺麗な硝子玉が、同じく硝子 の平たい器に盛られている。 衣服は何時もの様子だったが、上からもう一枚柔らかそうな淡い緑の大 判の肩掛けに包(くる)まっていて、時折揺らされる組んだ脚の先は裸足 にふわふわとした部屋履きらしい黒い突っ掛けだ。 片手に丁度良い程度の大きさの本を読み耽っていたかれは、ふとこちら に気付いたように顔を上げると眉を顰める。 「何か用か?」 邪魔されたと思ったのか不機嫌そうだ。 硬質に響く声と共に、ぴり、と神経質な雰囲気が辺りに漂う。 私が歩み寄ろうとすると、机に近付けたくないのか立ち上がって寄って 来る。背には腕の長さ程の深い緑の一対の翼があった。 ・・・。 これは・・物が色々あるし“強欲”だと思うんだが。 何だろうな。“物欲”と“知識欲”? 「あっちへ行っていろ」 と、かれは私の肩を両手で押し遣る。 「エルとおまえのためにも、出来ることの不足はしたくないんだ」 ・・・“完璧主義”? 私がかれの私的領域から立ち去ろうとしないので苛立ったらしい。 ひゅん、と投げられたものを掴んでみると、金属で出来た銀色の筆記用 具だった。片方を押すと折れ易い芯が出てくる。・・“シャープペン” というやつだな。 手元に横向きに放って返してみたら、余計機嫌を損ねた。 その後は、色々なものを投げられるわ、“パソコン”や“ケイタイ”か ら出てくる音や文字が物理的に衝撃だの効果だのの影響を与えてくると か、“ビニール傘”から水飛沫が冷たかったり堅い玉みたいになってぶ つかってくるとか。“消耗”して貰うのには苦労はしないほうだったけ ど。 私が居なくなってくれないのに諦めたらしいかれが、何も言わずに。 椅子の陰に座り込んでぽつんとして段々と薄(うっす)らとしてくるのに、 これまでと何だか違うなと覗き込んでみると、かれは、掴んでいた一枚 の紙のようなものを残して居なくなった。 少し曲がっていたそれが未(ま)だ消えずに残っていたので拾い上げてみ ると、それはごく普通の掌に載る程の大きさの“写真”で。 旅に同行している皆、と一緒に。神がごく自然なように混じって特に心 配事も無さそうに、楽しそうに笑っている。 ・・・存在しない風景。 『・・・・・。 “強欲”、だろう?』 可笑しいように低められたその声と共に、手の中から消えうせた“写真” の、その“文字”の持つ意味を知っていることを思い出し。視界が滲みそ うになって我慢した。 次の“場”。 背の翼の大きさは、対応概念そのものの関連度をそのまま示すのではな く、“かれ”を構成する元になった要素の重要度なのではないか、とい うことはそろそろ見当が付いた。 ・・・だが、これは初めてだ。 私を見上げるようにしているそれは・・・・小さかった。 ちらと聞いた事がある生まれたばかりの時の、幼児と子供の境目程のも のではなくもう少々大きい。すんなり伸びてはいるが細身でまだ華奢に も見える手足が、先の時のものだろう半袖膝丈の活動的な装束から覗い ていた。足元は布靴で紐が結ばれている。色はやっぱり全部黒だ。 背中には、明るく鮮やかな濃黄色の掌ほどの翼が時折ぱたと動いている。 「・・・・おまえ、誰だ?」 何だか“違う”なと不審そうに問われて、“かれ”が私を既知として認識して いないことに気が付く。“昔”のかれの姿であるせいか。 子供の姿のかれは落差のある身長差か、それとも私が小さいルシフェル はこんな感じだったのかなとつい微笑ましく眺めたそれが何となくわか ってお気に召さなかったのか、軽く眉根を寄せるとふわりと中空に浮か び上がって逆に見下ろした。 「天使ではないのか?・・“何”だろうな。 まあいい」 “私たちに似ているもの”は今まで無いが、エルがまた知らないうちに 変わったものでも創ったんだろうか、とかれは溜息をついた。 私が特に何も言わずに微笑んでみせると、独言でも言うかのように呟い た。 「・・・おまえが天使でないなら、気にしないか。 ・・。 私は、時渡る翼を持っているからエルの助けになれるけど。 ほかの天使たちのように何時も“エルと同じ場所(いま)”には居られな い。 ・・・それが、羨ましい時もあるんだ」 ふう、と小さな身体が小さな溜息をついた。 少し寂しそうなそれについ、中空を数段上がってかれを腕に座らせるよ うに掬い上げると、え?と驚いたような顔をされた。 「・・ルシフェルは、こんなに小さくても凄いんだな」 きょとん、として私の顔を眺めていたかれの表情が、ふと、変わった。 「・・・・・おまえ、おまえ・・・・<イーノック>か! 私を、子供扱いするな!」 ぱちーん!という音と共に小気味好(こきみよ)い程に小さな掌で頬に見 事な平手を喰らった私の腕を容赦なく踏み台に蹴り付けて、かれはぷん すかしながらもっと高い位置に舞い上がった。どうやら“思い出した” ようだ。 「とっとと名乗れっ、バカっ!」 それから一方的に、一人で“地上”に降りる気だったのか今は天に居る 癖にとか、子供なら気軽に抱き上げるのかとか、文句のように聞こえる がよく聞くとどうやら随分と可愛らしい“焼きもち”らしきものを交えて。 何故だか以前土産に小型の板と併せて一式貰ったことがある“白墨(チ ョーク)”が飛んできたり、水の入った金属の“バケツ”や白墨の粉だ らけの“黒板消し”だのが落ちてきたり、八つ当たりのような素早い攻 撃が飛んできたりと目まぐるしかった。 子供のかれが消えるのは少し目にするのが怖かったが。意地っ張りな 様子のかれは疲れた風に去ったりはせず、「・・・負けたわけじゃない からな!」と顔をしかめてみせると、振り向いた顔でべーっと舌を出し て消えていった。 そういえば子供の頃の貴方に会ってみたいと思ったことがあったけど、 変なときに一寸叶った、と本体のかれに向けて伝えると『・・・実物も 可愛くないから会えなくて幸いだぞ』と苦笑されたので、そんなことは 無いと全力で否定しておいた。 10頁← 8頁→ |
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