「・・・・?
・・・・・・!」

 聴き取れない音がして、肩を掴んで揺すられていることに気が付く。
涙は止まってなくて、滲んだ眼は薄暗い部屋の中でろくにものを映さない。
幾度か頬を叩かれてから、少し強く叩かれて、漸く涙を払うように重い瞼が
瞬く。

「・・・ブルーノ!!
・・あ、・・気が付いたか?
どうしたんだ、いった・・」

目の前に居るのが、膝をついて蒼白な顔でこちらを見ているサントさんだと
認識した途端、反射的に両腕を伸ばして抱き寄せる。
ちょ、ッた、加減し・・ッ・・と小さく苦鳴が上がって、沈んでいた理性が
かろうじて呼び覚まされた。
少しだけ腕を緩めて抱え直すと、息をついた身体が逆らわずに凭れ掛かって
来た。
 ・・・うん。あったかいよね。
息してるよね。心臓動いてるよね。
      もう覚えてる、この匂い。


   サントさん・・・・だよな。

             サントさん

                    サントさ・・



口が動いて音をつくる。

「・・・・サントさん?  ・・サントさ・・・・
サントさん!!」
我に返ったことで再びぼろぼろと泣き出してしまった俺に、困ったように
深い溜息が聴こえ、そっと寄り添うように胸に頬が寄せられる。
何も言わずにじっとしていてくれるのに甘えて、暫くそのまま泣き続けて
いた。





***





 しゃくりあげながら漸く泣き止みかけた頃、サントさんがゆっくりと半身
を起こして俺の顔を覗き込む。
左手の指先でまだ零れている涙を慎重に払って、くしゃりと髪を撫でられた。
 あやすように、どうしたんだ、と静かに優しく尋ねられて。
彼を膝に抱くようにして、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

 今日のこと、
それから、これまで“恋人”とは上手くいかずに別れてしまっていた俺は
“友人”だったら大丈夫だと思っていたことが、親友のブルースと心情的に
疎遠になってしまったことで不安だったこと。
ベリルさんについて、新しい出会いがあるといいねみたいなこと言ったけど、
そもそもそれが幸せかどうかは本人にしかわからないということがブーメラ
ンして思い返されたこと。

 それと・・。
自分で涙を拭って、ひとつ息をつく。


「・・・・俺より近くに誰かがいるのは嫌だな、って気付いてしまった
んです。
  そもそもこうして一緒に居られるのが奇跡なのに・・。

  ねぇ、もし、俺が、友人では足りない、と言ったら。
サントさん、俺が嫌いになりますか?」


サントさんは暫し沈黙し、少し目を伏せて思案している様子だった。
俺は意志を総動員してひたすら不安を堪える。

ややあって
「・・・・・・。
そんな、死刑宣告を待つような顔をされたら、
私が虐めているみたいじゃないか」
と小さく苦笑して、上体を起こすと両方の掌で俺の頬を包んで涙の跡を撫で
てから、左手で後頭部を引き寄せてごく軽く唇を重ねる。
「・・・ぇ」
直ぐに離れたそれに俺が驚いて硬直するのを構わず、首に腕を回して抱きつ
いて来た。
耳元で、もう聞き覚えた声がする。
「・・・・・。
君が望むなら、私もそうしたいよ。
・・・全く、紳士的なのはいいが、鈍感が合わさると自縄自縛になるんだな」

呆然としたまま、
「・・・ぇ、ぇ?
あれ、それって・・つまり・・・」
サントさんも・・と言い掛けて、
引っ越してきてから、時々無防備に触らせようとするなとどぎまぎしたこと
に思いあたる。
「・・・あ、あの
もしかして、髪乾かすのとか、爪切りとか・・・っ」
「・・・・ああ。
その気があれば何かアクションしないかな、と思っていた。
反応無くもないけど動揺する範疇っぽかったから、私じゃやはり無理だろう
かと」
この通り可愛げの欠片も無い歳だし男だし?と溜息と自嘲気な苦笑が聞こえ
る。
「・・・・。
私は、正直に言えば出来るだけ君を独占したいんだ。
幾ら落ち着いた様に見えたって、所詮狂人の戯言だよ。
それこそ、言ったら嫌われるかと思って。

 ・・・・あの魔女に盗られるくらいなら、
護りにいっそ私が契ればいいと結構真剣に悩んで。
結局全部言い訳なんじゃないかと思って、何も言えなかった」
呟くように言い終えて沈黙がその場を支配する。

ど、どうしよう・・と狼狽え掛けて。
ふと。
サントさんの頬が熱を持っているような気がして、そろりと引き離して見る
と、覚悟したような口調とは裏腹に、耳や首まで真っ赤になって薄っすら涙
目になっているのが、この光量でも至近距離では見えてしまう。
思い切ったが、我に返って羞恥に襲われてそのまま顔を見られないようにし
ていたようだ。
か、かわいい・・んですけど。
どうしようこのひと。

「ご、ごめんなさい・・ニブくて・・
あの・・・
キス、していいですか?」

「・・・・好きにしなさい」





 羞恥による拗ね気味の赤面涙目&微かに震える声という鬼コンボかまして
くる色々ありえない(元)狂信者に(元)探索者は早々に敗北したのだった。




                           ende.




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