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 サントさんは利き腕を失ってしまったが、流石というべきか転んでもた
だでは起きなかった。

 家に戻ってから一週間ほど経って身の回りのことや俺の精神状態が少々
落ち着いたのを見計らい、様子見の定期通院を終えた俺をそのまま連れて、
元職場のツテで紹介されたらしい別の病院へ向かった。
右腕の詳しい状態の検査をし、それから専門医のところで色々と話を聞いた。
 俺を連れて行って過程を見せたのは、多分、一番最初の事件から再会まで
の経緯を思い出して、不安定な俺が過剰に罪悪感を持たないように、不自由
にはなったが自分がそれほど憂いているわけではないことを悟らせようと思
ったんじゃないかという気がしたんだけど・・どうなんだろう。

 まぁ、それはさておき。
俺は身近には縁が無かったので殆ど知らなかったが、最近の義手には、最低
限の部品に外装を3Dプリンターで形成して好きなように造れるという、工
作パーツキットみたいなものがあるらしい。
・・・そういえば、入院している子供に有名人がアメコミのキャラクター系
デザインの義手をプレゼントしたとかいうニュースを見たことがあるような
気がする!と思い出したけど。あれは既製品なのかな?
そのへんはよくわからないけど。
“筋電義手”という種類の、腕の筋肉の動きを指示する生体電流をセンサー
で感知して、スマートフォンに入れた専用プログラムで変換して義手の手先
に伝えて指を動かす、っていう原理のものらしい。
腕の筋肉が残っていないといけないし、人によって反応レベルが違うし、サ
ントさんの場合は上腕の半分まで無いから“上腕義手”っていう、肘上まで
カバーするのが必要で、例のやつは見本とかは“前腕義手”っていうらしい
・・まぁつまり肘より下をカバーするソケットタイプっぽいやつなので、ど
うなのかなぁと思ったけど。
原理としてセンサーが腕の反応を伝えられればいいということで、サポート
帯とかを組み合わせればいけるらしい。
(肩まで無いと面倒になってくるみたいなのでこれも不幸中の幸いなのか。)

サントさんが迷いなくこの方向を選択したのは、大分落ち着いたとはいえ
“解剖癖”があるからもしも右手が使えるようになるならどうにかしたいっ
てことと・・・本好きだから、本を読むのに面倒過ぎて痺れを切らしたんだ
ろうな、うん(笑)。
頁を挟むストッパーとか補助具は一般にもあるけど、俺も試しに左手でやっ
てみたけど確かにスラスラ読めるひとはやってらんないと思う。
電子本とかなら押さえなくてもいいけど、サントさんの読むのは厚い紙の本
が多いしなぁ。
 勿論、それなりに動くという程度でまだまだなんだけど、従来のものより
かなり安価に、ユーザー側でも幾らでも工夫出来るというのが琴線に触れた
らしい。
元々実験機器なんか扱ってて機械類は苦手じゃないんだろうね。


 ・・・というわけで、まずは基本型の義手を試して、それから丁度英国と
日本にあるというそのテの義手のオープンソースコミュを覗き始めたりと、
新しい玩具を手に入れた子供の如く熱心に調べ始めたサントさんは、旅行前
まで勤めていた職場には適当な対応分野が無かったことから、旧職場と両方
のツテを当たり、義手系の相談やリハビリをするところがあるとこに掛け合
って、一石二鳥とばかりに職を得てしまった。早い。
とりあえず、実際の使用者である立場を生かして基本的な説明や相談に乗っ
たりするみたいである。
   ・・・・長らく職でうだうだしていた俺は、良いことだと喜びつつも
一寸胃が痛くなりました。サントサンスゴイヨ


 まぁそんなこんなで。
研究対象が出来たのが良かったのか、サントさんの解剖癖の“発作”は殆ど
なりを潜め、気分も割と安定しているようだ。
自分で好きなだけ実験出来るというのもラグが無くていいんだろうな。
 「人体の構造というのは、腕の仕組みだけでもまだ人工物再現すら出来ず、
肩の構造に至ってはまだ謎があるらしいんだよ。
挑戦出来る目標があるのは楽しいものだね、ブルーノ君」
と講義かと思える語りをしながらロボット関連の本の表紙を見せる姿を見る
と、どこまで行くんですか・・と苦笑したくなるけど、これはこれでアリな
んだろうな、サントさん的には(笑)。







 ・・・あ。
例の、 というのもなんだけど。
事件の時の遺留の“腕”は・・・、あの後にサントさんに返した。
返した、っていうのもなんかよくわかんない気がするけど。


 あの時、精神状態が危うく、“腕”を離したがらなかった俺のために、当
座の面倒を見てくれていたお医者さんが防腐処置と遺体移送を手荷物で可能
にする手続きを取っていてくれていたので。
サントさんはそれを使ってそのまま持ち帰り、腕の相談をした際についでに
証明書を出してもらったらしく、これは俺に見せずに・・
 骨格標本化 していた。

管理上、家主のベリルさんには話を通してたみたいだけど。
モデリングのベース資料用、って本人のものだし合理的、なんだろうなーと
は思うけど流石にびっくりした。
英国は葬儀以降の遺体に余り留意しない慣習があるんだけど、本体が生きて
るとはいえ、火葬扱いで普通に焼却してどっか撒いちゃうのかな、とか思っ
てたし。

 なので、最初に見た時には驚いたのと微妙に混乱したりしたけど。
触らせて貰って、説明しているサントさんの声を聴いているうちに何となく
妙に納得したのだった。


   ・・・・・・そのままただ無くなってしまうよりも良かった、
  って。少し思ってしまったのは内緒だけどね。





***



 サントさんのほうはそんな感じだけど。
俺のほうも症状が落ち着いて来てからもおとなしくしてばかりもいられない
と思っていたところ、慣れも兼ねて一人で散策している時に見付けて、気に
入って幾度も訪れた喫茶店のような小さな店で、健康事情を承知の上でバイ
トに雇って貰えることになった。

 気の良さそうな穏やかな雰囲気の老年に差し掛かった年頃の男性店主で、
自分は焼き物(パン・ピザや菓子とか)や煮物を作り、店には出ないけど知人
の農園の手伝いをして安く譲って貰った傷物を加工して漬物やジャムやデザ
ートを作っているという奥さんと二人でやっているらしい。
 ベリルさんの家のあるアールズ・コート周辺は元移民街で現在は学生が多
く住み、既存の建物を改装した手頃な旅行客向けホテルもあるところで、時
間帯によって、軽食を求める客で一時的に混み合うが常時ではないので、わ
けありっぽい俺の話したマズイところは伏せた概略な事情でも雇ってくれる
ことにしたらしい。
リハビリだと思って、余り気負わずにやりなさい、と勧めてくれて、穏やか
な声音に思わず泣きそうになった・・。

 後で雑談でわかったが、どうやら店主さんも過去に何かわけありらしく、
世の中に完全な予定通りばかりなどということは、レアケースだと思うね。
レールから外れたから、あれと出会えたんだよ、と奥さんのことを微笑みな
がら言っていた。



 給仕や掃除とか、店で少し並べている販売用のジャム・ピクルスや菓子の
包装の手伝いをして慣れた頃。

「食べることが好きなら、料理を作る側になる気は無いかい?」
と尋ねられた。
一応自炊は出来るけど、これは、そういう意味じゃなくて・・
こういうお店なりの調理する職はどうかと言っているらしい。
調理か・・。
うーん、バイトだと資格持ってないとダメなものはやったことないから経験
無いんだけど、どうなんだろうな。俺に務まるものなのか?
「俺は大雑把だから、こういうお店はすごく好きだけど難しいんじゃないか
なぁ」
と返すと、
「うちと同じようにと考えなくてもいいんだよ。
日替わりの煮込みメニューを二品ほど、それとパンやライスとつまみ程度と
飲み物を用意出来ればね。 そんなに長く開けていなくてもいい。
そういう軽食屋もあるだろう?」
と言われて、ああそっかと思う。
旅先で色々見たけれど、そういえば本当に色々あったっけか。
「自分で無理なら気に入ったところの手伝いとして勤めるのもありだけどね、
君は旅好きで放浪癖があるということだから、自分の店かそれに準ずるもの
のほうがいいかなって。
まぁ、案のひとつとして聞いておいてみてくれ」
人当たりが良くて好かれやすいしね、その気がもしあったらお手伝いするよ、
と相変わらず穏やかに語られて、一寸真面目に考えてみようかなと思う。


 ・・・実は、現在の食事当番はベリルさん宅に居る三人の仕事の都合で大
体振り分けられているのだが。
余りこだわりなく色々作るベリルさんはさておき、
“如何に原型を留めずにそれなりに野菜を使うか”にこだわる俺と、
“如何に原型を残して野菜を食べやすくするか”にこだわるサントさんの
明言しない対抗戦みたいになってしまっていたりする。
  ・・・・いや、サントさんのこだわりは基本俺のためだってことはわか
るんです、わかってるんですけどね・・・!!
右腕が不自由な分、スライサーとか調理道具を駆使して「ふふふ・・」と器
用に綺麗に切り刻んでいるのを見てしまうと、調理ってサントさんにとって
解剖の類似品なのかな・・って思わなくもない・・(苦笑)。
 まぁ・・つまり。
ちゃんとした調理スキルを身に着ければ、サントさんが気にしない程度に
俺が食べ易いように両立するもの作れないかな〜とか、一寸思っちゃったり
して。



 博物学はどうするんだ? と言われそうなんだけど。
・・・・元々、子供の頃に好きなもののある博物館に憧れてそのまま行っち
ゃったから、どこの博物館でも色々楽しい、というわけでもない、んだよな
ぁ・・。つまらない、とは思わないけど博愛ではないみたいで。
 英国の博物館は基本公共の文化事業だから、ボランティアは盛んでも、職
業の報酬としては恵まれてはいない。
それこそなんらかの適性か情熱が無ければやっていられない職なのだ。
間口も狭く、俺の場合は、都合が付けば地元で働けるかもっていう可能性が
高かったけど、でもなんだったら本当に好きなひとが勤めるべきかなぁと思
うしな。こんな我儘な俺よりも。

 まぁ、今更急いでわざわざパンクすることもないだろうし。
もう少しだけ考えてみようと思う。



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