★★ | 漆黒の基面(プレーン)が続く広大な空間。 うっすらと光る格子(グリッド)が無限であるかのように遥か続く。 天には星も無く地には確固とした土も岩もない、静寂の闇。 電脳空間の一角にあるその閉じられたひとつの世界に、威容を誇る白亜 の建造物が朧に光を放つように佇んでいる。 背の高い鉄製の柵に囲まれたそれは、正面テラスにはギリシアに見られ るような襞のある円柱を丈高く伸ばし、続く屋根は中央が円蓋(ドーム) 状に盛り上がって高く昏く陰を帯びて見えている。ひらけていない場所 を覆う壁面も同じ白だ。黒柵の正門を透かし見る奥に大きな扉が見える。 此処は<ORACLE>(オラクル)。 神託の名を戴く司書が管理する膨大な情報と共に、限られたものしか 触れることの叶わない人類の知識と技術の粋を秘めた図書館なのだ。 世界中から使用許可をもつ研究機関が日夜を問わず閲覧、または委託 のためにアクセスしているが、その大半はお仕着せ映像の案内プログ ラムだけでまかなえているため、“本当の”司書と顔を合わせること が出来るのは更に上位の許可をもつほんの一握りであり、それも基本 的には複雑な手続きを必要とする場合に限られる。 そんな図書館の管理人は、今日は珍しく、とある研究者と手元に浮 かせたディスプレイ越しに直接会話をしていた。 『コンニチワ!オラクル♪ 元気だったかい?』 脳天気にも聞こえる声が明るく響く。喋っているのは日本語だ。 「ようこそ、エル博士。こちらは変わりありませんよ。 そちらの進捗は如何ですか?」 穏やかな声と笑顔が返される。こちらも日本語だ。 世界的な共有システムというものは、多少の複数言語対応があっても 大概が英語基準で作られていることが多いのだが、<ORACLE>設 立に深く関わっているシンクタンク<アトランダム>の当時の・・そし て定年引退を公言して表向き一線から身を引いた今でも重要人物である 天才工学者が日本人であったこともあり、<アトランダム>に所属する その名を冠するHFR(ヒューマンフォームロボット)やAI達は日本語 対応できるものが多い。 ユーザーフレンドリーを目指して創られた知識の館の司書であればなお さらで、超AIである彼は音声会話でもとても自然に複数の言語を操っ てみせる。 ディスプレイの向こうのまだ若い博士は英語と日本語が話せたが、日本 語のほうが楽だというので会話するときは大概この調子だ。 『うん、発表までにはまだ権利関係の調整が面倒なんだけど』 今日はコレ、お願いね、とディスプレイの端にデータの送信が完了され た旨が表示されている。 「はい、確かにお預かりします」 書類の形で手元に現れたデータの内容を僅かの間で確認し、区分と公開 前の情報の中に分類するタグをつけて本の形に封じる。 「ほかに、御用はありますか?」 忘れ物はないかと確認する風情で司書の青年が尋ねる。 ディスプレイの電光を仄かに映すその面は抜けるように色が白い。 足元までをすっかり覆うゆったりとした幅広の黒い長衣(ローブ)は二重 に重ねられていて、大きく開いた袖からは更に下に着ている同じ黒のぴ ったりとした甲の辺りまでを覆う筒袖が、その先にあらわれている繊手 を際立たせている。 襟を通して黒の上に重ねた帯状のローブは淡い色合いの茶。 髪は額で分けられて頬に落ちる長さで後ろは首の付け根にかかる程度。 ローブと髪と眸は同じ色合いに雑音(ノイズ)を映し、髪と眸には時折そ の中には感情の閃きを表すようにちらちらと様々な色彩が躍った。 雑音のローブを留めるように、胸元に大きな赤い石を金の装飾で飾った ブローチが鈍く光を弾いている。 人間のように自然に受け答えもし、親しく話せば個性も癖もある彼だ ったが、その色彩はどこか現実感が薄かった。 『ううん、今日は調べものはないから預けるのはこれだけ。 あ、でもまだ話があるんだ』 ディスプレイの向こうで、忘れ物ないよね?と辺りを見回すように確認 する仕草をした博士が向き直って真面目な顔になる。 「なんでしょう?」 合わせて真面目な表情になった司書に向かって、一拍置いた博士は、 ふいと表情を変えてにっこりと満面の笑みを浮かべた。 『えへへー、実は〜 まだオフレコなんだけど、アレっ。シリーズとは別のやつっ 許可が下りそうなんだよー!』 性質上スポンサーと、また小難しい権利調整は必要なんだけどねーと呟 くようにぼやきつつもそれでも嬉しそうに笑う博士に、司書も興味深そ うに眸に明るい色彩をのせて尋ねる。 「前に仰っていた、ゲームキャラクターが元だというモデルですね?」 画面の向こうから頷きが肯定する。 『うん。勿論、シリーズのほうも今回の以降も都合が付き次第順番につ くっていきたいんだけど』 これはどうしてもつくってみたかったから、もー、やっほー♪と椅子に 座っていなければステップでも踏みそうな声音の博士に、司書の青年は よかったですね、とふんわりと優しく笑った。 『それで、まだ先の事にはなるだろうけど。 最初の時と同じように、安定したところでオラクルには会話テストを 手伝って貰いたいんだ。良いかな?』 再び真面目な顔になった博士に、少し考える風にしてから司書が返す。 「前回と同様に、AI起動テスト用目的の限定回数接続ナンバーをご用 意すれば宜しいですか?」 『そうだね。あの子で問題なかったから、前よりも許可取るの楽だとは 思うけど。 今進行中のは一度に2体分だから、同時進行するとどっちが完成早いか 分からないんだけど両方とも申請を頼みたいな』 つまり3件分になるんだけど書類は用意しといたんでお願いするよ、と 画面の向こうで博士が操作すると各所に送るための必要要項を纏めた申 請用のデータが送られてくる。 『あの子の正式接続許可ももうすぐ貰えそうだし、そしたらまた遊びに 行けるようになるよ、よろしくね。 定期メンテナンスの度に、まだなのかって楽しみにしてるんだよ〜』 「了解しました。 お忙しそうなメールは博士経由で戴いているので、またこちらからも お手紙します。お茶とお菓子を何にするのか検討しておかないと」 司書は複数の手続きを同時進行しながらにこやかに返す。 『いやー、こっちも手土産を考えないといかんね。 あ、じゃあ今日はこんだけ!ありがと!』 またねーとニコニコ手を振る博士に丁寧に礼をして、通信は切れた。 そうすると、賑やかさの余韻を残してしんとした静寂が図書館に満ちる。 博士と話している間に頼まれた申請の作業はもう終わっていたが、結 果が出るのは当分先のことだ。 司書は念のために通信環境に問題がなかったかチェックしてからディス プレイを閉じ、通常業務に戻った。 彼が博士と会話していた間も、無意識の部分では膨大な接続や処理作業 が行われている。 今日も<ORACLE>は滞りなく運営されている。 ふっ、と世界のどこかで忙しくしている半身の面影が浮かぶ。 表向きは<アトランダム>のナンバーズロボットのひとりであり、<O RACLE>にとっては所属機関への監査官であり・・もうひとつの姿 はごく限られた知るものだけが知っている。 共有する電脳の奥底で、彼が活動していることをいつも知るともなしに 識って/知っている。 “今度は、オラトリオも一緒に話せるかな” 前はテスト期間だったので会ってみたいと残念がる彼には遠慮して貰っ たのだ。 2頁← |
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