ぐだぐだに始まってぐだぐだに終わるアリスネタWパロディ
なんでもどんとこいというかた向けです・・・lllorzlll
文中の衣装は六章扉絵より。




















「・・マスター?」
夜遅くに帰宅して。
気配はあるが、リビングにも自室にも姿が見当たらないと思ったら。
窓のカーテンがきっちりと引かれて暗い部屋の入口に立って眺め。
小さく、溜息と軽い安堵の入り混じった息をつく。
・・・今日は別に部屋を漁っていたわけではないらしい。
静かにドアを閉じて寝台に近寄ると、空気に混じって漂っている幾つか
の独特の甘い香りが少し濃くなった。
・・この匂いは・・・。
柔らかそうな新品の濃茶の毛布に包(くる)まって眠っているその右の手
首には、艶やかな幅広の落ち着いた赤のリボンが飾りのように、綺麗に
輪を作って結ばれている。
・・自分では出来ないだろう、と思い、鞄を置いて寝台の端に腰を降ろ
して眺めてみると布地に何か書かれていた。

『Drink Me!』

字は見覚えがあるこのひとの筆跡だ。
更にこの台詞にも覚えが・・・・
<不思議の国のアリス> だったろうか。
小瓶に札が付けられていて、飲み干すと身体の大きさが変化するという
くだりだと思う。
「・・・・。
貴方の血が“とても美味しい”ことは否定しませんが、その台詞はトラ
ブルワードでしょうに・・」
やれやれ、と思いながらふと寝台の上の枕元にもうひとつ何かがあるこ
とに気がついた。金色の細紐を掛けられた無色透明のパッケージで、小
さな金色の鍵の飾りと二つ折りのカードが結び付けられている。
掌に載るほどの四角い箱の中身は・・どうやら干葡萄が入ったチョコレー
トケーキのようだった。
本の装丁のようなカードを開いてみると、先程とは違う見覚えのある字
が並んでいた。

『チェリーさんへ

マスターに内緒でケーキを作りたかったのでキッチンをお借りしました。
お礼代わりにお裾分けを置いて行きます。
ラムレーズンの出来は悪くないので、気分転換にでもどうぞ。
レイフロさんもやってみたがってチャレンジしましたが、見事に失敗し
たのでとりあえず宥めておきました。
・・後は自分でどうにかしてくださいね。
ではでは。
                                 チェリル      』

 成程、とマスターから漂うアルコール混じりの甘い香りに納得する。
ラムレーズンを合間に摘(つま)んだり、手だの顔だのにチョコレートが付
いたのを簡単に拭っただけなのだろう。
・・まあ、チョコレートの来歴なぞ当然承知しているこのひとのことだ。
わざと残した可能性も多大にあるが。
贈り物のようにリボンの結ばれた右手をそっと持ち上げて匂いを嗅いでみ
る。
大概、待つ間にあれこれ右往左往でもしていて疲れて眠ってしまったのだ
ろう。穏やかな微かな寝息と体温が、馴染みのある匂いに別の甘みを加え
てほんのりと身体を覆っている。
ふ、と改めて溜息をついて。
爪先に色の乗っていないその指先に、軽く唇を当ててみる。
・・・・振りならそろそろ反応がある頃だろうし。
完全に寝入っているな、これは。

 コートと上着を脱いで掛け、ケーキの箱を手に取って改めて眺めてみる。
確か・・この金色の鍵も物語では小瓶と菓子と同じ場所にあったものだと
思うんだが、どういう流れだったかな。
読んだのは大分前で、かなりうろおぼえだ。
うっかりして駄目にしたりしないように、とりあえず棚に避難させよう。
眼鏡を外して一緒に置いておく。朝にでもキッチンに持って行けばいい。
年に一度くらいでトラブルが起きないならば、に限ってだが、自分の部屋
にこんな匂いがしているのも悪くはない。
マスターが包(くる)まっている毛布の端をそっと引いて中を確認すると、
素肌に羽織った黒いシャツの袖を適当に捲り上げたままで、白っぽい布
ズボンにはチョコレートだろう滴の跡が点々と飛んでいる。
・・・。
チェリルに片付けだの何だの余分な手間を掛けさせた気がひしひしとして
きた。お裾分けのちゃんとした“お返し”は忘れずに用意しておこう。
 大分大判の毛布はまだ十分余裕がありそうだった。
エアコンの稼動していない室温に触れて寒いのかマスターが少し眉を顰め
てもそもそと丸まり直している。
風邪をひかせたらまたそれはそれで駄々を捏ねて煩いことになるのは簡単
に想像出来るので、毛布を引いて横に入り自分も一緒に包(くる)まってし
まう。冷え気味だった表皮に、柔らかな毛布の感触とマスターの温度で暖
かな中の空気が心地良い。
「・・・・んー?」
眠そうな声が小さく呟いて、ぼんやりと開いた目がこちらを見る。
「・・。
・・・・おかえりー・・」
それだけを笑みの気配が漂う音にすると、また目が閉じて静かになった。
寝惚けただけ、だな。
「・・・。
ただいま、です。マスター」
安堵したような少しだけ残念なような曖昧な、でも悪くは無い気分で。
幸い、明日は予定が無い。
細かい片付けだの新しい準備だのは起きてからでいい。
甘い香りに浸って、うとうとと重くなる瞼を何時の間にか閉じていた。




***





 見慣れない場所に、立っていた。
暖かな空気と風のそよぎ、草花と微かな虫の羽音。
遠く近く、鳥や動物の立てているものだろう鳴き声や物音。
金色に照り返す川のせせらぎの音。
此処は、何処だ?

自分の服装を見下ろすと、明るいオレンジの燕尾裾の上着に茶色のベスト、
控えめなフリル飾りのある白いシャツに黒いタイ、白いズボンに黒茶の革
靴。頭上に何かが載っている気配に手を遣ると、上着と揃いのオレンジの
シンプルなシルクハットだった。
眼鏡は何時ものものだが・・、ふと頭に違和感を感じてもう一度手を遣る。
・・・・・・。
手触りと形状を確かめる。
・・これは、耳、か?
薄く毛の生えた柔らかな動物の耳、だと思う。
何時もの、というか普段の人工の耳はカバーパーツごとちゃんと頭の横に
あるのだが。頭の上のそれも装飾品ではない、本物、だ。
縦長だが、やや横倒しに後ろに伸びているので帽子の邪魔にはならない。
首後ろには馴染みのコードが二本。
手も変わりなく、見覚えている通りの義手だ。その左手には、柄や骨がご
つごつとした木製の、蝙蝠の装飾がついた黒い“蝙蝠傘”を掴んでいる。
ふと、胸元の小さな規則的な響きの感触に気付いて懐を探ると、上着の内
ポケットには眼鏡と揃いの鎖のついた銀の懐中時計が収められていた。
川のそばに寄って膝を屈め、水面を覗き込んでみる。
・・・・金の髪から繋がるような濃淡で伸びている耳は、白だ。
懐中時計に、上着に、白い長い耳。
“White Rabbit”か?
眠る前のあれのせいか、とぼんやりと思い出し。
これは夢に違いないと思って一先ず安堵する。
<アリス>も夢の話だ、きっとそのせいでうろおぼえの記憶が引き出され
たのだろう。

・・だが、と少々首を傾げる。
本来の<アリス>では、“白兎”は呼び水であり案内役だ。
その兎が事態を把握していない私では、物語が進まないのではないだろう
か。
まあ、進まないまま目が醒めてくれてもそれはそれで平和かもしれないが。
と、考えた時。

 「どうしよう! どうしよう!
 遅くなっちゃう!!」

聞き覚えのある声が、甘い菓子の香りを靡かせ、少し離れた場所を軽い足
音と共に遠ざかってゆく。
慌てて振り向くと。
水色のワンピースのドレスに白いエプロンと袖、裾からは白いアンダーコ
ートの縁取りを覗かせ、足元は黒白の横縞の靴下に青い靴。
可愛らしい衣装と長い金色の髪が、向こうにある深い緑の茂みを目指して
一目散に駆けていた。
「・・・チェリル?」
何時もはきっちりと首後ろで二つ分けに束ねているストレートの髪が、頭の
上で結ばれた大きな水色のリボンを飾って解き流されて緩く波打っているし、
普段は大概黒と白の簡素な衣装なので印象が違うが。
声と背格好と気配が・・。
「・・チェリルが“アリス”、なのか」
それ自体には何の疑問も差し挟むつもりは無いが、どうやら立場が逆転し
ているようにしか見えない。
・・・・・・・。
まあ、どうせ夢だ。
仕方ない、と後を追ってみることにした。きっと、そうしないとこのまま
な気がする。
何か透明に光を弾(はじ)く箱のようなものを両腕に抱えているのが、先程
通り過ぎた折に隙間からちらと覗いていた。
あれはつまり・・・ケーキの箱、か。
小振りのホールサイズだろうそれはレイフェルに渡される筈なのだから、
彼女の目的は“贈り物を届けること”だろう。
・・問題は、あちらの配役だな。
どんなキャラクターがいたのか記憶を手繰ってはいるものの、うろおぼえ
なのではかばかしくはない。
頭を振って諦めて、茂みの中に消えた姿を追って躊躇せず“飛び降りる”。

 “Down the Rabbit-Hole”

“兎穴”から続く、“井戸”のようで本と食器の棚のある不思議な通り道。
案外断片的にでも映像イメージを覚えているものだな、と一説には聖書の
次に存在を知られているという噂の物語の存在感に感心する。
 落ちて落ちて落ちて・・・・・・・・・
      落ちて落ちて まだまだ落ちて・・・・・・・
                                       ぼすっ!
と衝撃があり、小枝と枯葉が厚く降り積もった底に無事に着地した。
周囲を見回すと、横穴が続いていてその向こうに遠く身軽く駆け去ってゆ
く小さな背が見える。急いで立ち上がって後を追った。



 横穴・・の先には本来別の場所があったような気がするが。
そのまま開(ひら)けた外に出て、もうどちらへ行ったかも解らないチェリル
・・いや“アリス”の行方に思案する。
少し付近を見て回ってみたが、林のような風景の一角に人が乗れそうな程
大きな茸がひとつあるだけだった。
此処には確か一応ヘルプキャラが居たような気がするが、と思うがまあ居
ないものは仕方が無い。
適当に方向を決めて歩き出そうとした時、喉で笑うような音がした。
・・・・。
耳慣れた音に、振り仰ぐと樹上に居たのは案の定・・・
「・・・・マスター!」
縦縞織のスーツに手袋、首にはふわふわとしたファーストール。
頭の上、緩く波打つ黒髪の間からは三角に尖った柔らかそうな毛皮の耳。
上着の裾から伸びて、気分を表すようにゆらゆらと動いているのは横縞の
ある丸くて太目の細長い尻尾。
「・・・?
“ますたー”?」
きょとんとした表情で、木の枝に寝そべる彼は不思議そうに尋ね返した。
・・・あ、そうだったな。これは<アリス>なのだから。
この状況は間違いなく。
「いや。
“チェシャ猫”、でいいのですよね。貴方は」
確認すると、彼は満足そうににんまりと笑った。
「そうだ。
・・・どうした、白兎。寝惚けでもしたのか?」
するりと枝を伝って、手の届くか届かないかのぎりぎりの位置に降りて
来た。
「・・あの、少々急ぎの用事なんです。
“アリス”が何処へ行ったのか知っていれば、教えて・・・」
尻尾の先がゆらゆらと、猫じゃらしか振り子のように揺れている。
・・・・・・・。
私は“兎”、の筈なんだが・・・。
“猫”に釣られてどうするのだ。
再び優雅に枝の上に寝そべって私の“兎耳”に触ろうとしてぴくりと動く
度に手を引っ込める“遊び”らしきものをしている彼が、面白そうに目を
細めた。
くくく、と喉の奥で笑って、からかうように何かのフレーズをハミングで
歌っている。
・・・わかってやっている、な。
少しむかっ、としたので。
さり気無く頭の中だけでタイミングを測り、ゆらと揺れていた縞々の柔ら
かな尾を引いたりはしないように慎重に一瞬で掴み取った。
「・・・!
こら、・・このっ、尻尾・・・離せ」
猫は個体によって触られても平気なタイプとダメなタイプが居る。
手の中の尾をふわふわと掴みながら中心に沿って指先で撫でると涙目に
なった。これは、弱点だな。
「離してあげますから、先程の質問に答えて下さいますか?」
「・・・馬鹿兎ぃい・・」
ブツブツと文句を言いながらも、背に腹は代えられなかったのか“チェシ
ャ猫”は、そこの小道を抜けて行ったのだと木立に隠れていた場所を教え
てくれた。
「・・そうですか!
助かりました、有難うございます」
「・・・礼はいいから、とっとと離せ」
恨めし気に睨んでも涙目なので全く怖くない。
ただ、少々こちらがおとなげなかったかと思い直す。“マスター”が悪戯
好きなのは今更なのだ。
離す前に柔らかな毛並みを口元に寄せて、謝罪のしるしにごく軽く触れ。
「すみません、嫌なことをして。
・・でも、触り心地がいいですね。良い尻尾だ」
世辞ではなくそう言って、そっと撫でて少々名残惜しく離す。
普段はそういうことはないが、ふわふわの尻尾に問答無用に釣られる気持
ちが少しだけわかったような気がする。
「・・・・。
遅い」
ぶう、と拗ねた表情で照れたように頬と耳先が染まる。
それから直ぐに元通りのからかうような余裕の表情に戻った。
「・・・ふーん。
アリスを探すのなら、気をつけろ。
女王の機嫌が良くないらしいから、な」
口元がにやと笑う。
・・・・。女王?
・・・・・・・・そういえば。
嫌な予感がして記憶を探り直す。
そうだ、<アリス>には“ハートの女王”が・・・
「おまえ。
今日、クロケーには呼ばれているのか?」
問われて、これも聞き覚えのある言葉だと思う。
「・・いえ、私は呼ばれてはいないかと思います、が・・」
<アリス>のクロケーといえば、何かの動物のボールをフラミンゴのバッ
トで打つという大層シュールなものだった気がする・・・。
どうしてもでなければ参加したくはないな、と思考したところで。
「・・そこで会おう」
にやりと笑って、“チェシャ猫”の姿が薄れてゆく。
「あ・・」
挨拶をしようと思ったがどう言うべきかと思う間に、笑みの気配だけが残
って跡形も見えなくなってしまった。
・・・やれやれ。


**


 教えられた小道を進んでゆくと、何時の間にか薔薇の庭園に辿り着いた。
美しい白薔薇が咲いているが、何処からともなく真新しいペンキの匂いが
つんと鼻をつく。
少し進むと空の塗料缶と刷毛が転がっていて、赤に染められた白薔薇の木
が立ち並び、まだ濡れて光る深紅の滴が草の上に何となく血のように零れ
ていた。
何処かから囁きのようなものが風に乗って聞こえる。


♪女王様は ご機嫌斜め
歓迎に選んだ 赤い薔薇が
手違いで 白薔薇に

赤い薔薇は 愛の色
白い薔薇は 失恋の色

ジンクスでも 嫌なものは嫌
大事な人を お待ちかね♪


・・・。
花言葉、か。
以前知らないで、マスターに貰い物のクリーム色の薔薇を月の色みたいで
綺麗だと思って分けたら、俺に“嫉妬”ってどういうことだーとからかい
混じりに絡まれて閉口したことがある。黄色い薔薇といえばまあそうだが
・・・全く。
<アリス>のハートの女王は単に間違えたことが気に入らないという経緯
だったと思うが、“女王”がレイフェルならつまり“アリス”であるチェ
リルを出迎えるのに準備をしていたのに大ポカをやらかされて機嫌が悪い、
という状況か・・。
レイフェルはとてもチェリルに弱いが、その分、基本的に他には強い。
夢とはいえ、余り、機嫌の悪い彼女に遭遇したくはないんだが・・・。
 どうにかして、“アリス”に先に遭えないかと思ったが。
勿論、“物語”的にもそう簡単に事は運ばなかった。


 城を取り巻くまるで迷路のような薔薇園を漸く抜けたと思ったら、そこ
は矢鱈と凸凹の多い、畝溝が縦横に這い回る場所だった。
・・・これは、確か・・・・
足元に人影が差す。
「・・・。
白兎!
おまえ、何処で何をしていた?」
じろり、と眼光鋭く射竦められて思わず構えてしまう。
案の定というか・・で遭遇してしまったレイフェル・・もとい“ハートの
女王”は、名前に相応しい凝ったドレス装束に冠を身に付け、ハート型の飾
りの付いた杖を携えていたが、優雅なその姿と裏腹に剣呑な雰囲気を湛え
ていた。
・・・私、には“この世界の白兎”の“記憶”は無いので、本来の物語の
通りに白兎があれこれの遣いをやっていたとしてもその内容はわからない。
必要な用事を放っていなければいいのだが・・。
「おまえには、アリスの案内をしろと言っておいた筈だろう!
自分で行くからいいと鳥文が送られて来たが、まだ到着して居ないんだ!
あの子に何かあったらどうすんだ、この間抜け兎!!」
・・・・・・・。
あそこに“居た”のはそういうこと、だったのか。
そして、私は先程聞こえた歌のようなものから、てっきり準備が満足いって
いない“女王”が“アリス”の到着を時間稼ぎのために遠回しに妨げていた
りするのかと思っていたのだが。
そうではない、ということは。
「本当に、まだ到着していない・・・のですか?」
同じ道を通ったのであれば、先に行った“アリス”はもうとっくに着いて
いてもおかしくはない。<アリス>の話と違って目的地ははっきりしてい
るのだ。
途中で何かあったか、道を逸れる要因が存在したのだろうか?
どうしたものかと迷う間に、“女王”のせいか割合丁寧だった口調が何時
もの調子に変わり始める。
「それと・・・
何で、“約束の菓子の匂い”がする?
手前(てめ)ェ・・、あの子に会っておいて何処かに放って来たんじゃない
だろーな!?」
詰め寄られて少々狼狽する。
“私”が“白兎”と入れ替わってしまったせいでこの事態が起きたなら、
私にも責任はある。“アリス”を探さなければ。
「いえ、その・・
行き違いで擦れ違っただけで、ちゃんと会ったわけでは・・」
もごもごと歯切れ悪く何とか応対したが、“女王”は余りまともに話を聞
いていないようだった。
「どういうことだよ。
・・・まさか、おめーが“菓子”を貰ったわけじゃ無いだろうな?」
「・・・・・・・・。
ち、違います!! そんな訳無いでしょう!!!」
本気で背筋が寒いので、殺気を飛ばすのは止めて下さい!!
しかし、チェリルから、だが“お裾分け”でも“貰った”事実はある私が
“否定”するまでの思考の間を気に留めたらしい“女王”はますます疑わ
しいと思ったようだ。
私の襟首を両手で掴むと膂力でやや持ち上げ気味に掴んで凄む。
・・うう、マスターなら跳ね除けるか腕を掴んで絞めて離させてもいいん
だが、曲がりなりにも本物の女性に対して余り荒っぽい対応はしたくない。
しかし一寸流石に苦し・・

 「・・・・やれやれ」

溜息のように笑う気配が首後ろに触れて。
ふわふわした感触のものが肩口を擽った、と思う間も無く。
何処からともなく現れて、私の肩に軽く手を掛けて掴まった“チェシャ猫”
が身軽く器用に“女王”を大きく蹴り離して距離を取る。
耳元で、聞き慣れた声と同じものが笑みを含んで囁いた。
「・・調子はどうだい?」
救けてくれたのだと気が付いて、少し咳き込んで息をしながらほっとする。
・・・ああ、そうだった。
別れる前に“予告”していたな。

「・・・ドラ猫。
何しに来た」
凍てつかんばかりの眼差しをものともせず、にやにやと口元が笑う。
「・・・・そんなわけない、から落ち着け、女王。
コレは、俺の、だもん」
くふりと笑ったその口で、背後から中空に浮いたまま私の首を両腕で抱え
ている彼が、あーん、と開けて食んだものは。
「・・・・ちょ、や、・・
止めて下さッ・・・」
歯を使ってはいないが、兎耳をあむあむと軽く噛まれて舌先で舐められた
ので慌てて引き剥がそうとする。あああ、何か髪の毛に神経が通っている
のを触られてでもいるかのような変な感触が・・っ。
幸い、舌は“人”の滑らかなものだったが・・・ざらざらした猫の舌じゃなくて
よかった・・。
「・・ふふん♪
お返し、だ」
どうやら、尻尾の件の仕返しだったようだ。
うろたえたことに満足したのかあっさりとやめると、ぎゅっとしがみついて
懐くようにすりすりと私の肩口に顔と額を擦り付ける。
「・・・。
はぁ、もう」
溜息をついて、黒髪をそっと撫でてみた。
・・・一応マスターじゃない筈なんだが、矢張りそれっぽいな。


 少々唖然とした様子の後、不興気にしていた“女王”が。
やや落ち着いたのか、気を取り直して何か再び言おうとした様子になった
時だった。

 「クィーン!」

声が響いて。
水色と白と金色のものが。
「・・・アリス!」
ぱっと表情も雰囲気も変わった“女王”が、飛び込んできた少女を腕に抱
き止める。
「・・ど、何処行ってたの?!
心配したんだよー?」
「カエルさんが公爵夫人のブタさんを探して困っていたから、手伝ってた
んです。遅れるって連絡しなくてごめんなさい・・!
・・それで、その。
折角作ったのに、途中でケーキが・・・・・」
悄気たようにやや項垂れて差し出された、金色のリボンを掛けられた透明
な四角いケースの中身は、綺麗なハート型だったろうものが少し崩れて片
側がぱっくりと割れてしまっていた。
「・・・え、いや、別に零したわけじゃないしさ。
何にも問題ないよー!」
早速お茶にしようか、と促して城のほうへ歩み出す。
行儀良く、ぺこり、と会釈をした“アリス”にひらひらと手を振る“チェ
シャ猫”は、じろりと睨んで舌を出した“女王”にはにやと笑ってみせて
その背を見送った。
私は“アリス”に無事で良かった、と安堵と謝罪を込めて挨拶を返し、
“女王”には少々申し訳なかった気分で同じように見送っていたが。
二人の姿が見えなくなったところで。
「・・・なぁ、兎〜。
おんぶ」
「・・・・は?」
「帰る、んだろう?
道案内、してやる」
・・・・。


**


 本当に、色々なものがズレているというか違うのだな、と。
チェシャ猫に案内される白兎・・の図式で、彼を背負って。
代わりに蝙蝠傘を預かって抱えている腕が背で時折指差す通りに、来た時
とは違う風景の中を進んでいく。
そうしていると、どこがどのように繋がっているものか。
綺麗な花壇や噴水のある中庭のような場所に出た。
チェシャ猫は、此処でいい、と促して背からすとんと降りると、中庭を囲
む建物の白壁についた扉の一つを指差した。
「鍵、失くしてないよな?」
少々間を置いて、あれがあるのだろうか、と思い出してポケットをあちこ
ち探る。全部を引っくり返してみても見当たらなくて困っていると、彼が
鎖の先に下がっていた銀色の懐中時計に視線を投げ掛けた。
「裏蓋とか・・無いか?」
はたと気付いて時計を裏返し、裏蓋を開けてみると。
「・・・ありました!」
チェリルのくれた菓子に結んであった小さな金色の鍵そっくりのものが、
浅い凹みの中で仄かに光を帯びていた。
「それで、扉を開けて。
廊下を道なりに進んでいけば出られる筈だ」
静かな声が説明を補足してくれる。
ほっと息をついて、彼に礼を言おうと向き直る。
「有難うございました、随分面倒を掛けてしまって・・・」
「・・・うん。
気をつけて帰れよ」
持っていてくれた蝙蝠傘をこちらに差し出して。
軽く瞳を伏せて微笑った表情が、少し寂しそうなことに気が付いた。
・・・。
「あの、チェシャ猫。
“白兎”は、此処に、ちゃんと“居る”んですよね?」
最初に会った時の言動からしてそうだとは思うのだが、何だか心配になっ
たのだ。
「ん?
・・ああ、勿論“居る”ぞ。
“おまえ”が帰れば、元に戻ると思う。
・・・“White Rabbit”は“境界を越えるもの”だからな。
時々、こういうことはあるんだ」
ひらりと何でもないことのように手を振って傘を押し付けるように渡した、
その口元がにやと笑ってみせた。
でも。多分、彼は・・・。

 ふと、思いついて。
傘を腕に掛けて、銀時計の造りの様子をもう一度慎重に改めてみる。
・・・・・・・・・・あった!
勝手に“選択”してしまっていいのかは、わからないが。
チェシャ猫が確かに“マスター”の面影を持っているように。
白兎も間違いなく、“私”と繋がっているのなら。
「・・・。
チェシャ猫。白兎、には内緒ですよ」
蓋を開けていた銀時計を、彼に見るように促す。
「・・?
・・・・・・・・あ」
小さく驚いた声を漏らして、チェシャ猫は固まった。
二重に重ねられていた蓋の、普通に見える内側には刻印と紋様だけだが。
外側の裏には・・写真と見紛うばかりの正確さで刻まれた、目の前の彼の
肖像が描(えが)かれていた。
・・私も“マスターの写真”を持っているので、有り得るかと思ったのだ。
あってよかった、とほっとする。
楕円形の枠が特徴のひとつである“尻尾”になっているのは持ち主なりの
茶目っ気なのか、単に普通に胸元辺りまでで描くと入らないという融通の
利かない証明なのだろうか。・・・両方か?
「・・・・。
兎・・いや、“おまえ”の名前は?」
聞いておいてやる、と真面目な面持ちで尋ねられて少々思案する。
何と名乗るべきなのだろうか。
私が悩んでいる様子に首を傾げたので、幾つか名前があるのだと答えると
そうなのか、と面白そうにくるりと瞳を閃かせた。
その仕草で・・・決めた。
此処でなら、彼らと揃いのようで普通にさまになるかもしれない。
「そうです、ね。
・・“チェリー”でいいです。
“Cherry blossom”はわかりますか?」
「・・・ああ、“桜”だな」
にこりと笑って頷いた表情に頷きを返して、扉に付いた鍵穴に金色の小さな
鍵を差し込んで回す。音も無く開いた扉の内に踏み込んで。
振り向いてもう一度だけ、耳と尻尾のついた、マスターそっくりの彼を眺
めた。私そっくりで素直ではない此処に居る誰かが、どうか、彼の幸せな
笑顔を目に出来るように。
「有難う、チェシャ猫。
・・・白兎に宜しく」
「・・Bye,Cherry.
おまえの“誰か”にも宜しく、な」
優しく目を細めた表情の口元が癖のようににやと笑って。
片手を上げた姿が霞んで、ドアはひとりでに閉じた。

 さて、と小さく息をついて。
名残を振り切るように、低い天井から照明用のランプが下がっている無数
の扉の並ぶ廊下を進んでゆく。
そうして暫く行くと、突き当たった行き止まりの壁一杯に近い大きさの扉
があり、取っ手のないそれを眺めてから。
・・・掌を当てて、押し開けた。




***





 「・・・チェリー?
なぁ、なーったら」
呼び掛けられていることに気付いて目を開けると、間近にマスターの顔が
あって、無邪気な表情がじっとこちらを見ている。
・・・・・・。
あ。
どうやら無意識に抱え込んで眠っていたらしい。
「す、すみません・・」
動けないと言っているのだと思ったのだが。
腕を外そうとすると、違ーう!と腕を掴み止められた。
「何で、“食事”しなかったんだよ。
折角リボン結んで貰って待ってたのに・・」
・・そっちのことか。
「・・・。
よく眠ってらしたようでしたし、チェリルのお手製の“お裾分け”と一緒に
“置いて”ありましたからね。
・・少し、“勿体無い”気がしたんですよ」
甘い良い匂いがしてましたから、と口にすると。
マスターは、ふふん♪と得意そうになった。
「“栄養”としては実質が無くても、“匂い”はそれなりに意味があるからな」
「・・そうですね」
私にとっては周辺の“日常”の認識であったりと、人間が飲食物の匂いと
して反応するのとは少々別の要素のほうが強いのだが。香りの効果につ
いては人間同様に反応する部分も当然ながら少なからずある。
好奇心旺盛なマスターはその辺りの感覚もかなり違うかもしれないが。
「・・・さて。
では、シャワーを浴びたら“食事”を戴いても宜しいでしょうか?
昨夜はそのまま眠ってしまいましたので」
今度こそ腕を離して毛布から出ると、
「そのままでも構わないだろ?
・・まあいいや、待ってる」
と、肘をついて少し身体を起こしてひらひらと手を振るので。
「マスターもですよ。
お先にどうぞ。シャワー浴びて下さい」
と、告げると、ええ?!と抗議の色の声音が上がった。
「折角、匂い残しておいたのに。
洗っちゃったら意味無いだろう・・・」
「・・はいはい。
“媚薬”の効果は兎も角、チョコレートの香りは夢の中でも堪能しました
から、もう十分ですよ。
それに。
私は、“食事”の時は貴方の匂いがあればいいんです。
余分なものは邪魔です」
「・・・・・」
マスターは、少々ぽかんとしていたが。
「・・・。
・・・・・・ああ、そっか。
前言ってたのは、そういうこと、か」
と、独り言のように呟いて目を伏せて小さく微笑った。
「・・・どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
ふふっ、と可笑しそうにもう一度笑い、毛布を頭から引き被ると寝台から
降りた。
「・・もう朝だな。
匂いがついてるから、これも洗濯するか〜」
もふもふと“毛布おばけ”のようにそのままやや危なっかしくドアに向か
うのを眺めて、慌てて続く。
「先に窓を確かめてきますから・・」
朝と夕方の光の入りは何時もはミネアが気をつけてくれてはいるのだが、
時々何かの用の折や、自身は陽光に無頓着な私がごくたまに開けて忘
れてしまうことがある。
部屋を出て窓やカーテンを確認していると、ドアの影からのんびりとふと
思い出したような声がする。
「・・・そういや、さっき。
“チョコレートの香りは夢の中でも堪能しました”って言ってたが。
どんな夢を見たんだ?」
軽くからかうように語尾が上がって。
ふと、重なる面影を思い出す。
振り返って。
「いえ、チョコレートに埋もれていたとかいうわけではないのですが。
・・・一寸変わった夢を、見たんですよ。
覚えているのでまた後でお話します」
へえ、と面白そうにトーンが上がった声が、またふと思い出したように。
歌うように言葉を紡ぐ。

 「・・・“Which Dreamed It?”」

鏡映りの言葉、と記憶している響き。
それに、少しの間を置いて答える。
「いいえ。
“どちらも夢で真実”の話、でしたよ」



  兎の穴へ落ちて落ちて・・・
  さて、どちらも夢で現の物語






<不思議の国のアリス>背景混入でWパロディ。


元ネタとしては
・六章扉のチェシャレイフロのシマシマ尻尾を掴みたい(代わりにヨロ)
・DJCD Vol.1のVtネタで超スルーしたい意向であしらわれていたので、
 スルーしない方向のチャーリーを(笑)
というだけだったんですが、全力で脱線しているような気がします;

文中で使用している英語文は、
不思議の国:第1章/ウサギの穴へ落ちて
鏡の国   :第12章/夢を見たのはどっち
の章題です。これと題訳文、聖書の次に〜のくだりはうぃきぺ参照。
背景や一部台詞ネタのほうは<不思議の国のアリス>からのみ。
参照原典訳はコチラを↓
http://www.genpaku.org/alice01/alice01j.html
(ルイス・キャロル・著/山形浩生・訳)


後ろのほうで兎チャーリーが、アリスサイドの人物名表記を使い分け以
外で“”を付けなくなっているのは、それまで“夢の中の知り人の投影”
だとばかり思っていたものを、“個人”として認識しなおしたから。

なお、猫や女王の反応からみてここの白兎は猫にはツン度が高いため、
猫は最初に会った時から“中身が違う”、気配などから“別のコレ”と解
っていたということで。観察してからかいつつもちゃんと救けてくれたり甘
えていたのはそのためです。
元々の白兎は1章前後の本編チャーリーみたいなもん・・で、手荒な真似
は滅多にしない代わりに言動がかなりツンドラ寄りだと思っていただけれ
ば・・。
写真ネタは音源パオレ同収ミニドラマのBaby・Crisisから。

アリスと猫と兎はまだちゃんとした顔見知りでは無いため、アリスからは
“会釈”という対応になってました。


時期的には「冬が巡って来ている=同居一年以上経過状態のif」な感じ
です。チャーリーの態度が大分甘め。

終盤の部分は音源ヒエロ同収のDinnerネタ入りです。(ネタバレ反転)
シナリオの意図読み違えてたら申し訳ないんだけど・・。
チャーリーは何時もの行動のうちだと思ってて、レイフロがコート着て眠ってた重点の理由(言って
いたことも嘘では無いんでしょうけど、多分安眠毛布的な要素が核だと思うんですが・・)に、嗅覚
嗅覚と言いながら気が付いてないし;
レイフロのほうは、チャーリーが“ド・ストレート”に“貴方が今更気に病むことじゃない”と説明した
つもり(だよね)の食事の件では。
でもやっぱり、“食事”は重要な楽しみのひとつのうちの筈なのに。
生育環境は兎も角、空腹を満たすためだけの、しかも唯一の血しか興味ないのはやっぱり自分の
せいだとか・・思ってたりしないか?あれ。

というわけで、CD感想には『どっちもわかってない話』とメモっていま
す。
この話ではこれを踏んで、別の場面・別の言い方でもう一寸チャーリーの
本来の意図だろうものがシンプルに伝わらないかな〜ということで、持っ
てきてみました。


20111008:



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