だらっと始まってだらっと終わる 何事も起こらない小話。 ややアンニュイ風味。 |
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窓硝子の向こう側は、雨。 夕刻から降り出した雨は、それなりの勢いで降り続けている。 今日は随分遅くなってから起き出してきたマスターは、気分がいい時はこ んな天気でも傘を差して楽しそうに散歩に行くこともあるのだが。 出掛ける気が起きないのかリビングのソファを占拠して、だらだらと寝そ べってサクラを構っている。 ああまた、サクラまで上がらせて・・。 仰向けに転がって頭上に手を伸ばす彼の横のスペースに座って覗き込んで いるサクラは、撫でてくれているマスターの顔をあちこち舐めている。 「くすぐったいぞー このこのっ〜」 くすくすと笑っている彼の口元を、桃色の舌先がぺろと舐めた。 「おっ。 ・・お返ししてやるー」 両手で黒い鼻面を抱えたマスターは、サクラの口元に顔を寄せると同じよ うに舐め返すのか?・・と思いきや、チュ、と小さく音を立てて親愛のキス を返した。 「! ・・・・。」 相手は犬で、特に性別すら設定されていない人工の存在なんだが・・・。 ああもう、何にいちいち反応しているんだ、私は。 ミネアには、信頼されていることを時折羨ましく思うことがあるものの、 何故かそういう感情を余りはっきりと覚えたことはないのだが。 逆じゃないのか??と内心首を傾げながらも、気になってしまってデータ 整理が一向に進まなくなったノートパソコンの盤面の手を離す。 「・・・サクラ、普段ソファに乗ってはいけないと言っているだろう! マスター、気軽に上げると癖がつくから止めて下さい」 言ってもろくに聞いてくれた試しは無いのだが、一応繰り返してみる。 「いいじゃん、跳ねて遊んでるわけじゃなし、後で拭いとけば。 神経質だなぁ、チェリーは〜。 どーせ土足なんだから、土埃だって舞ってるんだぜ」 「・・そういう意味じゃありません。 完全に愛玩用の小型犬なら兎も角、足元に控えていられない犬は“行儀が 悪い”と見られてしまうんです。 サクラは色々な所に行くんですから、ふとした時に癖が出たりしたら・・」 マスターはふう、と小さく溜息をついて身体を起こした。 「わかったよ。 ・・・じゃ、俺が降りればいいやー。 おいで〜、サクラ」 マスターが転がりたい時に使う大きめの毛足のふさふさしているマットを 収納から引っ張り出して来て窓の近くに広げると、ごろんと俯せに転がっ てサクラを差し招く。 サクラは少し私を気にしてから、特に何も言われないようなのを見て取り、 嬉しそうに彼のもとへ歩み寄った。 それにちらと視線を投げ、諦めて作業に戻る。 急ぎのものではないが、手間の掛かるこれを終わらせて一息つきたい。 暫くは、お互いに干渉せずに時間が過ぎて行った。 やっと作業が終わって、他に無かったかと確認をしている頃。 「なぁ、チェリ〜。 海に行きたい」 じゃれるのには飽きたのか、少し前から仰向けの姿勢でサクラを胸の上に 半分乗せて抱え込んでTVを眺めていたマスターが急に声を上げる。 「・・・? なんでいきなり・・」 ヴァンパイア、であるマスターは“流水”を苦手なもののひとつに数えて いる。そう広くも無い川や池程度であれば回避したり“飛行”して通過す ることも出来るが、規模が大きいそれ・・・特に“海”はもしも単体で海 中に放り出されたら身動きが取れなくなってしまうことを本能的に知って いるようだ。 私は能力が低いせいなのか、逆に、魔除けの大蒜(ニンニク)を始めとして そういう“伝承的”なものには殆ど反応が薄い。元々自力で飛行すること も出来無いので、“海”にはほぼ人間と似たような範囲の脅威しか覚えな いのだが。 ・・泳ぐのが好きなのに“海水浴”に行きたいとは余程何らかの理由で思 い切らないと言い出さないマスターが? 「こーれ♪」 手元でサクラと一緒に眺めていた小型の画面をこちらに向けると、暖かそ うな南の海の浅いところでオレンジ色の胴衣を付けて、飼い主らしい子供 と楽しそうに遊ぶ白っぽい犬が映っている。 「いいなぁ、水の色が綺麗だv 見に行きたい♪」 なー、サクラ?と同意を求めるように撫でて話し掛けている。 まあ、見るだけなら問題は無いだろうが。 サクラと遊びたいならそれだけで気が済むのだろうか? 「確かに綺麗ですが・・ 夜じゃこうもいかないでしょうに。 此処、何処ですか?」 「んー? えーと、“オキナワ”ってさっき書いてあった」 「オキナワ・・・・・ って、そんな所まで用も無いのに行けませんよ。 ・・・そもそも、サクラは防水機構はありますが海水に長時間まともに 浸からせるのは想定されていませんので駄目です。フルメンテする羽目 になったら困ります」 むー、けち。つまーんないの、と溜息をついて、サクラを抱え込んだまま 目を閉じて転がっている彼を、胸の上で頭を伏せたサクラが少し気遣うよ うにキュウと小さく鼻を鳴らして窺っている。 「・・・・・」 犬を模して作られているサクラは細かいことはわからなくても気分の変化 には聡い。 ・・・それに。気分転換がしたいだけなら、そろそろ諦めるか駄々を捏ね 始めるかしそうなのに。サクラを離そうとしないのはもしかすると、ごく 小さな子供がこれが無ければ出掛けられないだろうと仕事道具を確保して しまうのと似たようなことなんだろうか。 そういえば、ここのところ立て込んでいて近場で出てばかりでろくに構っ ていなかったか。 「・・・私に、貴方と遊べと仰せなんですか?」 「・・・・ んんー?」 返事はせずに、頭だけ傾けてちらとこちらを眺めた。 その何か言いたげな表情を見遣り、はあ、と大きく溜息をついて。 パソコンを閉じてロックを掛けると、座っていた一人掛けの椅子から立ち 上がった。 「・・。 サクラ、来い」 命じると、サクラは頭を上げて困ったように彼の顔と私の顔を交互に見た。 サクラにとっては“主人”として“記憶”されている私の指示や意志が最 優先だが、<犬>の特性で私の最も重要視している彼のこともほぼ同様に 尊重しようとする。 仕事中なら兎も角、今は通常時で呼び掛けにも必須性や緊急性は無い。 勿論、何事も無くても呼ばれたら従うのが“猟犬”としては正しいのだろ うが。 マスターと同居を始めて以降、ごく普通の家庭犬のように扱われる機会が 増えて、自分と私とマスターとマスターの連れであるミネアが“群れ”で あるという認識を構築したためか、段々とこういう時の応対が変化してき た。 ・・・サクラにとってそれが良いのか悪いのかはわからないが。 私が以前と変わったのだから、変わらざるを得ないともいえるそれは仕方 ないのだろうな。 「Sacra!」 少し強く呼ぶと、もう一度困ったように交互に視線を向けてから謝罪代わ りなのか彼の顎下に鼻先を押し付けてから遠慮がちに腕を抜け出て、こち らに小走りにやってきて足元にきちんと座る。 空(から)になった両の腕をぱたん、とマットの上に落としたマスターは眉を しかめた様子だけみせると身体ごところりと向こうをむいてしまった。 沈黙が落ち、しんとした室内に窓の外の雨の気配だけがじんわりと染みて ゆく。 「・・・マスター」 呼び掛けても、返事は無い。 踵を返してリビングの入口に向かう。 「行くぞ、サクラ」 サクラは、一度ちらとマスターのほうを振り返ってから後に続いた。 ふう、と深々と溜息をついて廊下との境目で立ち止まる。 「置いていきますよ、マスター。 行かないんですか?」 「・・・・・へ?」 小さく声がして、身を起こす気配がした。 「遠くへは無理ですが、散歩に連れて行って差し上げます」 「・・・!」 慌てて立ち上がって数歩駆けたそれが。 勢い良く、とすっ!と背中に張り付いた。 「なんだよ! 何処行くんだよ」 「・・・。 雨が降ってるんですから、貼り付いたままでは行けませんよ。 はしゃがないでちゃんと傘を差して下さいね」 「・・・。 ま、いっか。うん。 ・・で。どこ、連れてってくれるんだ?」 身を離して、玄関に向かった私の背に少しからかうような調子で疑問符が 投げ掛けられたのに、 「・・・・おとなしくしていられたら、行き先変更せずにいてあげます」 遠回しに釘を刺して。 様子を見るように何時の間にかメイド姿で佇んでいたミネアに外出を告げ ると、マスターを確認して安心したように尾を振るサクラを先に出すため に玄関のドアを開けた。 *** 入口のカウンターで読み取り機に携帯ツールを翳す。 「はい。 招待チケットですね、二名様と・・そちらも?」 「ああ、こちらの証明書は」 サクラの簡易仕様証明書・・まあ要するに一定水準のロボット犬であると いうようなものだ・・も呼び出して読み取らせる。 「有難うございます、確認させて戴きました。 では、二名様と同伴枠で。 こちら全て纏めたチケットカードになりますので、途中出入りされる際に はご提示下さい。ご希望であればご来場記念に専用パンチを入れてお持ち 帰りいただく事も出来ますので、そちらはお帰りの際にお申し付けを。 本日の終業は0:00となっておりますので、ごゆっくりどうぞ」 ラピスラズリのような深青の地に、施設のロゴと、その下に小さく日付と 時刻と識別No.が刻印されたカードを手渡される。 銀色に見える文字は、角度を変えると下地の鱗模様のような虹色が透けて 見えた。 「傘は差し支えなければ此処でお預かり致しますので、お帰りの際に」 「わかった。有難う」 きょろきょろと辺りを眺めているマスターの分の傘も預けて、お座りをし て待っていたサクラを促すと安全警備用のセキュリティチェックの設けら れた二重ドアの手前の一枚の前に向かう。 昨今はこういう施設を新設する時は気を遣う事項が多くて大変そうだな。 「あ、待てよ!」 ドアの間にマスターとサクラも揃ってから閉じ、ポン、と軽いチャイム音 がして奥の硝子戸が自動的に開くと、先程のロビーとは明らかに空気感が 変わる。 「・・・ココ、何時開いたんだ? 上は覗いたことあるが、“night aquarium”のCMなんて聞いたことない ぞ」 所々、覗き窓を思わせる丸窓のような箇所にオブジェが飾られている、い かにも真新しい半円状の通路を進みながらマスターが不思議そうに尋ねる。 此処は、最近出来上がったばかりの新しい複合ビルの地下二階だ。 上階には様々な店舗や貸出用の多目的スペースなどがあり、フードコート のある一階、映画館や小劇場・ゲームコーナーなどの娯楽施設がある地下 一階の更に下に位置している。 「いえ、実は正式な開業はまだ少し先なんです。 展示分の搬入も一部残っているのですが、試験的に招待客などを入れなが ら最終チェックをしているのだそうで。 先日片付けた仕事が此処の出資者からのもので、報酬と一緒に特別に招 待チケットを戴いたんですよ」 美術館や動物園などでも夜間プログラムは珍しくは無いが、此処は元々の 営業時間が夕刻から深夜までという“夜の水族館”なのだ。 ふぅん、と呟いて私の方を見ていた視線を前に戻したマスターは、丁度途 切れた通路の終りで立ち止まった。 明るめの照明に照らされていた表からの通路の先にあったのは、やや暗 いかなり広い部屋だった。 周囲を覆う、壁と天井が繋がった半球状の円蓋(えんがい)。 暗色の床との境目にはブルーのガイドランプが控えめに点々と灯っている。 こぽこぽと酸素を供給する泡が透明なもののうちを立ち昇り、大小の色彩 と影が厚さを感じさせない樹脂壁の向こうを往き過ぎてゆく。 壁に近寄って、カバー用に内側に設けられている透明板にぺたりと両手を 当てて、寄って来て泳ぎ去っていった海亀をしげしげと眺めているマスター の様子を眺めて、こっそり内心でほっとした。 海のかわりに水族館なんて我ながら子供騙しもいいところだと思ったし、 幾ら新しく作られた展示法もあれこれ工夫されているだろうものだとして も、地上の動物の類と違って彼の興味をどれ程引けるものかわからなか ったのだ。 サクラがおとなしく周囲を観察しているのを確認してから、水中と大気を 隔てている壁の向こうに視線を向けようとすると。何時の間にか横に並ん でいたマスターがするりと私の片腕に腕を掛けて掴んだ。 「ふっふーん♪」 軽く凭れるようにされて、機嫌は直ったんだろうかと思う。 私の着ているコートと彼の羽織っているジャケットの厚みが直接の輪郭の 感触を隔てていることを何となく考えて。 ・・・周囲のそれをふと連想して、思考から振り払う。 マスターは、大気の内に居て呼吸して、触れれば暖かで。 水の中のいきもののように、恒温の動物が触れたら“火傷”するような事 はないのだから。 そんな心配は、必要ないというのに。 「貸し切りみたいで、贅沢だなぁ。 ・・・出るまで、放してやらんっ」 ぎゅ、と腕が抱え込まれると、マスターは私を少し引っ張ってドームの向 こうに見える先の通路に向かって歩き出した。 「・・マスター まだ閉まるまで充分時間はありますよ? そう広くも無い筈ですから、ゆっくり見ればいいじゃないですか」 「先を急いでるわけじゃ、ない。 ・・・じっとしてると、少しだけ寒いから、な」 「・・・」 此処へ来るまでの外気と湿気、この施設の中のやや低い温度で冷えていた 感覚が。接している部分からじんわりと変化してゆく。 気配を探ってみるが、今のところ他には観覧者は居なさそうだった。 「・・・・。 いいでしょう。 でも、出るまで、ですからね」 サクラに遅れないようついてくるように告げて、彼に合わせて歩き出す。 まだ外も雨は降っているだろうか。 いつかのように、降りしきる雨が。 けれど、今は。 降っていても、そうでなくても。 遮る傘があっても、無くても。 私は呼吸をすることが出来る。 この、時折、水の天蓋(てんがい)に覆われた 硝子の棺(ひつぎ)のように思える世界でも。 貴方が、隣に在るのなら。 |
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以前自己課題として考えたネタがまだどうにかなってないので。 ふと、コレ前振りになるんじゃないか?と書き出してみたら何故か全く違 う方向に行ってしまったので別の話になったもの。 前半部分の元イメージは1巻末漫画のあのコマです(あれ好きなのだ。笑)。 更に色々推測設定が混ざっています。 徹頭徹尾だらだらでスlllorzlll サクラは“Good boy”だから扱いはHeだと思うけど、何となく“男の子(仮)” くらいのプログラミングじゃないかと思うので性別無し想定で。 チャーリーは余りミネアには反応しないんじゃないかなーというのは。 クリスはレイフロに“彼自身”を求めたけど。 ミネアは多分レイフロに、寂しそうに見えただろう彼のためになりたいと いう気持ちと、自らの居場所と役割を求めたのではないかなーと思ったの で。端的に言うと“忠誠”に近いようなそんな感じ。 ・・あとまあ、ハウスキーパーが立場が強いのはお約束です(笑)。 今回、サクラはどういう認識をしているのだろうか? と考えてみたのですが。 チャーリーが“マスター”なので常時最優先。 レイフロはチャーリーの“一番大事にしているもの”で、気が向くと撫で たり遊んでくれたりするんじゃないかと思うので次点最優先。 ミネアは“レイフロに従うもの”なので、結構同等に見ているんじゃない かなーと。猫姿の時はサクラよりも小さいので、その状態では案外被保 護者として認識していたりして。 ミネアのほうは往々にして猫が犬を空間位置的にも気分的にも見下ろして いるように、基本能力の点もあって相当格下に見ていると思いますが(笑)。 音源Act.Wでチャーリーにサクラについても文句を言っていたので、バカ 犬呼ばわりしつつも“ただの犬”だとは思ってないような(使えるものは 何でも使う、という要素はあると思うんだけどw 文句つけるということ は期待分があると思うのだ)。 サクラは、チャーリー不在時には“合流していた別の群れのリーダー”で あるクレイグさんの意向を最優先してたんだろうかなとか。 レイフロが居ればそちらが最優先になるかな?・w・ 20111027: |
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